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2004年10月15日 (金)

Delphiの祖父

 今日のMu現代古典は、「プログラミング言語の設計から計算機の構築へ/ニクラウス・ヴィルト」(中田育男、訳)を上げておく。原題は、From Programming Laungage Design to Computer Construction / Niklaus Wirth となっていた。
 収録図書は『ACMチューリング賞講演集』 共立出版、1989.
 (ACM Turing Awarad Lectures : The First Twenty Years)

1.昔、偉い人が偉い賞をうけた
 ヴィルト博士もチューリング賞も、くわしく書くと、この道に無縁な人には目がまわる。要するに、ヴィルト先生はPascalというコンピュータ用の優れた言語を造った(1970前後に完成)偉い人。そして、チューリング賞というのは、コンピュータ世界でのノーベル賞(1984)、くらいにしておく。

2.Delphiの祖父、その心は
 偉業の継承、ととく。
 さて、DelphiとはMuがこの10年ほど愛用しているコンピュータ言語というよりも、開発システム一式である。
 とても豊富な、過剰なまでのサービスがあり、そして基本が「はやり」のオブジェクト・オリエンテッド(この話は無視)な仕組みなので、謎のようなシステムを、次々と自動的に生み出す。つまり魔法のようなシステムである(嘘かな?)。
 Delphiの基本仕様・言語はヴィルト博士が造ったPascalで、それをボーランド社(1983)創業者のフィリップ・カーンという人がTurboPascalという名称で商業化した。変遷を経て現代は同名の会社が「Delphi」として販売している。(途中社名が代わって社長も替わって、社名が戻って、複雑)

 カーンは大昔、スイスでヴィルト先生に師事している。だから、現代Delphiの父はカーンだが、カーンの父はヴィルトのPascalである。ということになる。
 私はTurboPascalのv3から本格的に使い出したから、すでに20年来ボーランド社の長期ユーザーである。

3.ヴィルト先生の影響
 私は時々自分の言動を、こだまのように聞き返し見返して、おや? と思うことがある。
 よく考えてみると、30代前半からヴィルトの影響が浸透してきたようだ。
 今日、表記エッセイを読み直して、それが明白な事実だったことに気がついた。
 以下に引用するが、決してマシンに対面しているときばかりでなくて、授業や会議や人生や、いろんな所で彼のセリフを思考の中で引用していた。
 なお、このエッセイ以前に私はヴィルトの著作や関連図書をいくつか読んでいる。このエッセイはまさに、それらのエッセンスだったと言えよう。

4.ヴィルト先生格言
「時々、Pascalは教育用の言語として設計されたと主張されます。それは正しいのですが、教育に使うだけが目標ではありませんでした。事実、実際上の仕事に不適当な道具や表現形式を教育に使うことは意味がないと思います」
 私はかねがね、司書資格(情報図書館学)を教えているので、こういう現実への配慮を常に思い起こしている。できれば、理屈や理論は、各人が現実的な道具と、身体と脳を動かすことで、自ら作り出すのが最良と思っている。

「(Pascalを使うことで)教師はそれで言語の特殊な機能ではなく構造と概念に、すなわち技巧より原則に集中できたからです」
 学問や理論、屁理屈は、どうしても些末な迷路に迷い込む。それは時に技巧的である。原則、それも現実に対応出来る強靱な原則を自然に身につけるのが最良と思っている。

「(あるマシンを設計し、成功した。それは)一時的流行や委員会の標準との互換性とかの制約がまったくなくてできる設計でした。
 しかし自由であるという感動だけでは技術的なプロジェクトで成功はしません。厳しい作業、決断、何が本質で何がその場限りのものであるかがわかる感受性、それと少しの幸運がなければなりません」
何が本質的で何がその場限りのものであるかを早期に見分けることが必須であります」
「その場限りのものは、すでに出来上がっている良い構造の骨組にうまく適合するようにつけ加えるべきです」
 この三つをまとめた引用は実に含蓄がある。私は日々これを、無意識に反芻してきたようである。
 大きなミスも、失敗も、成功も、「一体、なにが本質で、大切なことなのだ!」と叫び声をあげて、次に心鎮めて考えてみると、解決の道が開けたことが多い。
 それと最初に、感受性、幸運という言葉がある。これが実にリアルだ。対象に関する感受性とか、幸運とかいう曖昧な要素なくして、現実には対処できない。これを知ると、多くの困難事、不成功も、心安まる。(ああ、運がなかったなぁ、とか、まったくわからんかった、感受性ゼロやなぁ、とか)

5.断章
 ヴィルト博士は、私にとって実に良い先生だった。
 人生は、時にあって麻のごとく乱れ、自他ともに、なにがなんやらわからない状況にでくわすものである。それは現在の私であり、迷える学生達であり、人生の岐路や、システムを構築する際や、研究の際に、つねに出くわしてきたことである。
「君ね、この件で、一体何が本質的に大切なことなんだ?」と、ヴィルト先生が一言つぶやく。
 それだけで、答はでたようなものなんだ。

 異邦の、生死も人柄もしらない人の著書が、ヤマトの國の私に、かくまで永く、人生の指針を与え続けてくださる。
 ありがたいことである。

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