« 2004/11/21(日)新撰組:どうすればよいのか | トップページ | 日本・文学・小説:京は人を賤うす/中谷孝雄 »

2004年11月23日 (火)

ふしみぶぎょうしょ:伏見奉行所跡と魚三楼

伏見奉行所跡(京都市伏見区西奉行町:現・桃陵団地)と魚三楼
  マピオンBB地図(概略)、MSN地図(詳細

伏見奉行所跡石碑
 新嘗祭、勤労感謝の日の午後、ふらりと電車に乗った。カードは210円しか残っていなかったが、木幡研からは200円ですんだ。駅は京阪電車・伏見桃山(近鉄だと桃山御陵前)で下車した。で実は、伏見奉行所跡よりも先に駅のすぐ東、御香宮へ行ったのだが、……。いまディスプレイに向かい、二週間前、NHK新撰組の源さんの討ち死にや、土方歳三のことが頭をよぎり、整理する段階になって、伏見奉行所を先にすることにした。
 この石柱が、往時の伏見奉行所跡を示している。詳細地図で見るならば、現在の桃陵(とうりょう)団地全域がそうだったと思って良い。今から136年前、新撰組の頭上に、すぐ北の御香宮から砲弾が飛んできたのである。
魚三楼軒燈
 となると、どうしてここに瀟洒な軒燈が写っているのか。この老舗料亭に、Muがしれっと女将に挨拶して入っていったわけじゃない。この魚三楼(うおさぶろう)は、MSNの詳細指定地図の左上に店名がでている。石柱の位置からは徒歩で250m、数分のところだ。たしかに家族連れがでてきて、品の良い女将らしい人が客を見送るそのときに、Muは店先にいた。
 明治元年(1868)の正月、おそらくこのあたりは戦場の争乱にまきこまれていたことだろう。伏見の戦い。マピオンの概略地図で見るとわかるが薩摩藩軍の陣はすぐ北の御香宮、そして伏見奉行所には会津藩軍と新撰組とが中心だった。NHK新撰組では、砲弾が飛んできたとたんに新撰組だけが残ったように描かれていた。

魚三楼
 魚三楼の創業は江戸時代の明和元年(1764)ころらしいから、たしかに1868の鳥羽伏見の戦いの折りには、店があって商いをしていたのだろう。参考サイトにあげた解説記事では、このお店は薩摩びいきだったらしい。そして店頭には、当時の弾痕が残っているとある。Muは実証家ではないのでそれをカメラには収めなかった。そういう伝承があって当然と思ったからである。
 この料亭は、以前はMuのような木幡老人唯野爺は入れなかったが、現在は、気軽に座敷に上がれるようである。しかし、年収数千万円になるまではじっと我慢するつもりだ。多分、一生無理だろう。そういうお店が近所にあるのは、見ているだけで心が豊かになる。ここは、畏友の梅翁やJoさんの世界。

桃陵団地の歴史/京都市
 実は、でがけに迷った。というのは、伏見奉行所跡石柱は地元のものしか、なかなか見つけられないと、いくつかのサイトに記されていたからである。ところが、Muは地元ではないが、土地鑑がある。つまり、どの地図であれ石柱の西にある寺田屋とを線で結んだとき、その真ん中あたりに30年通ってきた「鳥せい」がある。だから、鳥せいからは東に直線で300mほどとなるはず。と、読んで木幡研をでた。京阪からは迷わず、直行で見つかった。
 と、言いたいのだが、実はこの京都市の表札があって、初めて発見したのも事実。写真の小振りな石柱だけでは、まず、他国のひとは見つけられないだろう。
桃陵団地西入口
 団地を写してみた。都心とは言えないが、ともかく伏見区のど真ん中にこれほど豊かな空間があるのが不思議だった。徒歩5分程度で京阪電車、近鉄電車、そして10ほど歩けばJRの駅にたどり着く。
 この地は徳川家光時代からの伏見奉行所。明治すぐに旧帝國陸軍施設、戦後は進駐軍、そして今は京都市営団地。なかなかに、歴史がある。

参考サイト
  京料理 魚三楼
  ぐるなび 魚三楼
  2004/11/14(日)新撰組:井上源三郎の千両松[MuBlog]

|

« 2004/11/21(日)新撰組:どうすればよいのか | トップページ | 日本・文学・小説:京は人を賤うす/中谷孝雄 »

地図の風景」カテゴリの記事

コメント

 へへへ・・。
「魚三楼」へ、去年行ってきたんです。

 母の誕生日を祝うために、予約して、姉と三人で行ってきました。
 「花かご弁当(松)」でしたが、見た目よりずっとボリュームがあって、お腹一杯になりましたヨ。

 3人なのに、10畳ぐらいの、お庭のあるお部屋に通してもらいました。贅沢な時間を味わいました。

 私のような庶民に行けたんですから、Muさんなら、大いばりで入れますヨ(笑)。

投稿: wd | 2004年11月23日 (火) 20時36分

 弾痕あとも見てきました。お店の入り口の柱にあります。

投稿: wd | 2004年11月23日 (火) 20時37分

wdさん(11月 23, 2004 08:36 午後)
 いえね、毎年四季折々に、縁のある若いもんたち30名(顧問している倶楽部新旧)ほどに、上等な京料理と、伏見の銘酒をザルで飲ませてやるには、いまの年収ではとてものこと、無理がかかるという、それだけのことですよ。ほほほ。

 弾痕跡、Muの写真でもわかりますね。

投稿: Mu→Wd | 2004年11月23日 (火) 21時16分

”魚三楼”ですか? 花籠弁当の松ですか? 宜しいなあ~~。

平均予算が1万円と書いてある。平均て何や?ここらあたりが日本的やね、米国では通用せんな。何が平均なのか?

まあ、京都はいたるところに美味しそうなお店があり、豊かな都市でありますな。今度、宇治の御蔵山の姉に聴いてみます。

しかし、目と鼻の先が御香宮なんやね、信じられん戦いやね。こんなに隣接していて対峙するとは?

ところで、Muさんは目的は御香宮、みむろはんやね。えへへ・・・。これ以上は言わんけんね。

投稿: jo | 2004年11月23日 (火) 21時17分

joさん (11月 23, 2004 09:17 午後)
 あのね。
 ああ。おお。
 それでな。
 御香宮を写している間中、逆光補正スイッチがオンになっていて、ほとんどの写真が順光やから、白っぽく飛んでしまっていたね。ソフトで修正しようにも、露光したみたいな白。
 じゃから、御香宮は、あんまり記事にできないよね。ははは。(呪いかな)

 それにしても、仲哀、神功、応神とまあオールスターの神様で、その上に、九州は香椎宮あり、御諸(みむろ)カンナビありで、御香宮を記事にするのがMuには難しい。

 ととと。当該記事は伏見奉行所でしたよ。魚三郎さんでさえ、補助記事。
 いったい、どうなっておるのでしょう。
 いわゆる談話、話の流れが逆流したり、あっちゃいったりで、こういうblog記事とコメント群の自然言語処理は、まず無理ですね。よほど知性と理性と感性のそろった読者じゃないと、人間ですら、理解しがたい。

 まあ、Jo奇人が関わるプロジェクトはすべからくそうなるのでしょうね。けけけ。

 さて、伏見奉行所。実はよく調べていない。小堀遠州が奉行だったらしいが、どうなんでしょう。なかなかに、歴史を扱うと手間暇がかかりますよね。
 たとえば、伏見の戦い。
 そのとき、奉行はどうしたのか? いたのか? にげたのか? 難しい。

投稿: Mu→Jo | 2004年11月23日 (火) 21時45分

ホ・ホ・ホ・・・・。伏見の奉行はどうでもよろしい。

それより、みむろはんやね。大海皇子(名前からして海人族やね)が壬申の乱でこの地に進軍したのは、夜中やったそうやね。

松明を掲げて地元の連中は出迎えたそうでないですか?応神天皇の御世に渡来してきた連中と違いますか?私は三輪の酒、伏見の酒がどうしても気になる。

水の都飛鳥と水の伏流水伏見の関係と木津川の運河。これは、おもろいですね。

いかん、ここは京都奉行所の話でしたね。

投稿: jo | 2004年11月23日 (火) 23時02分

先生、
 「魚三桜」懐かしいです。
 大手筋の商店街を毎日歩いて通勤していたころ、
 早出出勤の日や、半日出勤の日など、仕事帰りによく寺田屋やこの辺りをうろうろ歩いたりしてました。
 月桂冠大蔵記念館にもよく行きました。
 
 月桂冠の酒蔵の前を朝通勤で歩いていると、お米を炊くいい匂いがするんです。
 すがすがしい気分になりますよ。

投稿: 羊 | 2004年11月23日 (火) 23時23分

 伏見と灘

 日本酒のルーツを辿る旅。江戸時代まずは灘の酒が船で江戸へ運ばれた。宿場町となった伏見でも特に明治以降日本酒づくりが盛んとなった、などとGoogleは教えてくれる。

 奈良の「萬玉楼」、伏見の「魚三楼」では伏見の酒。明石の「一徳」では灘の酒。(歴史)の勉強は、そういうところで地元の酒を飲みながらせなアカンのやったね。また楽しみが増えたよ、彦さん。

 いえね、「一徳」いうのは人丸どののお気に入りの店でね。明石にあって、女将がおもしろい人でね。灘の酒と伏見の酒を飲み比べつつ(歴史)を学ぶ。悪くないねえ。

 ふ、ふふ・・・。

投稿: ふうてん | 2004年11月24日 (水) 01時47分

jo さん(11月 23, 2004 11:02 午後)
 おはよう。朝から酒談議。
 で、飛鳥の水は苑地、噴水とか人工が際だっていますね。
 伏見伏水は自然なものでしょう。
 三輪の酒になると、ようわからん。
 ともかく「ほほほ」とか、含み笑いに、Muは冷や汗。
 いかぬなぁ。
 いろんなこと考えても、JOさんはすぐに占う。

 で、大化の改新に、大海人皇子(天武)は姿も見せないのか知らん。まさに、海部族そのものの後日、天皇さんなのにね。

投稿: Mu→Jo | 2004年11月24日 (水) 04時59分

羊さん(11月 23, 2004 11:23 午後)
 おはよう。
 羊さんのニュアンスだと、このあたりをうろうろしながら通勤していたわけですね。しかし、朝の造り酒屋というか、月桂冠酒蔵なんかで「お米の匂い」とは、これは本当に、近所のMuでも未経験。得難い経験をなさっていますね。
 なれど、匂いをMuBlogで記録することは、いまのところ無理ですなぁ。

投稿: Mu→羊 | 2004年11月24日 (水) 05時04分

ふうてんさん (11月 24, 2004 01:47 午前)
 灘の酒と伏見の酒
 酒に馴染みの薄いMuには味の違いは分かりそうにもないです。
 ただね。水。
 御香宮の神殿横に御香水があって、ひとびとは容器にそれを一杯いれて持ち帰っているのです。鳥せいでも、横に水があって、鳥せいの客とは無関係に水を持って帰ります。
 暑い国のひとにはうらやましいだろうな。
 みんな、その水でご飯たいたり、飲んだり、重宝しているようです。
 鳥せいの水で、肌がつやつやニキビが消えたなんていう話が、実話としてあるくらいですよ。

 それにしても、またしても「ふうてん・明石酒話」ですね。
 酒の入った含み笑いはよしにして、明石に別荘作りなされ。
 毎週、ご機嫌うかがいに名神飛ばして行きますで。
 関東は、国立は、Muにはほんとに異境、遠いなぁ。

投稿: Mu→ふうてん | 2004年11月24日 (水) 05時17分

昨日は伏見桃山に行かれましたか。本当に良い天気でした。私はJRに乗って東福寺に行きました。
若い頃、桃山御陵の近くで2年間過ごしました。大手筋など懐かしいところです。ただなんとなく過ごしましたが、歴史のあるところだったんですね。最近、酒屋さんがいろんな店を作られて賑わってきました。「魚三楼」はずっと昔に忘年会かなんかで一度行ったことがあります。カラットした感じの良い店だった記憶があります。祇園とかの格調とは違った雰囲気でした。
つぃ、都にのぼってしまいますが、近くに由緒あるところがあるということが、遅まきながら分かりました。もっと歴史を頭において京都を見ることが肝要なんです。

投稿: hisaki | 2004年11月24日 (水) 09時32分

☆Muさんね
 Muさんがおっしゃる
「毎年四季折々に、縁のある若いもんたち30名(顧問している倶楽部新旧)ほどに、上等な京料理と、伏見の銘酒をザルで飲ませてやる」
 というのはねえ、いくらMuさんが大金持ちになられても、魚三楼というお店には、あわない話じゃないんでしょうかねえ~。

 若い人たちには、もっと京都の町中の、和服を着たちょっといかしたお兄さんが、お給仕してくれるような、お店がいいと思いますけど・・。

 話は逆でね。
「魚三楼」というのは、Muさんが退官の折にでも、Muさんを慕う、心ある学生・卒業生有志が、Muさんをご招待するお店ですよ。
 実際、友人は、大学院で熱心に指導してくださった先生を、ここへ招待し、たいそう喜んでもらいました。
 
 ですから、何年後かを、楽しみにしていらっしゃたら?(笑)。

 ☆Joさんへ
 一番安いお弁当を頼んだにもかかわらず、ビール1本・税・サービス料を含めると、かなりなお値段になりました。
 平均予算1万というのは、最低1万は持ってきてくださいよ、ってことじゃないんでしょうかねえ~。

 ☆ふうてんさんへ
 奈良の「まんぎょく」をご存じなら、この「魚三楼」もきっと気に入ってもらえると思います。

 お店のまわりは、車もよく走っているザワザワした感じなんですが、いったんお店に入ると、そこは広い土間になっていて、全くの異空間です。

 雪見障子から、手入れの行き届いているお庭を見ながら、見た目にも美しい京料理を肴に、一献傾けるというのは、ここでしか味わえない贅沢だと思います・・。

投稿: wd | 2004年11月24日 (水) 10時00分

hisakiさん (11月 24, 2004 09:32 午前)
 みなさん、魚三楼で忘年会とか、なんとか、豊かですねぇ。
 しかし現代はその方が自然だと思います。

 多くの世間の高級料亭といっても大半は、あぶく銭というか、昔なら会社の接待費(JOさんはそんなことないよ)というか、要するにタダ酒飲んで遊ぶのですから、セコイことも多いですよ。ただ食い、ただ酒は男子として恥じねばなりませぬ(ああ、歴史的にレイディは財布なんぞ持つものじゃない、というも美風あります)。

 だから老舗の魚三楼で、庶民がなにげに昼食をとったり、歓送迎会を催すのは、現代風で良いと思います。
 ただ、Muは貧しさが身にこびりついているというか、とほほ、チャーシュー麺で我慢しとるわけです。

 と、hisakiさんは都へ上ってしまうとのこと。さすがに来年は貴船、鞍馬が目玉世界になりますから、やむをえませんな。そのぶん、年末に、また大手筋の魚三楼はゆかれたらどうでしょう。

投稿: Mu→hisaki | 2004年11月24日 (水) 21時25分

wdさん (11月 24, 2004 10:00 午前)
<「魚三楼」というのは、Muさんが退官の折にでも、Muさんを慕う、心ある学生・卒業生有志が、Muさんをご招待するお店ですよ。>
 よいお話ですね。Wdさんの爪のあかを煎じて、卒業生達にのませてみたいものです。さすがに、在学生は、まだ幼く資金もなく、かつまた斯様な雅量もなく、仕方ないですがね。

 思い返せば、Muのねんごろに指導してきた最年長グループは、みなすでに齢30を超えておるのです。Wdさんの言うような、よろしき言葉は、ついぞ聞かれませぬぞ。
 ともあれ。
 Muは酒も飲めず味もわからぬ不調法故に、猫に小判。せっかくJOさんにうまいワインをおごってもらっても、きょとんとしているだけですから。
 雪見障子などみても、雪がふっておらぬと、さわぐだけの野暮天男故、まあ、学食が似合っておりまする。

 とはいうものの、魚三楼、表を通り過ぎるだけで、風情のある店ですね。祇園とか、嵐山とか、ほんとうに京都はそういう雅(みやび)ぶりが上手だとおもいます。
 私の理想とする、ガルウィングタイプ五色タイル張り泉水つき前方後円墳系別荘とはえらい違いです。

投稿: Mu→Wd | 2004年11月24日 (水) 21時40分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ふしみぶぎょうしょ:伏見奉行所跡と魚三楼:

» ごこうのみや;ごこうぐう:裏から見た御香宮 [MuBlog]
御香宮北門(京都市伏見区御香宮門前町)   MSN地図(詳細) [続きを読む]

受信: 2004年11月26日 (金) 02時48分

« 2004/11/21(日)新撰組:どうすればよいのか | トップページ | 日本・文学・小説:京は人を賤うす/中谷孝雄 »