2004/10/24(日)新撰組:さよなら竜馬
昨夜日曜、竜馬とさよならした。
近藤さんが幕府要人から竜馬の存在意義を教えられ、護衛を引き受けたことで「新撰組」は一つの青春を上手に見送った。
最初の頃の江戸、近藤や竜馬や桂がみんな知り合いだったことに、違和感を覚えていたが、昨夜の筋立てで決着をみたと思った。彼らは剣術家だった。竜馬も桂も北辰一刀流免許皆伝だったはず。もちろん近藤さんは養子に入った試衛館で天然理心流免許皆伝。
昔の、若い頃の知り合い達の笑顔が、権謀術策陰謀で曇っていくのを見たくはなかった。
見なくてすんだ。
竜馬は綺麗なまま、逝った。近藤は助けようとした。桂は姿も影もなかった。
岩倉と西郷がどす黒い政治家としてトドメをさした。
斬った佐々木は、道具だった。
幕府見回組の佐々木が斬り、それを横からそそのかせたのが、岩倉具視、西郷隆盛となっていた。
佐々木らが竜馬と中岡を暗殺した後、遅れて護衛にいったのが、新撰組の永倉と原田。
このあたりの脚本は本当に良くできていると思った。
竜馬は共和制を持ち込むつもりだったのか。共和制は薩摩、長州にとって受け入れがたい体制だったのだろう。
昨夜の竜馬暗殺で、私の緊張も融けた。
竜馬はいつもはらはらする。見ようによってはつねに策士、周旋屋にとどまらず、やることなすこと大博打。受け入れられる間は痛快だが、政治・保守反動の反発に出くわすのを、見るのが辛かった。
一般に、政治とは保守反動である。
革新政権こそ、徹底的な反動である事実は、歴史のおそろしいまでの皮肉であろうか。
もう、その辛さを味わわなくてすむ。
竜馬は、現代に生きていたら、高校を中退して、そのまま消えていったかもしれない。
いや、免許皆伝を得るほどの努力家でもあったから、そうでもなかったかもしれない。
わからなくなった。
近藤さん。土方さん。沖田さん。
よかったな。私の好きな竜馬、その暗殺に君らが画策していたという筋書きだと、2004年毎週日曜の夜に君らを愛しんできた私の立つ瀬がない。よかった。
もう一度、竜馬の青春がこもった伏見寺田屋をじっくり見ておこう。
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コメント
Muさん
見なかったけど、シナリオは薩摩、岩倉卿の謀略説でしたか。
時代は過酷ですね、素晴らしい人材の命を惜しげも無く奪う。
残念だけど、仕方ないです。
投稿: jo | 2004年10月25日 (月) 13時10分
JOさん
そういうことでしょうね。
新撰組も、これで一息つきました。
あとは、一気呵成に凋落。
それを晩秋、初冬にかけてじっくり見ていきます。
投稿: Mu | 2004年10月25日 (月) 15時41分
土方と近藤さんの別れはどう描くのか?
そして、沖田君の病魔、最後は土方の壮絶な新撰組の最後やろね。
短い期間やったけど、時代の大回転の時代、若いものが主役に踊り出た時代、青春時代やね。
昨夜、NHKアーカイブスの番組で”小椋ケイ”の28年前のコンサート特別番組の再放送を見た。松本清張の若い頃のような顔だったけど、青春を歌わせると素晴らしい。
シクラメンの香りとか素晴らしい、青春の歌というか詩が多い。
新選組には何か儚い青春を感じますね。
投稿: jo | 2004年10月25日 (月) 22時23分
JOさん
青春している間は真に「青春」の意義も味わいもなんにもわからない、ただの原始人。
それがわかるのは、初老に入って、ふりさけみればわかるというもの。故に、人が死を体験できぬように、若者は青春を体験できない。老いこそ、青春を追体験し、味わえる。
近藤さん、土方さん、沖田さん、竜馬さん、みんなあの世で甘酸っぱい味わいをしたんじゃなかろうか。
まっただ中にいる者は、なにがなにやらわからん状態でしょうね。
投稿: Mu | 2004年10月25日 (月) 22時45分
追伸、JO さん
若いのに「青春」を語る人はね、きっと本当の青春じゃなくて、言葉の青春だろうね。
真の青春は、語れるほどの余裕もなかろう。全力疾走してるんだから。
「英雄」もそうかもね。
投稿: Mu | 2004年10月25日 (月) 22時49分
お~目から鱗やね。
私、未だ青春の真っ只中やから”わからん”どす。無我夢中で虎ノ門で走ってるからね。10年後にふりさけみればやね。
何か、最近ね、年齢が段々に若くなってゆく気がするんやね。先が短いのやろか?何か青春はこれから始まるような気がするんやけどね。
とにかく、世界を相手に闘いたい。何時までも虎ノ門のjoでは嫌や。アジアの虎というか、七つの海を支配する”Cynancialの虎”になりたい。
投稿: jo | 2004年10月25日 (月) 23時01分
JOさん
深酒さけて、睡眠とって、激怒しなければ、最低でも70まではばりばりの現役ですぜ。
トンデモ古代史JO基金を作って、私に審査委員ちゅうか、基金交付選別委員長をやらせてよな。それまでに、上場してな、年収1億くらいは取りなされや。
私、JO基金を大事に運用させてもらいますで。
そやね、条件は京都嵯峨野か宝ヶ池か宇治にビルたてて委員長執務室は100平方程度の小部屋で、虎の皮を三枚、分厚い机、秘書3名でよろし。年俸は委細面談ということで。
投稿: Mu | 2004年10月25日 (月) 23時26分