森博嗣『φは壊れたね』
森博嗣が新しいシリーズをだした。
シリーズ名は講談社ノベルズにも明確にはないし、噂話も耳にしていないので、取りあえず「ギリシャ文字」「記号」シリーズにしておくとする。短く「Gシリーズ」がよかろうか。
というのも、この図書はφ(ファイ)だが、次作予告は「θ(シータ)は遊んでくれたよ」になっていた。
仮称Gシリーズの第一巻『φは壊れたね』(講談社ノベルス)は、φに騙され、犯人に騙された。これでもいくつか森博嗣や他のミステリを読んできたので、それほどひっかかる事はなかったはずなのだが。一気に読了後、「どうしても、騙されやすい私」という自覚が深まるばかりだった。
何故騙されたのか。
私は途中、てっきり別の人物を事件の犯人と、誤認した。
そして、まだ騙されているのかも知れない、という不安。
作家とは本当に、物騙る人なのだろう。
ここでどのように騙されたかを記すのは、大逆的破廉恥行為なのでやめておくにしても、それにしても最初からめどを付け、第4章冒頭では確信的に騙されました、と書くくらいは作者も講談社もゆるしてくれるだろうか。(許さぬ!、と空耳)
似た事例では、S&Mシリーズ第二巻『冷たい密室と博士たち』でも遭遇していた。などと書けば書くほど、ファンやコアなマニア以外は「何の、寝言を」と思うだろうし、普通の純正ファンならよってたかって「許さぬ、二度とblogに書くな」と、いわれそうであるな。
だからもう、犯人がどうの、あれがこうの、そんな些事・小事はよしましょう(笑)。
そこで。
森博嗣作品では、最近とみに「哀しみ」を味わうようになった。『四季』がそうであった。私は詩がわからないので彼の詩集は買っていないが、森は詩人なのだろう。そして、ずっと哀しみがあった。何故か。よく分からない。彼が書くと哀しみになるというのは、それが読者にとって正しい解釈鑑賞なのか、それとも私に固有な感想なのか、よくわからない。
今回はどんな哀しみだったか。
時代の変遷。特に学年が毎年変わっていく大学の哀しみかもしれない。
かつて幼いほどだった西之園萌絵(にしのその・もえ)は、しっかりした大人の女性として立ち現れてきた。犀川先生は背景に見え隠れし、新たな世代交代、犀川(さいかわ)に近しい頭脳を持った大学生が現れる。そして、巻末を叙述する人は、まるで歴史家のような筆致で、しかも簡明に味わい深くエピローグを飾る。
一時代を画した萌絵が博士課程2年生というのは、それだけで時の遷移があったのだ。
そして、それに代わる様々な登場人物の萌芽が見え隠れする。萌絵を越える女性がこの世にあってはならない。そういう気持の中でも、少なくとも、この巻でのかつての萌絵は、もう少女ではなくなっていた。落ち着いたふるまいの、しかしなお女優さんだろうかと未知の学生達がさわぐほどの華やかさを持っている。いや、ますます美しくなっている。
だが、森博嗣が女性美を描く専門家なら、私は読者にならなかった。きっぱりと。
ある、登場の一場面がとてもよかった。
萌絵は自分の後輩が事件に関与する情報をつかみ、懇意にしている刑事に電話をかける。
「今、どこにいるんですか?」
「ええ、はい、ちょっとその、現場でして、残念ながら立て込んでいるんですよ、はい。数時間前に発生したものでしてね」
「密室だったりしません?」
「はあ?」
「いえ、そうかなって、ちょっと思ったもんですから」
「思うもんですか、そういうことって」
私は、萌絵の「今、どこにいるんですか?」というセリフでぞわぞわと予感がして、最後に、萌絵を女王視する刑事が「思うもんですか、そういうことって」と決めたとき、心になんともいえな春風(いまは秋ですが)が吹くのを知った。もう、このセリフひとつで、ノベルス820円の値打ちはあった、とうなずいた。
この作品は森博嗣の渾身の力投とは思わない。それがよい。
肩の力を抜いて、それでも一気に書き上げた、流れるようなミステリと、味わった。卑近に言うなら、ビーフステーキではないが、好きな京つけものでさらさらと味わうお茶漬けの味であろうか。一息で書いた、一筆書き。
ただし、線刻で終わりはしない。
精緻なワイヤー・フレームが、最後に表面を綺麗に彩られ、滋味あって落ち着いた結末を持つ。
好きな章をあげるとするなら、エピローグがそうだ。
シリーズの主人公になるかも知れない人が、大学研究室の日常の中でぽつぽつと事件を思い返す数ページがとてもよかった。
2005年初頭の次作も、また買って読んでしまおう。
新しいシリーズを、しずかな部屋でふむふむとうなずきながら読む、至福也。
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コメント
森先生はMuさんとか、多くの読者にとり大事な作家ですね。
だから、読んでもいない人間がコメントするのは憚れます。
今度、一度でも読んでからコメントします。
すみませんね、文学から程遠い人間ですので。(人気があるそうですね?)
投稿: jo | 2004年10月12日 (火) 20時10分
JOさん
森さんで、JOさんに薦めるとしたら、まず、これですね。
工作少年の日々/森博嗣、集英社。1575円 2004.7
これなら、JOさんものめり込む、エッセイです。
小説でお奨めは、その感想をうかがって、塩梅をみましょうぞ。
投稿: Mu | 2004年10月12日 (火) 20時43分
工作少年!
何か、今でも私、工作やってます。模型工作ね、政治工作ではなく。
この親爺は梅安さんの噂話で、鉄道模型にはまってる親爺とかいう御仁でせうか。自分で、蒸気機関車を製作してるんやろか?
無煙石炭を英国から取り寄せ、粉にして釜に放り込む、釜の蒸気が笛を鳴らす、シリンダーを押す、大きな動輪が動き始める・・・。
判らんでもないどす。
投稿: jo | 2004年10月12日 (火) 21時27分
JOさん
森博嗣さんを「親爺」呼ばわりするなんてぇ、ファンが知ったら虎ノ門の社長室に砂が撒かれますぜ。
おにいさん、です。
さて、私の好きな記事は、エンジン紹介欄ですね。
http://www.ne.jp/asahi/beat/non/plane/engine/engine0.html
4サイクル水平対向2気筒「ジェミニ160」
特に↑が好みです。
エンジンてぇーのは、写真見ておるだけで、振動を感じますね。
ともかく、工作少年の日々、ぜひ御覧あれ。章単位で読めば、おいそがしいJOさんにも、気楽ですぞ。
投稿: Mu | 2004年10月12日 (火) 22時01分
なるほど、千葉のラジコン親爺と同じやね。
実は千葉のYOさんも、エンジンが大好きでOS,SAITO,YSとお持ちです。競技のプロの世界では今はYS(山田産業)が独占です。
OS(小川精機さんは双葉電子産業の子会社になり、大衆エンジン専門です・・・私は愛用)エンジンは安くて、素人に安心です。
SAITO,YSともに4サイクルエンジンを専門にしていますね。SAITOのエンジンは音が静かで独特のドッドッという音がします。OSとYSの中間に存在するのが、SAITOでしょうね。
YSエンジンは世界大会に出場するプロの連中が使います。エンジンの調整が難しいそうです、千葉の親爺が言います。
低速回転の安定性をだすのが難しい、しかし急速に1万回転以上をレスポンスする必要があります。このあたりの、調整が時間がかかるそうですよ。
曲技飛行はエンジンを過酷に使います、高速から超低速へ、そして又、高速回転へと。例えば、大空にループを描く場合は何回もエンジン出力をアナログ的に変えますし、スナップ・ロールは急激に回転を変えます。
模型の原点はMuさんの少年時代のように、エンジンなんでしょうね。けど、指3本の筋を切らないようにせんとね。
投稿: jo | 2004年10月12日 (火) 23時36分
JOさん
これからは電動の時代だから、こういう古典的な燃料エンジンは消えていくかも知れないな。
先般、イノダ本店で、伺った話では、飛行機をとばすのは危険性とか搬送の労力、広い場所の確保、ともかく時間とお金、そのた一杯ありますね。
今の私には、JOさんがそばにおれば喜々としてラジコン世界に埋没するけど、葛野では無理です。
だから。
エンジンだけを、少年時代みたいに、回してみたい。ああいうメカは見ているだけで痺れる男なので、そうしてみたい気がします。
拳銃なんかもそうなんだけど、立場上、世間体上、拳銃を集めるのは法度違反になりそう(モデルガンのことですよ)。
エンジンなら、葛野研にずらっとならべてほくそ笑んでいても、まあ、変人あつかいですむからね(姑息とおもわないように。最低限の生きる知恵です)
工作少年、ぜひお読み下さい。
にしても、エンジン、結構重量感あるでしょうね。キロ単位みたいですね。
ああ。燃料が汚れるようですね。
まあ、それくらいは。
投稿: Mu | 2004年10月13日 (水) 07時48分