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2004年9月12日 (日)

北方謙三『水滸伝』八「青龍の章」

 梁山泊は、いま三つの拠点をもつ。梁山泊、北の双頭山、西の二竜山{二竜山、清風山、桃花山}。
 兵力は総数一万五千にすぎない。
 この三つの拠点は丁度三角形をつくり、その領域を梁山泊は国と考えていた。
 ところが青蓮寺(宋のCIA)は、丁度その真ん中に「荘軍」を設定した。
 祝家荘(しゅくかそう)である。
 いつの間にか、村人全員を一万数千の軍に入れ替えてしまったわけである。人口が変わらぬから、物資の流れなどからは、梁山泊の目を欺いてこれたわけである。
 第八巻は、この攻防戦である。
 

梁山泊、全軍を挙げて、二十度、祝家荘を打ち、解珍(かいちん)と李応(りおう)、獅子身中に在り。(帯情報)

(1)203高地
 私は、梁山泊の二十度近くの猛攻に反撃する青蓮寺(宋国)の様子をつぶさに描いたこの巻に、乃木将軍の203高地陥落を思い出していた。乃木さんが梁山泊軍師呉用で、ステッセルが若き(20代末、30前後)白面の聞煥章(ぶんかんしょう:禁軍参謀)である。
 乃木さんのことは、漱石の「こころ」(すなわち明治の精神)以来気になっていたが、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」に緻密に描かれていたので、昨日のことのように思える。

 聞煥章はありとあらゆる罠をめぐらす。梁山泊は総力戦だから、この戦いが膠着すると、留守にした本拠の梁山泊を押しつぶされてしまう。すでに、地方軍を併せると十万の宋軍が取り囲んでいる。祝家荘を落とさない限り、のど元に刃を突きつけられているようなものである。

(2)猟師、山の生活
 解珍と解宝(かいほう)の親子猟師が光っている。解珍は25年前、祝家荘と同程度の力をもった解荘の保正(庄屋さん)だったが、祝家荘の奸計に足をすくわれ山に隠った。今は、祝家荘保正に這い蹲って猪や熊の肉を売る立場に落ちぶれている。しかし、心はねじ曲がってはいなかった。
 この猟師親子の山の生活が生き生きと描かれている。秘伝のタレをつかって猪の生肉を食べる描写など、あとあとまでイメージがくっきりと残る。

 彼らは、近在の李家荘の李応とはかり、祝家荘で内応し、聞煥章を窮地に追い込む。
 祝家荘から無理な盟約を押しつけられた李応は最初から青蓮寺にマークされ、王和(青蓮寺軍事隊長)が始終見張っていた。立ち上がる時は、あわや王和に暗殺されかけたが、虎を素手で殺した武松に救われる。

(3)林冲(りんちゅう)
 梁山泊軍の度重なる綱渡りのような戦いで、いつも勝利に導いたのは、林冲の騎馬隊だった。
 青蓮寺李富や袁明、聞煥章はそれを分析し終わっていた。
 愛人馬桂を梁山泊に惨殺されたと思った李富は狂気の目で、暗殺の謀略を次々と紡ぎ出す。次は林冲が標的となった。

 茫洋とした宋江が戦いにおいても、謀略戦においても、人の生死をどれほど澄み切った目でみつめているのかがよく分かる章だった。すでに林冲は戦線を放棄し、みすみす青蓮寺の罠にむかった。その生死を、宋江は部下の軍師呉用に対して言う。

  呉用「豹子頭(ひょうしとう)林冲(りんちゅう)、絶対に死なせたくない男なのです、宋江殿」
  宋江「人の生死に、余計な思い入れを紛れ込ませるな、呉用。~(略)」

 コンテクストなしでは理解しがたい引用をしてしまったが、万軍を蹴散らす英傑である林冲は、そこに至る深く辛い過去を背負っていた。宋江はそれらを含めて林冲の生死を見つめる。おそらく、第九巻では、たとえ生還しても、悲劇が待っているのだろう。予兆。

 

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