« ながさここうえん:長迫公園:旧海軍墓地 | トップページ | 原田勝遺贈・ミーム:ミーム・マシンとしての私/スーザン・ブラックモア »

2004年11月30日 (火)

原田勝遺贈・計量書誌学:Citation indexing/Eugene Garfield

Citation indexing : its theory and application in science、technology、and humanities / Eugene Garfield. -- (BA00598180)
  New York : J. Wiley、c1979
  xxi、274 p. ; 26 cm. -- (Information sciences series)(A Wiley-Interscience publication)
  注記: Bibliography: p. 235-239 ; Includes indexes
  ISBN: 0471025593
著者標目: Garfield、Eugene
分類: NDLC : UL681 ; LCC : Z697.S5 ; DC : 029.5
件名: Science -- Abstracting and indexing ; Technology -- Abstracting and indexing ; Humanities -- Abstracting and indexing ; Citation indexes

所蔵図書館 78 [2004/11/30 By NACSIS Webcat]

以下作業中

帯情報
目次情報
Mu注記
 1981年6月10日付けの、原田勝先生宛、ガーフィールドによるサインがある。
 崩した筆記体なので判別しがたいが、大阪の紀伊国屋関係のパーティで、原田先生とガーフィールドが語らったようである。当時の紀伊国屋書店がISI社と密接にコンタクトを取っていたのは覚えている。Muもそれより数年前に、京都大学数理解析研究所図書室に訪れたガーフィールドを見かけた淡い記憶がある。

 1970年代には、この図書室でも高額なSCI(Science Citation Index)を購入し、司書達は縦横無尽に使いこなしていた。Muも触ってみたが、本当に扱い易い索引だった。特に、会議録の各発表を探し出せたことを、今でも驚異に思っている。
 現代は、すべてデータベースとして扱われているのだから、その豊潤さは当時の何倍にもなっていることだろう。

 ガーフィールドの功績は、単純明快さと工夫による成果として、Muは今でも好ましく仰ぎ見ている。引用関係の蓄積と応用という実に単純な方法論でこの世の(この場合は学術世界に限るだろうが)複雑さを明解にした功績は素晴らしい。

 原田勝先生は1981年、そのガーフィールドと直接に話しておられた。

|

« ながさここうえん:長迫公園:旧海軍墓地 | トップページ | 原田勝遺贈・ミーム:ミーム・マシンとしての私/スーザン・ブラックモア »

原田遺贈文献」カテゴリの記事

コメント

1981年6月か~~~? 私が米国に赴任したので、1982年1月やから、その半年前ですね。

私が自律神経の失調で精神・身体ともに疲弊していた頃ですね。

計量書誌学という学問の分野があるんですね。私の学生時代には経済の分野でも計量経済学という分野が開拓された、時代でしたね。

パソコンが開花する前夜のような時代ですね。ガーフィールドというと、不謹慎やけど、お笑いの『猫』でガーフィールドという奴が、米国で当時、流行してぬいぐるみで販売されており、我が家にも有りましたね。

原田先生はやはり、先駆的な研究をされていたんですね。

投稿: jo | 2004年11月30日 (火) 13時56分

joさん、 (11月 30, 2004 01:56 午後)
 Joさん、ややこしい話ドスが、ガーフィールドを計量書誌学の範疇にいれるのは、?なんです。
 むしろ、引用索引という、独立したキーワードがあると考えた方がよろしな。
 だが、Muは例によって、つむじ曲がり(ほんまに、つむじがまがっているのかな?)やから、あえて、引用索引の膨大なデータをしかるべく処理すると、それが計量書誌学なのじゃ、とわめいた結果が、これなんです。
 だから、そういう内輪の細かな話は忘れてくだされ。

 それよりも、原田センセは、こういう世界が好きなんですな。先駆的なんはつねに事実ですが、そうしたくて、そうなったんじゃなくて、原田センセの好きなことが、たまたま、こういう業界では極めて遅れていたというのが事実ですな。
 ガーフィールさんの考えは、魔術でも目くらましでもないし、ましてトンデモ理論でもない。ただ、トイシステム(おもちゃモデル)では誰にも理解できないから(そこが不思議。人は眼前にあっても見えない!)、会社つくってしまったんです。偉いね。
 ……

投稿: Mu→Jo | 2004年11月30日 (火) 14時24分

今日ね、どういう訳か昭和48年に書かれた論文『不可視図書館論 序説』を読んでいたんどす。

しかし、驚いたね~~この時代にインターネット時代の電子図書館の基礎になるような、事を考えていた人がいたんですわ。

ネットワーク論は一応、私も専門の分野ですから少し論評しても怒られんやろと思うので、言いますけどね。確かこの頃は未だ米国でもインターネットの基礎となった、アルパアネットとか国防総省のネットも未だの頃やとちゃうかね。

何がいいたいのかというと、古代の論文も実は大層価値がある、むしろ、埋もれている。最新の論文だけを勉強しても『あかん』という事をいいたいのです。

投稿: jo | 2004年11月30日 (火) 14時37分

joさん、 (11月 30, 2004 02:37 午後)

 なけるような話じゃぁ、ないですか。実世界でネットワークにまみれ、今や大成したJo社長が、およみになるのが、昭和48年じゃなくてぇ、1976年(昭和51年かな)の古代論文ですか。
 一体、その『不可視図書館論 序説』とかいう、けったいなタイトルの論文をお書きになられた方は、どこのどなたさんでしょうかね。一度、おめにかかりたい。まだ、存命でしょうね?

投稿: Mu→Jo | 2004年11月30日 (火) 14時46分

1971年でしたか? およそ30年前の論文やね。

私は35年前にジェームス・マーチン『オンライン・リアルタイム設計』という本で勉強していました。そんな、大昔の時代でんがな。

今の言葉で言えば、『仮想図書館論』となるでしょうね。しかし、言いたい事は同じ方向です。未だ、金持ちの銀行でも200ボーの専用回線でコンピュータを繋いでいた時代でんな。

著者はようしらんけど、最近はblogに凝っていて推理小説も書いてる噂を聞きます。

投稿: jo | 2004年11月30日 (火) 15時09分

 (あたしも、その論文読んだことある~~!)

 メチャ内容が難しくて、最後のお礼の言葉しかわからなかったような・・記憶があります。(誤解がないように言っておきますが、読んだのは30年前ではありません!)

投稿: wd | 2004年11月30日 (火) 16時11分

joさん、 (11月 30, 2004 03:09 午後)
 Muは、若い頃ね、200ボーじゃなくて、150ボーくらいの音響カプラーちゅうのかね、電話の受話器にそのまますっぽりかぶせてやるの、あれで、大型計算機センターにあった、F社のファコムなんちゃら(230かな)マシンに接続しとりましたで。
 FAIRSとかいう、文献情報タイプのデータベースシステムでな。もちろん、F社の自製。あはは。同じころ、にたようなことしとったんや。
 梅翁の、初期はしりませんのや。あのひと、FM−7にとりかかるまで、どこでなにしとったんかな。丁度20代の末から30代の初め。

投稿: Mu→Jo | 2004年11月30日 (火) 16時28分

昭和44年の頃は50ボーでしたよ、音響カプラー使用してましたね。

電送する内容はだから、本当に必要なものに限られた時代です。回線料金もメチャ高価でしたのでね。

FAIRSなんて懐かしいな~、それは確か『シス開』の連中で今でも現役で何処かの専務とか欧州の合弁会社の社長とか巣鴨方面の会社の専務とかしてますな。

梅安さんの出自は不明なんや、斉藤道三とか北条早雲と同じでよう判らんのやね。多分、油を売っていたんではないか?
と、想像されますがね。

投稿: jo | 2004年11月30日 (火) 16時49分

joさん、 (11月 30, 2004 04:49 午後)

「梅安さんの出自は不明なんや、斉藤道三とか北条早雲と同じでよう判らんのやね。」
 これは、意外というか、ミッシングリンクというか、盲点というか、いま解き明かされる梅安の出自!
 
 ほんま、わけのわからん会社やね。
 人事簿に名前、あったんやろか。
 うーむ。
 あしかけ20年ほどつき合いがあるのに、卒業以降の10数年のことがわからん。おかしい。変や。

投稿: Mu→Jo | 2004年11月30日 (火) 17時11分

wdさん、 (11月 30, 2004 04:11 午後)
 仕事しながら、ときどきblogみてるから、JoとMuの間に3行コメントじゃ、気づかなかった。しかし、勉強家ですな。よんではりましたんかい。Muは、よんだような淡い記憶があるんですが。

投稿: Mu→Wd | 2004年11月30日 (火) 17時15分

 油売ってました

 そこまで迫られて黙っているのも何ですので少し、お話ししましょう。隠しておくほどのことでもございませぬ。

 一つ、就職して2年目に結婚しました。貯金というようなものは一銭もありゃしません。友達に借りた5万円だかはまだ返しておりません。誰に借りたかも忘れました。敵も忘れていることを期待しております。その5万円はおそらく結婚式を行った伊予松山へ帰る為の旅費に使ったと想像されます。

 一つ、子供ができなかったので女房も嫌々勤めに出、稼ぎは全部二人で小遣いとして使いました。今よりは遥かに豊かでした。そのお金で映画を見て本を読んで音楽を聴いておりました。子供がいないからシートは2つしか必要ないよねとロシナンテを買いました。そんな生活が10年続きました。

 一つ、その間、会社脱出を試みました。その1は医学部を受け直しました。30歳を過ぎていました。泊まったホテルの朝のバイキング形式の食事で子供のようなガキばかりなので嫌になりました。その2は黒沢明の(影武者)のオーディションに応募しました。せっかく砧の東宝撮影所まで願書もってこい言うんで持っていったのに書類選考でチョンでした。アレ何の為に直接もってこい言うたのか未だに理由が分かりません。

 一つ、就職して12年くらいのとき当時とっていたアメリカの(Byte)という雑誌を見ていてLogoというプログラミング言語に出会いました。それの調査と称してアメリカに初めて出張して東西南北経巡りました。そういうことがきっかけとなってパソコンの泥沼に引きずり込まれました。

 こんなところでよろしいでしょうか。これでは説明になっていない?まあパソコンというのは妙なものでして、なんせパーソナルコンピュータでございますから相手は個人、人間様でございます。人間の持つ摩訶不思議な要素のいろんなことを知っておった方が役に立ついう面があるのでしょう。無駄に過ごした12年間がパソコンやるようになって無駄ではなくなったのでございます。当人にとってもまことに不思議な(こと)の成り行きでございました。

 Logoを持ち歩いていたころ京都の彦さんにずいぶん助けられたことも併せて報告しておきます。勿論JOさんとの縁もパソコンでしてアメリカ駐在員の経験活かしてずいぶん沢山の力のあるソフトハウスを巻き込んでくれました。

 こんなところでしょうか。

投稿: ふうてん | 2004年11月30日 (火) 18時17分

ふうてん さん、 (11月 30, 2004 06:17 午後)
 貴重なコメント、こころから感謝を述べます。このコメントは風雪梅安一家一代記を記すにあたり、第一級の伝記史料となります。

 なぜ、原田センセ記事にこれが付いたかは、だれにもわからない、Muにもわからず、気が付いたらこうなっておりました。日常の会話、恋人同士の会話、諸外国代表者同士の会話も、歴史の中ではえてして、あれよあれよというまに、異次元にもつれ込んだ事例もあることと思います。

 梅翁の諸項目の真偽判定はともかくとして、あなたが医者になっていたら、Muは怖いですな。ドクホリデイみたいなOK牧場の決闘ですがな。

 あなたがオーディションに合格していたら、いまごろ新撰組なら、そうですな、うーん、あのにやけていた佐久間象山なんか、ピリッと変わって似合っておったかな。勝海舟もよいのだけど、梅翁は大柄ですからな。しぶいとこで、芹沢鴨のそばにいた新見さんなんか、ニヒルでよろしいな。
 全部駄目なら、近藤さんや。

 おあとがよろしいようで。

追伸
 LOGOですがな。ペパートでしたかな。そうそうSONYもカンカンになってLogo載せてました。あのときの、えっと、井深さんとかいう創業者のひとが、Logo好きちごたかな。
 おお、往年をおもいだすと、涙ぐむ歳になってしもうたわい。

投稿: Mu→ふうてん | 2004年11月30日 (火) 18時48分

人に歴史あり。人生万感の思いであります。

しかし、類は友を呼ぶと古人曰く。Muせんせも、艱難辛苦の人生を経験されたに違いない。Joだけが、皆様のおかげで現在生きております。

しかし、斎藤道三が本当に山崎の油座の神人で栄楽銭かなんかの、銭の穴に油を通過させる芸をしていたんでせうか。一芸に秀でるとは、大変ですよね。

梅安さんが、いまだにロシナンテにお乗りなのは、今日の話で合点がゆきました。

投稿: jo | 2004年11月30日 (火) 22時48分

joさん、 (11月 30, 2004 10:48 午後)

 ふりさけみれば。
 団塊熟年老翁のblog遊びが、風雪梅安一家の、余生の一芸になるんやで、きっと。
 まあ見てなはれ、blog用にあれこれええソフト作りますよ。

投稿: Mu→Jo | 2004年11月30日 (火) 23時22分

誤字でした、永楽銭の間違いです、済みません。

ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に
いでし月かも

確かこの句について、昔、梅安さんが記事を書いていたような記憶がありますね。

以前、梅安さんと、若草山に登って東大寺を眺めたような記憶も有りますね。違ったかな~~、記憶がはっきりしませんね。blogに記録しておくと、こういう事がないんですね。

cocologは150メガ越えると、動かなくなるそうな、ホンマ困ります。もう120メガを越えましたので、年末にblog大掃除をやらんとあかんのです。

投稿: jo | 2004年12月 1日 (水) 10時36分

joさん、 (12月 1, 2004 10:36 午前)
 Muもさきほどココログのヘルプで調べてみたが、容量を超えたときの定義やその他を発見できなかった。おそらく、パンクするのでしょうね。

 十年以上続ける予定なので、改良案を考えています。
1.ニフティー・ココログに要望書を出す。
1.1 容量の純増;150メガ→1GB
1.2 別のカウンターを月に100円程度で出来るようにする。それなら、MuBlog2005とか、MuBlog2006とか、順調にのばせる。

2 自力更正
2.1 自前のサーバーを開設し、ニフティ・ココログと縁切り。
2.2 自前のサーバーを開設し、ニフティ・ココログは索引にする。本体の、特に画像や今後の動画は自前にのせる。

3 他blogの利用
 他の無料blogを次々と開設し、索引機能をニフティ・ココログにセットし、本体は分散配置する。

 索引機能とは、たとえば記事のタイトルやカテゴリやリンクやトラックバックなどをココログに整理整頓しておくことを指す。

 以上どれかにするつもりです。
 なお、比較的使っている割には、現在ニフティー・ココログは50MB程度ですから、来年の夏くらいまでは行けそうですが、座視するとそれで終わりですね。困ったことです。

 文中、ココログを索引代わりにすると書いていますが、ココログは安定性が高く、信用できるので、主看板をココログに残したいという気持ちがあるからです。本体部分は、バックアップを取っておけば、どこにおいておいてもよいでしょう。知名度からのタイトルへのアクセスや、カテゴリやリンク、トラックバックの複合体を、安定して保管、機能させるには、ココログは安心できます。
 ただ、150MBじゃねぇ。(笑)

投稿: Mu→Jo | 2004年12月 1日 (水) 13時04分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22035/2110141

この記事へのトラックバック一覧です: 原田勝遺贈・計量書誌学:Citation indexing/Eugene Garfield:

« ながさここうえん:長迫公園:旧海軍墓地 | トップページ | 原田勝遺贈・ミーム:ミーム・マシンとしての私/スーザン・ブラックモア »