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2004年11月26日 (金)

ごこうのみや;ごこうぐう:裏から見た御香宮

御香宮北門(京都市伏見区御香宮門前町)
  MSN地図(詳細

 先回、伏見奉行所跡について記録した。観点は、幕末から明治にかけて、1868年、鳥羽伏見の戦いで伏見奉行所に新撰組や会津藩軍が陣取り、北の御香宮に布陣した薩摩藩軍の砲弾攻撃をうけたという歴史の追想であった。「目と鼻の先なんだなぁ」という感想が関東の知人達からあった。

御香宮北門石柱
 普段、御香宮に参詣する人は京阪ないし近鉄電車をおりて東へ徒歩二分で正門に達する。ここで向きを変えて門に入り、200メートル歩くと、北の裏門に達する。写真は北の裏門に立っている石柱で、明治のものだった。凝った字体は篆書(てんしょ)だろうか。先頭の二文字が埋め消されている。最初は「官幣」(往時、国の管轄になる神社)と思ったが、調べてみると「府社」が消されたのだと考えた。御香宮は、大東亜戦争敗戦時までは、地方官の管轄だと分かったからである。
 消さなくても良いのにと思った。歴史の解釈は多様に変化するが、おりおりに記された記録は、抹消改変すべきではないというのが、Muの持論である。そういう意味では、「京都[帝國]大學附属圖書館」という石碑も同じことだ。戦後、消さなくても良かった。
 ただ、……。消した痕跡を残したまま、そこにあるというのは、もう少し複雑な事情があったのかもしれない。あるいは単純に経費節減のためだったのか。 

御香宮境内北門
 北門に立って南に向かい、境内の写真を撮った。広い境内だった。薩摩の布陣まではイメージ出来ないが、官軍となった彼らが右往左往しているのは想像できた。ただ、ふと思ったのは、広いと言ってもここに数千の兵がかたまり、そして砲門がいくつも南に向けられていたことを思うと、あふれた兵は北門を通してさらに北に数珠繋ぎだったかも知れない。往時も北門は小さな門だったろうから、長い待ち行列が発生していたと想像すると、笑えてきた。

御香宮本殿裏
 北門から少し南に下ると本殿の裏にでる。御香宮の公式HPによると、平成二年に修理が始まり、平成九に完了し、極彩色が再現されたらしい。たしかに、十数年前に出雲大社の周囲を撮した動画と見比べて、その極彩色の華やかさに驚いた。寺社仏閣は、古くて重い色彩が多いが、この国指定重要文化財本殿の絵模様には感動した。
 神社仏閣の建築史を学びたくなった。一方に、出雲や伊勢があり、一方に日光東照宮、御香宮があった。寺院の影響なのだろうか。そういえば、青丹(あおに)よし奈良の都は、真っ青な瓦に、朱丹塗りの柱、そして黄金色の仏像と、その華やかさは現代では味わえない情景だったのだろう。
御香宮境内本殿→南正門
 前掲の北門からみた境内と同じ趣旨だが、これは本殿、そして拝殿が南に続き、撮影した場所は拝殿の近くである。裏からみた御香宮境内となる。このあたりに1868年、薩摩藩軍は砲門を構えたのだろう。伏見奉行所は、つい目と鼻の先にあった。

参考サイト
  ふしみぶぎょうしょ:伏見奉行所跡と魚三楼[MuBlog]
  御香宮[公式HP]
  御香宮(ごこうのみや)
  香椎宮(玄松子HP) [北九州の香椎宮は御香宮とは直接関係はないが、Muは{伝承、祭神、名称}から気になるので記録する]

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コメント

先生、
 御香宮では10月のはじめころに、一週間ほどお祭りで夜店が出ます。
 そのころはすごい人出で、仕事の帰りに電車に乗るのが一苦労でした。

投稿: 羊 | 2004年11月26日 (金) 09時03分

羊さん (11月 26, 2004 09:03 午前)
 花笠祭りとか、神幸祭とか、べつべつなのか一緒なのか分かりませんが、10月は連続して、あの界隈はものすごいことになりますね。
 氏神さんとして、そうとうに人々に大切にされているのだと思いました。
 Muは大昔、御神輿を担ぐバイトをしました。

 最近は、中書島でギャル神輿(註:ギャルとかナウイとかは、笑いを取るときだけ使用する死語であると、方々で注意を受けます)を見たし、例年は大手筋界隈、いたるところででっかい花笠も見かけてきました。
 ともかく、子供達、女性達、いろんな人が祭りに沢山参加しています。すごいことだと思いますね。

 ところで、ギャル神輿ですが、少女神輿では歳くってる様子だし、姉さん神輿か。梅翁流だと「ネーチャン神輿」、さて「青年女性神輿」、本当はどう呼んでいるのだろう。雰囲気的には、梅翁流が一番ぴったしですね。
 それと、祭域が伏見奉行所を飛び越えて、中書島まであるというのも、幅の広さだと思いました。

投稿: Mu→羊 | 2004年11月26日 (金) 09時37分

 先のコメントで無意識に、「祭域が伏見奉行所を飛び越えて」と書いている。
 すでにMuの目には、現実の桃陵団地は消え去り、ただ伏見奉行所だけが御香宮の南に、あるようだ。
 おそらく、生涯そうなってしまうことだろう。

投稿: Mu→Mu | 2004年11月26日 (金) 09時40分

 ワンダーランド

 ほんまに京都、奈良はワンダーランドでありテーマパークでありますね。いろんなお祭りが毎日毎晩あって。アメリカのお方よう我慢して空爆せんといてくれました。

 聴けば香港方面にデーズニーランドちゅうんがでけるようですね。浦安の客減るんやないかと心配のむきもあるようです。コッチャには奈良、京都がおます。橿原神宮駅のトイレには中国語、ハングル、英語の案内は出ていても日本語はなかったのでビックラこきました

 ま、そういうこっちゃね。

投稿: ふうてん | 2004年11月26日 (金) 10時42分

ふうてんさん  (11月 26, 2004 10:42 午前)
 三菱の工場にはいくつか爆弾が落ちたようですよ。四条天神川あたりです。
 ワンダーランドなんだけど、そういう意識をもたないと、ただの古い寺院だったり、破損しかけの庭だったりですね。歴史と風景とを重ね合わせたとき、絢爛豪華な図柄が浮かび上がってきます。
 橿原神宮は、随分昔でしたね。駅前でうどんを食べた記憶がありますで。

 というまに、夕方です。
 さて、また一仕事。

投稿: Mu→ふうてん | 2004年11月26日 (金) 15時57分

中西進先生の”万葉の大和路”を読んでいると、不老不死の水が湧く”泣沢女(なきさわめ)神社”のイザナキの涙から生まれた神の話が出てきました。

高市皇子が身罷れた時に奥様の檜隈女王(ひのくまのおおきみ)が
詠んだ歌

”泣沢の神社(もり)に神酒(みわ)すえ 祷祈(いの)れども
わご大君は 高日知らぬ 巻2 202"

泣沢の女神に命のよみがえりを願って、神酒をささげて祈るが わが大君は、高く日の神として天をお治めになってしまわれた、と嘆く。

水は神聖で蘇りの思想があり、奈良の二月堂も若水ですね。古代の人々が水を特別なものとしたんですね。

この御香宮の水はすべて三輪山から続いているんですね。

投稿: jo | 2004年11月26日 (金) 23時06分

joさん (11月 26, 2004 11:06 午後)
 「酒」をいつか考証してください。
 Joさんの話だと、酒は仏教寺院にからまって日本で造られ出したそうですが。それは濁り酒なんだろうね。
 清酒は、たしか、江戸時代かな。灘の生一本。
 で、日本の神話に「酒」は、ヤマタノオロチでも、ヤマトタケル関係でも出てきますね。

 昔の酒が濁り酒だったことまでは知っているのですが。
 それ自体が仏教絡みだと、日本の神話にある酒の行き場所がなくなるなぁ。

投稿: Mu→Jo | 2004年11月27日 (土) 04時06分

Muはん

判りました、これから長い時間をかけて酒のルーツを探りましょう。だけど、ふうてん老人の方が向いてるかも知れんな~~。

なんせ、あの親爺、酒、好きやさかいね。

あのね、今、私が理解しているのはね、以下の認識なんやわ。

・出雲族は海人族であり、船で大海を航海する民族であった。

・従い、”水”が貴重であり、”水”信仰が生まれた。

・原始”酒”を発見した。”猿酒”とかなんちゃら酒とか・・。

・そこで、”水信仰”と”元気になる酒”が合体して”神酒信仰”が生まれた。これが、ミワ信仰やね。神酒(ミワ)さん。

・その後、中国から般若(酒)技術を持つ坊さん連中がたどり着き
醗酵技術を伝えた。(味噌、醤油、中国酒)

・清酒は江戸時代に濁り酒の中に灰を投げ込んだ奴が偶然発見した話が通説であるが、疑わしい。もっと古いと思う。(検証必要)

・酒は酒でも縄文時代から蒸留酒は存在したと思う。南方系の焼酎の類やね。これ、沖縄とか九州で遺跡から製造器具が発掘されてる。

まあ~~、ふうてんさんにも暇やろから、調べてもらいまひょ。

投稿: jo | 2004年11月27日 (土) 06時40分

Mu さん
地元の庶民伝承では、御香宮さんは「女性天下」の神さんと聞かされてきました。そんで、前を通るときは、私など「やれやれ」と思ったものです。神功皇后が新羅征伐された皇后であることからだろうと思いますが。もっと、崇高な神さんのようです。

投稿: hisaki | 2004年11月27日 (土) 09時27分

joさん、 (11月 27, 2004 06:40 午前)
 一口ですっと言えるほどに、日頃お酒のことは考えてるみたいですね。
 猿酒、濁り酒、清酒
 中国酒、蒸留酒
 となると、ワインの伝統は東アジアではみあたらないようですね。
 タイトルは「日本酒の源流と伝搬」でしょうか。
 なんとしても、梅翁に一筆いただきたいところです。

 Muが切実に思うところは、古事記、日本書紀の神話部分や継体天皇のころまでの、「酒」の内容ですね。まさか、卑弥呼が老酒のんでたわけではなかろう。

投稿: Mu→Jo | 2004年11月27日 (土) 11時50分

hisakiさん、 (11月 27, 2004 09:27 午前)
 女性天下、かかあ天下、この伝統の源流はどこにあるのでしょう。天照大神もいちおう女性神だし、神功皇后については、御香宮の「安産祈願」がたいそうな目玉ですし。
 ともかく、象徴的に男が勝てない女性が祀られていますから、そういう影響がギャル神輿まで繋がっているのかも知れませんね。

1.ギャル神輿の正式名称や、発祥
 比較的新しい様式なら、おそらくそれ以前はなんらかの形で女性が積極的に祭りに参加することがあったんでしょうね。

2.女性天下の我が国における源流と伝搬
 すぐに思うのは、関東の、筑波あたりの嬶天下ですね。なんか、ほんとうにそうらしいことを、昔現地の人から聞きました。

 ともあれ、祭りに表れた女性上位というのは、面白そうです。
 が、Muには手に余る。これこそ、Jo世界観ではないでしょうか。
 ……

 

投稿: Mu→Hisaki | 2004年11月27日 (土) 12時00分

あの~う~ せんせ

学校のせんせを長く続けると、悪い癖がつくご様子ですな。

何でも、宿題をだす。レポートやね。締め切りはいつやで、でけへんかったら、単位やらんで。

何で私が”女性天下の我が国における源流と伝播”の宿題をやらんとあかんのや?”酒の源流と伝播”もやらな、あかんし、忙しい。

そんなもん、簡単です。要は、ふうてんはんのように男が働かないようになると、しょうがないから女が働くだけでんがな。

問題は、何で男が働かないようになるか?ここが歴史的に民俗学的に面白いところやね。

中国や朝鮮半島のように儒教の国では男は箸より重たいものは持ってはいかんと、教えられる。だから、女が働く。台湾の企業を見てると今でも社長(総経理)は女性が多いですね。

我が祖国日本は海人族が源流やさかい、男は船で航海でとるので、女が何でもやらんとあかん。

筑波は男が木枯らし紋次郎やさかい、女が働く、Muさんは図書館に篭って小説ばかり書いているので、嫁はんが何でもやらなあかん。

おわかり?

投稿: jo | 2004年11月27日 (土) 12時42分

jo (11月 27, 2004 12:42 午後)
 明解なお言葉ですなぁ。
 髪結いの亭主、ヒモ、ジゴロ(これは仏語ですかぁ)、あんまりよいイメージはないですね。

「働く」というのは人類史的には男ゲームが主流ですが、本質的には外部調達、外交交渉、外部との技術{供与と対価}でしょうね。
 自給自足だとだいぶ変化するでしょうが。

 話を元にもどすと、
 名水→酒→日本酒源流
 ギャル神輿→神功皇后→嬶天下
 御香宮からこういう発想が生まれるのは、なかなかに対話の妙味です。
 結局、酒と女に話が着地し、それぞれに調査依頼というか宿題を出して、Muは一件落着。土曜の午後はじっとりミステリ読みます。

投稿: Mu→Jo | 2004年11月27日 (土) 15時19分

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