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2004年11月 4日 (木)

みわやま:三輪山遊行(1)巻向から箸墓

桜井線JR巻向駅(奈良県櫻井市大字辻)マピオンBB地図
 2004年11月3(水)文化の日に、大和・三輪山へ学生達と出かけた。朝のうちは曇空だったが、午後からは晴れて、無事な一日を終えた。学生達とはなにかと小宴をはることも多いが、大挙して出かけることは滅多にない。なぜ今、三輪山なのか。そのことについては、小説葛野記に少し触れておいた。

桜井線
 桜井線は単線で、列車は大抵2両編成。しかもワンマンカーなのでバスにのるようなものだ。車両は老朽化し、風情があるといえばあるが、田舎びた様子は大正、昭和初期のままのようにも思えた。なんとなく、レールまでぐんにゃり曲がったように見えるのは、これはおそらくレンズのせいに違いない。よもや、ローカル線だから曲がったままに敷いてあるとは思えない。

JR巻向駅前の4人メンバー
 一日を同行した4人の学生達である。推定年齢は21くらいであろうか。いまどき、三輪山だの、山辺の道だの、箸墓のと、興味をもつのは珍しい方だろう。しかし君たち、ここは、この巻向駅周辺は古代大都市のあったところ、もしかしたら邪馬台国の祖地なのかもしれない。初めてここを訪れた君たちは、我が国の原点に足をいれた訳である。

柿本人麿公屋敷跡
 人麿の屋敷跡の石碑があった。(地図) 皆が話しているちょっとしたすきをねらって付近を歩いた。そこで見つけたのが柿本人麿屋敷跡。万葉時代の宮都はもっと南の藤原京、飛鳥地帯と思っていたから、巻向にあったかもしれないとは意外だった。

箸墓を背後で見守る三輪山
 三輪山と右手の箸墓とを合わせて撮せる場所が、この池の西北端である。昼前のぼんやりした天候の中で撮したので、光の綾はなかったが、Muはこれを何度も何度も撮ってきた。これが撮せただけで、満足であった。

ぬかるみ回避:難所の回避
 池の西北部で写真を撮った後、ともかく前方部へまわるために古墳に近づいた。しかし都会では見ることもない(笑)ぬかるみがあった。Muは泥靴になってしまったが、彼女らはそうもならず、斜面をあがることにした。現地に行くと言うことは、机上では想像も付かないことに出くわすものである。

ぬかるみ回避:恐怖の下山
 身体を傾けながら4人は滑り落ちもせず、降りてもよい所まで進んだが、はたと立ち止まった。表情をファインダーで見るとこわばっていた。やはり、下から見ているMuと違って、上から見下ろす彼女らは、転げ落ちる恐怖を味わったのだろう。わからぬ、が。

大市墓前
 漸く前方部中央に着いた。大市墓と記してあった。ここは確かに宮内庁が整備をしているが、墓であって陵、つまり天皇陵ではない。造作は陵にくらべて簡素だった。これだけの初期前方後円墳にしてはあっけないような造りだった。

やまとととびももそひめのみこと:大市墓
 この石柱はしっかり撮っておいた。明治以降のものだと思うが、記念すべき石柱である。姫命は大物主神の嫁御ではあっても、身分的には皇族皇后ではなかった。高級な巫女さんだった。そして、もしかしたら、彼女はあの邪馬台国の女王・卑弥呼だったのかもしれない。

箸墓の後円部
 箸墓の後円部も写真のように木々で覆われていた。口に出しては言いにくいのだが、あっさり木々を払ってもよいと思う。というのも、五色塚古墳をみて思ったのだが、古墳は人工の物である。原型にこそ当時の人たちが描いた、なにものかのイメージがあったはず。古墳に植林したとも思えないから、この姿を自然のままと思うのは、Muの気持ちから遠い。前方後円墳。我が国の一時期の文化文明の結晶だったに相違ない。

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コメント

先生、
 素敵な休日ですね。
 JRに「奈良を習おう」というパンフレットがあるのを見たのですが、私も奈良へ行ってみようかな?

 そうか・・、私も学生時代にもっと先生とお話していれば、「鳥せい」に連れて行ってもらえたかもしれなかったのですね。
 ・・・残念。

投稿: 羊 | 2004年11月 4日 (木) 21時36分

羊さん
 みんながみんな、三輪山や大神(みわ)神社に興味をもつものでもなし。Joさんみたいに、三角縁神獣鏡に目を輝かすわけでもなし。
 えっとですね、羊さん達とは、原村行って温泉まで毎日送り迎えしましたよ。さらに、場所は忘れましたが、たしか神戸の合同合宿ではヴァーベキューした記憶もあります。
 さらに、卒業謝恩会では、羊さんたちお仲間8人ほどのかたに、ものすご上等な花束をいただいた。同僚が、いちいち数えて「Muさん、すごいなぁ~」と羨んでおりましたで。
 と言うわけで、鳥せい焼き鳥よりも、羊さん時代の学生さん達とは、日常、あれこれてんやわんやでしたなぁ。

投稿: Mu | 2004年11月 4日 (木) 21時48分

四人の巫女さん連れて、”卑弥呼”はんの墓参り。
せんせも、大変やね。

人麻呂はんの屋敷は巻向でしたか、知りませんでした。しかし、悲劇の人やね。藤原氏にやられましたね。

しかし、最初の線路は地震の跡みたいやね?あれで、大丈夫なんやろか?ファインダーの影響だけとは、思えんな~~。

箸墓はMuさんの原点やね。今度、joも連れて行って下さい。
私も、実は今まで4~5回は行きましたけどね。

最近の箸墓の近くの巻向の発掘で、箸墓は100年時代が遡りましたね、これで、卑弥呼の時代に近ずき、少なくとも卑弥呼の次の代は確実になりましたね。もう少し、ですね。


投稿: jo | 2004年11月 4日 (木) 22時19分

JOさん、うまいことおっしゃる。
 あの学生さんたち、確かに今時巫女さんかもしれんなぁ。
 女性の方が幾分神々に近いから、清浄な地を訪れると自然にそうなるのかも。
 檜原神社ではずいぶんゆっくりしげしげと境内を楽しんでいた様子です。

 巻向は原点ですな。というと、実は近所の鍵唐子にも原住民さんがおられましてな。たぶん、うるさく「元祖はこっち」とおっしゃるかもしれん。

 ともかく。奈良も南にいくと、京都や奈良市とは違った空気がありますね。あそこは、飛鳥とも異なる。
 明るい風景だが、明確に、真空地帯です。

 Blessedさんが「Muさん、何故三輪?」とコメントくださったのですが、これは語れば長いことになる。語り尽くせない。
 ともかく、一番MuがMuらしく安定し自立できる土地ですね。あのあたりをさまよっていると、「もう、なにもいらぬ」の心境になります。きっとMuは、あそこあたりの神の末裔かもしれん。近頃、そういう夢みます。(話がここまでくると、Joさん、びびったでしょうね、ふふぁふぁ(笑い声))

投稿: Mu | 2004年11月 4日 (木) 22時38分

箸墓は特別ですね。特別の威厳があります。そして、三輪さんを望める。素晴らしい聖なる場所ですな。

少し歩くと、”アマカシの丘”ですよね。遥か蘇我氏の宮殿が聳えていた訳ですね。丘を降りると、飛鳥川ですね、そして飛鳥寺。

学生さんには、現場を見せることが大事ですね、そして遥か歴史の人物を偲ぶ。え~教育したはる。感心やね。

投稿: jo | 2004年11月 4日 (木) 22時52分

JOさん、ちょとまった。
 甘橿丘も飛鳥寺も、歩くとなると遠すぎます。あれは飛鳥。
 こちらは櫻井市三輪です。
 多分、JOさんの「少し歩く」は、タクシーでちょっと走るでしょう。

 学生達に現場見せるよりも、Muが現場を見たいわけですね。歴史を偲ぶよりも、眼前に歴史を味わう、でしょうか。私ね、ちょっとね、あれなんです、つまり、幻視してしまうんです。結構きついこともありますよ。まあ、年中アルコールなしで酔っぱらってるようなもんですがね。

投稿: Mu | 2004年11月 4日 (木) 23時04分

はじめまして
ご挨拶が遅れましたが、トラックバックさせて頂いた萌絵です。
山の辺の道・・・ずい分歩かれたんですね。
私は夕食の時間を気にしつつ(笑)大神神社だけで
帰路につきました。
次回は先生(と呼ばせて頂いてよろしいでしょうか?)の記事を
参考にしつつ、子供連れで行ってみたいと思ってます。

プロフィール拝見しました。
森博嗣さんお好きなのですね。
お気づきかと思いますが、HNはあつかましく森さんの小説から
頂きました。

また他のカテゴリも読ませていただきに来ます。

投稿: 萌絵 | 2004年11月 9日 (火) 13時10分

萌絵さん
 こんにちわ。
 わたし、犀川です(爆笑)。

 しかし、世の中、先生と呼ばれるほどの馬鹿じゃなし、ということばもあるので、まあ、Muさん、でよろしおます。

 大神さんへ参られる人のお気持ちが知りたいところです。結構信心深い人が多いのが、あの神社の特徴ですね。今に、生きている信仰というのを味わいます。境内に立つと、ひしひしと「心」の波動が伝わってきます。
 Muは、どうなんでしょう。と、自問自答。
 Muは、噂に過ぎませんが、祀るよりも、祀られるたちばでありましてぇ。まあ、そういうことです。むにゃむにゃ。

 さて、奈良の南部は精神的祖地ですので、おりおりに遊行を載せていきます(というても、年に数回ですが)。どうぞ、その節はご笑覧ください。

投稿: Mu | 2004年11月 9日 (火) 14時50分

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