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2004年10月22日 (金)

ながたにはちまんぐう:長谷八幡宮

長谷八幡宮(京都市左京区岩倉長谷町)MSN地図

長谷八幡宮参道
 十月上旬の日曜日、思い立って京都市の北、岩倉へ行った。点から点の移動で、まさしく、行った、見た、帰った。であった。
 岩倉と言えば明治の元勲岩倉卿である。私の父の若き日通った、帝都「岩倉鉄道学校」に岩倉卿が深い縁があったとは、驚きだったが、この記事は「長谷八幡宮」に関してのもの。
 最初に、ここは「ナガタニ」であって、決して「ハセ」ではない。長谷と書いてあれば自動的に、こもりくの初瀬、ハセとなってしまう少年期をすごしたが、しかし、あくまでナガタニ・ハチマングウ。
長谷八幡宮由緒高札
 由緒高札は判読できなかった。いちいち史料と引き合わせたり、調査すればそれほど難しい内容ではないが、ともかくそのまま掲載しておく。
 祭神が惟仁親王と、仁徳天皇であることが分かれば、私程度の者には十分である。神さんを間違えるのはよくないが、細かなことは忘れてしまうものだ。

長谷八幡宮の舞台と本殿
 境内中央にある舞台が目を惹いた。形もよく、本当に真ん中にあって、周りのもろもろを一手にひきうけて、本殿に尽くしているという感じだった。
 舞台と書いてしまったが、本当は何なのか知らない。
 巫女さんが神楽するところだと思っている。
 灯籠踊りというのも、あると記されていた。頭に巨大な灯籠をのせ、白帷子に赤い帯を垂らして、終夜踊り狂うとか。
 いささか妖艶である。
長谷八幡宮本殿の絵馬
 絵馬の数はそれほど多くないが、すべて表面が風雪に削られて、年月の長さを見せている。
 江戸時代のものもあるらしいが、判別できなかった。

長谷八幡宮の裏山
 裏山をみて感動した。深山幽谷という、一種の幽冥を思わせるのではなくて、清浄で、明るく、どんどん歩いていっても疲れない、危なくない、神様の散歩道という風情だった。
 おもいだすと。奈良県天理の石上神宮(いそのかみ)の裏山、というよりも、その周りの森に雰囲気が似ていた。
 ともかく、京都の岩倉に、こういう氏神があったことを、私はずっと知らなかった。

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コメント

知りませんでした。京都は本当に名所旧跡の宝庫ですね。

しかし、惟仁親王を祭神とは少し変ですね。清和天皇になられたお人ですよね。藤原良房が全盛の頃の話ですから、何やろ?

それに、あとから仁徳天皇を祭るなんて、これも取ってつけたようで変です。よう判らんです。

仁政の誉れ高い豊かな国を築いた時代の守護神として、歴史上は仁徳さんと並び立つ平安京の繁栄した時代のシンボルなんやろか?

Muはんは何故、この神社に行かねばならなかったのか?ミステリーやな~~~。

投稿: jo | 2004年10月22日 (金) 09時34分

JOさん
 いつも使う平凡社の寺院寺社大事典では、祭神はなんと「応神天皇」なんですよ。八幡ですからね。

 行った理由は、行きやすいこと(私、車はしらせるの命)、それと有名な現代歌人がこのあたりの散策、良さを記されていたのが目にはいった次第。

 この穏やかで生き仏のわたしも、時に、激情に駆られて夜中に紙ハサミで断髪したり、車で終日走ることもあるのです。
 理由なんて、単に「血がさわぐ、滾る」でよいのじゃなかろうか。のう。

投稿: Mu | 2004年10月22日 (金) 09時40分

 長谷八幡宮は、よく知らないのですが、舞台の写真を見て、こんな舞台のある神社見たことがあるなあ~と思いました。

 奈良豆比古神社でした。これほど立派な舞台ではありませんが、そこでは「翁舞(おきなまい)」が舞われるそうです。
 志貴皇子を祀った神社です。

 

投稿: wd | 2004年10月22日 (金) 10時07分

WDさん
 実は、最近まで、神社の舞台はあまり気にしなかったのです。たしかし、方々にあるのですが、視界にはいらなかった。
 で、長谷をみて初めて、「すごいな」と思った次第です。
 その、奈良豆比古神社、後日少し調べておきます。

投稿: Mu | 2004年10月23日 (土) 20時32分

長谷八幡は惟喬親王の勧請という説もあるようです。
惟喬親王が隠棲された小野の地とも近いですし、惟喬親王となんらかの関係があっても不思議ではないような気もしますね。
惟仁親王が祭神というのは、ちょっと違うような、伝承の間違いか何かではないでしょうか。惟仁親王ならば清和天皇としても良さそうですし。
案外惟喬親王を祀る神社であったかも、などと想像を逞しくしています。

投稿: 380 | 2004年11月11日 (木) 16時47分

380さま
 丁寧なコメント有り難うございます。
 たしかに兄弟ですから伝承に乱れがあるのかもしれません。惟仁親王だと、まるでナポレオンの若い頃の頭蓋骨話になりますね。清和天皇ですから、なんとも変な話です。
 左京区の小野に隠棲した惟喬親王さんだと、思量します。

 素人考えでは、駒札内容は信用します。私は一般的に信用してきました。関係者がある時点でそう書いたのだから、まずは信じる。ですが、そのあといろいろな間違いや、伝承の派生があっても、それもそれと思ってきました。

 今回は惟仁(清和天皇)のことも、仁徳天皇のことも、少し腑に落ちません。前者は、惟喬親王でよいと思いましたよ。

 今後とも、よろしく。

追伸
 ただし。専門家とか、あるいは門外漢の私でも指摘されて調べればすぐに分かるような伝承は、これはこれで興味が湧きます。「何故なんだろう」と、すぐ思うのです。

投稿: Mu | 2004年11月11日 (木) 19時08分

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