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2004年11月21日 (日)

2004/11/21(日)新撰組:どうすればよいのか

 もうため息もつかず、日曜夜の新撰組を観ている。
 まとめて人が死んでいく。
 哀しさが次々と眼前を通り過ぎていく。
 哀しみよこんにちはではなく、次の哀しみのために、今の哀しみよさようなら、という感じだった。

 かくして明治維新の初っぱな、鳥羽伏見の戦いもふくめて、歴史に必然性があったとは思えない。
 ずっと、必然として御一新を向かえたと思いこんでいたのだが、それは後智慧。
 おりおりの判断で右にも左にも歴史が変わっていった。
 あとからみれば分明でも、その時当事者達は右往左往した。
 
 Muが慶喜ならば。
 大阪、京に出立したとき覚悟をきめていただろう。それは将軍職に魅力を持たなかったからだと思う。だれが見ても後始末役に見える。Muは迷いすぎて、やがて迷うのに疲れる。
 大阪で、
 江戸の海軍を呼び寄せ、城と艦砲射撃(そういう力はあったはず)で、錦旗を打ち砕く。
 勝海舟や榎本武揚なら、命をうけるだろう。
 新たな錦旗をつくり、会津兵に持たせる。
 新撰組は敗残兵を集め、新撰組・遊撃隊とする。
 伊勢から畏くも天照大神さまを大阪城に一時お招きする。
 朝廷には資金を渡し公卿を窓口とする。三条公雪辱の機会。
 三種の神器奪取。
 上御一人を、難波の宮にお連れする。
 薩長討伐の詔。

 薩長と、淀川をはさんで決戦。
 勝利時は、薩長解体、朝廷ミヤケとする。列公会議議長となる。もう一つの明治維新。
 敗北時は、江戸へ退却。善後策を練る。
 この間、列強干渉を避けるため勝海舟を全権委任大使とし、各国と交渉。 
 
 列藩が徳川治世にあきあきしていたかも知れない、とは思ったが。
 黒船が来たから幕府が滅びたわけでもないだろう。
 もし必然があったなら、単純素朴な経年変化、国の中心を支えるには古くなりすぎた、というわけだろうか。
 鎌倉幕府1192年→200年→室町幕府1392年→200年→江戸幕府1600年→260年→明治1868年
 歴史の方向に必然はないと思う。
 長き治世がほころび、飽きてくるのだろう。
 正義も不正義もあとでの理屈合わせ。
 「勝てば官軍」とは、よくぞ言ったものよ。
 当事者達には一寸先も闇。

 だから、一本気な会津藩主松平容保(かたもり)も近藤勇局長も、時代に殉じたというのが分かりやすい言葉なのだろう。近藤勇は斬首となり、容保は明治十三年に東照宮宮司、明治二十六年没した。

 土方と斎藤の組合せがやけにぴったりしていた。
 斎藤一は、明治を生き残り、端座して死んだと聞いたことがある。
 彼の胸中を想像した。
 20代のことは60、70になっても昨日の夢。
 不思議な男だ。

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コメント

歴史は気まぐれです。Muさんが何で女子大の先生をしてるのか?
何で梅安さんは、傘張り浪人をしているのか?何でjoは虎ノ門で法螺を吹いているのか?

これら全て、何かの些細なきっかけで、そうなってるだけ。男と女の出会いも同じやね、必然性なんて何も無い。

歴史家は過去をあれこれ理屈つけるけど、現実の歴史を創るとは、ほんの些細な事で決まるのかも知れない。

慶喜さんには申し訳ないが、常に逃げ道を作りながら行動した節があると、司馬さんは”最後の将軍”で述べていましたね。インテリはあかんね。まずいな、Muさん学者やったな。(笑)

せめて、Muさんが言うように戦うべきでしたね。大海皇子が壬申の乱で箸墓古墳に参拝して必勝祈願をしたそうですね。お伊勢さんと、日巫女はんを担いだら良かったのにね。

参謀があかんかったね、というか、慶喜さんは頭が良すぎて参謀がいなかった。今の何処かの首相さんもお願いです。

投稿: jo | 2004年11月21日 (日) 22時40分

JOさん
 すまないね。眠っておりました。
 さっき、日曜夜か月曜朝にくるエビスからの長メル音に起きて、またうとうとしてたら、Joさんコメント。
 夜は10時が限界やね。
 眠り病かいな。

 ところで、NHKキトラはビデオにおさめてあります。
 後日みてみます。
 
 おっと、慶喜さんのことかいね。
 最近、林房雄さんという昔の人の『大東亜戦争肯定論、上下』を再読はしていないが、眺めておる。
 MuBlogに解説を出したら、きっとヒステリックな闇討ちメルがくるやろうね。昨今の時勢をみていると、大東亜・戦争・肯定、なんてどんなメディアにも出てこない。あはははは。
 戦前の○○や△△新聞を読んでみたら分かるが、つい70年ほど前にそういう言葉を躍起になって流していたのもマス・メディア。

 ・・・小林秀雄流にいうと、賢いインテリ崩れが多すぎる。
 逃げ道がありすぎて、ときどき変な逃げ方するけどね。
 逃げ道は、一つや二つは作戦要諦として必要だけど、逃げ道だらけというのは逆立ちした考え、生き方やな。

 されば。
 歴史にifはあった。今もある。
(MuBlogで自己検証し出してから、随分宗旨変えが激しくなって、つまるところ、先祖返りしだしたようだ)

 歴史は、ちょっとしたことで雪崩れる。
 いまあるifをちょっと違えれば、地獄にも極楽にも行く。
 しかも、立ち止まっていたら狙撃される。

 もう少し、歴史を学んで、過去事例を確認し、ケースを把握して、今を生きることにします。
 マスメディアも、大衆の叡智も、識者の意見も、現代の良識も、世間体も、なんにも役には立たない。

 自今以後、錦旗は自ら造ることにする。

 ねむさで、朦朧、一筆返上文。Mu。

投稿: Mu | 2004年11月21日 (日) 23時32分

是非そうして下さい。『錦旗』は自ら作る。これ、明言やね。

私もいい加減、齢を重ねたのであまり廻りを気にしないで生きる事にしたい。なかなか、難しいけどね、扶養家族が未だ多いもんですからね。

しかし、未だ未だ私も捨てたもんでは無いと最近考えてるんです。これからも、大器晩成で幾らでも『おもろい事』に挑戦出来る気がするんですね。

それには、『覚悟』が必要という事ですね。

投稿: jo | 2004年11月22日 (月) 12時52分

JOさん
 基本的に、死ぬときは一人です。
 地位も名誉も肩書きも金も、友も家族も、なんにもかにもなくなって、おさらばです。
 だから、生きている間は、一回限り。単純ですね。

 で、バランスの問題です。
 やりたいことをやりたいようにすると、ぶつかりがある。だから、必要以上にぶつかり回避を人はする。逃げですね。
 やりたいことが、やれるのと、ぶつかりを回避するバランスが、多少以上に前者に比重がかかるだけです。
 ぶつかるより先に、ぶつかってもすり抜ける、はねとばす、そんな勢いで、余生をじっくり生きてみたい。
 それが錦旗。

 命かけるわけじゃない。
 思い切り、覚悟性。

投稿: Mu | 2004年11月22日 (月) 17時13分

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