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2004年11月18日 (木)

日本・歴史・古代:飛鳥発掘物語/河上邦彦

飛鳥発掘物語/河上邦彦著

飛鳥発掘物語/河上邦彦
  東京 : 産経新聞ニュースサービス、2004.10
  325p ; 20cm
  ISBN:4594048137
注記:発売:扶桑社
注記:カラー口絵写真、15葉。その他モノクロ、約100枚。
著者標目:河上、邦彦 〔カワカミ、クニヒコ〕
分類:NDC8:210.2、NDC9:210.33
件名:BSH:遺跡・遺物-奈良県(K)、BSH:日本-歴史-大和時代(K)

帯情報

古代日本人の実像にせまる
水の都だった飛鳥京、石舞台の下の潰された古墳群、亀形水盤は亀ではない…飛鳥発掘の第一人者が、古墳、遺跡、石造物の謎をあざやかに解き明かす
産経新聞好評連載、堂々単行本化。

目次情報
カラー口絵写真
  キトラ古墳十二支の寅の壁画[34、100]
  キトラ古墳玄武の壁画[34、100]
  キトラ古墳白虎の壁画[34、100]
  キトラ古墳の石槨[34、100]
  束明神古墳の石槨[29、30]
  欽明陵付近「欽明陵、金塚、鬼の俎、天武陵と並んでいる」[7、66]
  山田寺の東回廊の建物[49]
  石舞台古墳と破壊された小古墳[2]
  天武陵の前の列石[22]
  島庄遺跡の池の跡[64、74、76、89]
  飛鳥の風景[68]
  飛鳥京の大溝[74]
  飛鳥京の発掘された大型建物と東の山[70]
  飛鳥京の南門の跡[70]
  飛鳥京苑地[72、73]

第1章 飛鳥の古墳1(六世紀末~七世紀中ごろ)
 1 飛鳥発掘の原点……石舞台古墳
 2 古墳を造るために古墳を潰す……石舞台古墳と小古墳群
 3 飛鳥の発掘を支えた人々
 4 細川谷は蘇我氏族系の墓域……細川谷古墳群
 5 見瀬丸山古墳の調査のいきさつ
 6 見瀬丸山古墳の横穴式石室
 7 神の依る「柱」を建てる……檜隈陵
 8 石舞台古墳と双墓か……都塚古墳
 9 南側の羨道、実は奥室……真弓鑵子塚古墳
 10 『古事記』の世界……牧野古墳
 11 天王山古墳は崇峻天皇陵か
 12 白・黒の石は道教の陰陽説……ハミ塚古墳
 13 植山古墳は推古帝と竹田皇子の陵?
 14 石棺の制作時期を誤った理由……水泥南古墳
 15 『日本書紀』に記された人物の墓か……菖蒲池古墳
 16 聖徳太子廟内の井戸の謎
 17 水分入らない手の込んだ仕組み……岩屋山古墳
 18 同じ工人集団が造った「双子の古墳」
    ……岩屋山古墳=ムネサカ1号墳/小谷古墳=峯塚古墳
 19 小谷古墳と小谷東古墳
 20 西宮古墳は山背大兄皇子墓か
 21 石を転用するため潰された古墳……高取城の石垣
 22 舒明帝以降、天皇陵は八角形に
 23 風水に基づき古墳は造られた
 24 磚槨墳の被葬者は渡来系の官人層?
 25 千年以上前から山を荒らした……忍坂第8号墳の六角石室

第2章 飛鳥の古墳2(七世紀中ごろ~八世紀初め)
 26 聖なるラインは天武帝の陵園
 27 牽牛子塚古墳は川島皇子の墓?
 28 益田岩船は未完成の石造物か
 29 束明神古墳は草壁皇子の陵
 30 古代の技術……束明神古墳の設計/飛鳥京苑池の削穴技術
 31 山麓に改葬された大津皇子の墓
 32 有間皇子の墓の可能性も……岩内1号墳
 33 古墳の発掘と被葬者……マルコ山古墳
 34 キトラ古墳と伊勢神宮をつなぐ鉾……十二支像の持ち物
 35 高松塚古墳の壁画の意味
 36 辟邪の意味持つ高松塚古墳の棺飾り金具
 37 高松塚クラス、貴重な松山古墳
 38 中国の影響を受けた飛鳥時代の副葬品
 39 御物の壺は盗掘された中尾山古墳の骨壺か
 40 金銅壺の由来、もう一つの可能性……出口山古墳
 41 東国の古墳、有力豪族の墓か……武蔵府中熊野神社古墳
 42 被葬者は中央の高官?……谷地久保古墳
 43 三ツ塚のポシェット
 44 隼人石は元明天皇陵にあった?

第3章 寺院遺跡と瓦窯
 45 古墳思わせる飛鳥寺の奉納品
 46 寺と窯の関係……飛鳥寺と飛鳥寺1号瓦窯跡/川原寺と荒坂瓦窯跡
 47 太子好み? 橘寺の塔心礎
 48 誰が、何のために亀石を作ったか
 49 千三百年前のまま埋まっていた山田寺
 50 定林寺(立部寺)講堂跡は金堂跡の再建?
 51 幻の「百済大寺」が実在
 52 久米寺と奥山久米寺の関係
 53 檜隈寺の心礎は地下式の名残残す
 54 川原寺の礎石
 55 遺物数百点、川原寺の内部をほうふつ……川原寺裏山遺跡
 56 持統天皇と関係深い巨勢寺式瓦……巨勢寺跡
 57 伏鉢が語る栗原寺の縁起
 58 仏像を掘った話……石光寺の石仏
 59 岡寺・三重塔の軒下につり下げた「琴」
 60 岩屋と鹿谷寺跡は石切場

第4章 飛鳥の宮殿と苑地
 61 どこにあった「小墾田宮」
 62 「文様石」は小墾田宮の呉橋か
 63 文様のルーツ求め中国へ
 64 石神遺跡
 65 道祖神像は長寿のシンボル
 66 猿石が豪族や各国の使者を「歓待」?
 67 「顔石」は半仏像の作りかけ
 68 飛鳥に都市計画はなかった
 69 時空散歩……飛鳥浄御原宮へ
 70 伝飛鳥板蓋宮を掘る
 71 「エビノコ大殿」は殯宮
 72 天武帝造営の苑地「白錦後苑」か
 73 苑池に置かれた石風呂?
 74 水と飛鳥京
 75 木ぎれの層から木簡が…
 76 宮殿を含めた外苑だった嶋宮
 77 嶋宮の位置を探る……東橘遺跡
 78 絵馬のルーツは水神信仰……土馬
 79 稲淵宮殿遺跡は斉明天皇の殯宮?
 80 『日本書紀』を証明した砂岩……酒船石遺跡
 81 両槻宮の軍事施設を裏づけ
 82 日本の都城のルーツ

第5章 飛鳥の各施設と屋敷
 83 飛鳥のカムナビはどこか
 84 「亀形水盤」実はスッポン……酒船石遺跡
 85 「日本書紀」の「漏刻」……水落遺跡
 86 飛鳥池遺跡の銅銭は富本銭
 87 甘樫丘に「大化改新」の跡?……甘樫丘東麓遺跡
 88 上山遺跡の穴は「氷室」か
 89 幻の嶋宮・島宅
 90 海柘榴、軽市に思いを馳せる
 91 飛鳥の入り口守る烽火台……カシ谷遺跡
 92 鉾削寺とホラント遺跡
 93 観覚寺遺跡に渡来人ほうふつ
 94 カタソバ遺跡は忍坂宮の一部か
 95 誰の宮? 大規模な水祭祀場跡……上之宮遺跡の導水施設
 96 大きく取りはずし可能な殯屋……中山の大型建物
 97 阿騎野へ狩猟、行宮のような施設……中之庄遺跡
 98 平群町に聖徳太子の離宮?……西宮遺跡
 99 太子道
100 今、飛鳥で
あとがき

Mu注記
 しばらく休憩:目次打ちは肩を壊しそうになるのです。

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コメント

河上先生は巨匠ですね。橿考研の重鎮ですね。

面白そうやね、酒船石遺跡の亀の風呂は意見が別れますね。私は、弥生の頃の銅鐸文様から古い亀の伝統文様だと思います。

スッポンだという説も有ります、確かにまん丸やさかいね、しかし、ウミガメかも知れんし弥生時代の銅鐸文様の影響に軍配を揚げたい。

投稿: jo | 2004年11月18日 (木) 11時42分

JOさん
 もよもよと時間がたって、やっと机上に向き合う午後になりました。
 で、この飛鳥発掘物語ですが、名著となり、飛鳥散策のバイブルになるような、というか、それに耐える良書と思いました。
 あとで目次を全部打ち込みますが、全部で100の見所にわかれていて、それぞれが3ページで、写真付き。
 一般のガイドと異なるのは、河上先生の蘊蓄というか、主張が随所にあることですね。薄められたわけのわからない、いわゆる客観性よりも、書いた人の主張が快く響いてくるのが良いですね。

 というわけで。◎。(どうも、教員していると、大家重鎮も学生も素人も関係なく、◎○△□×、を自然につけてしまう)

 なお、酒船石はですね、これは、Muも一杯考えがあります。JOさんとも、河上センセとも、違います。(いつもの、ドタバタ宇宙人説じゃぁ〜ないですよ)

投稿: Mu | 2004年11月18日 (木) 15時27分

 おもしろそうな本ですね。

 この秋、キトラ古墳にも立ち寄ったので、口絵ページが気になりました。
でも、今のキトラ古墳は、コンクリートの被覆建物に古墳全体が覆われていて、見る影もありません。
とっても、ちっちゃい、可愛い古墳なのに~。

 キトラの壁画2枚は、うまく剥がせたそうですね。
来週日曜のNHKスペシャルを楽しみにしています。

 「11月21日(日)
   石室開封
  ~キトラ古墳・壁画修復への挑戦」


 酒船石って、スッポンを形どってたんですか?
 あの石のまわりの、石畳の意味も興味あるところです。

投稿: wd | 2004年11月18日 (木) 16時58分

WDさん
 おっしゃるように、カラー写真があるのが嬉しいです。
 もっとも、Muは、実は、おどろくべきことに、高松塚もキトラも、それほど興味があるわけではないのです。
 自分でもよう分からないのですが、なんとなく、新しい衣装にみえて、というか、うむ。そういうことです。

 Muは勿論古墳が好きですが、それより、苑地、苑池ですね。石の組み合わせと、池と水と滝、ぞくぞくします。
 多分、幼少期より、そういう庭を持ちたかったのだと思います。生涯無理なようですから、飛鳥をわが庭にするか、金魚鉢に水車でもいれて、楽しもうと思っています。

 Muは、酒船石や山を石垣でかこんだ、斉明女帝の気持ちがよう分かります。逃げ場所であり、かつ、清浄空間だったんでしょう(河上センセは、両槻宮というのは、軍事施設と考えておられます。Mu流にいうと、堅固な要塞、逃げ場所ですわな)

 ああ、キーボード、肩が痺れるのでこれくらい。

投稿: Mu | 2004年11月18日 (木) 18時06分

Muさん
wdはん

先ず、Muさん、症状が出てきたようなので、数日間Blogは休憩しなされ。その間、私が顧客対応しておきます。え?無理や?と聞こえたような聞こえないような~~。

酒船石の遺跡の発掘は大きな古代史解明の前進ではないでしょうか?斎明天皇の関連歴史事跡が少し、解明されましたね。

両槻宮(ふたつきのみや)に間違いはないでしょうね。祭礼の場所が亀の風呂がある場所。(風呂なんて言うと古代史の先生に殴られるな。禊の場所です。)

スッポンとも亀とも未だ決まっていません。私は亀説を採ります。
足の指が4本しかないのは、デイフォルメでしょう。Muさんの説は又違うようですね、想像するに噴水説やろと思います。

さて、苑池遺跡ですが、これは以前私も書きましたが、NHKが特集を組みました。水を知り尽くした土木技術と噴水、トレビの泉もビックリです。

桃の木とか薬草が植えられ、植物園であり薬草園でした。この池の構造分析で本当に驚きましたね、地下水と池の水位の調整機能です。

明日香は奥が深いです。

投稿: jo | 2004年11月18日 (木) 20時04分

JOさん
 お早うございます。
 よくねむりました(毎夜のことです)。

 で、スッポン料理もよろしいが、MuはそのNHKの放映を見たくて仕方ないのです。ある年の正月頃かな、ほんの数分、ちらっと見た記憶があるのですが、お屠蘇で頭がぼやけていて「きれいやなぁ」と、寝てしまった。
 TV内容は、ときに良い物があるのですが、図書以上に検索に手間取ります。
 まあ、みずからがレファレンス・ライブラリアンに変身して、捜しては見ますがね。(紺屋の白袴。自分のを捜すのは、面倒や)

投稿: Mu | 2004年11月19日 (金) 04時23分

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