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2004年9月11日 (土)

北方謙三『水滸伝』七「烈火の章」

(1)異能の男、陶宗旺(とうそうおう)
 南で死地を逃れた宋江達は、梁山泊には入らず北へ行く。
 既に通信が遮断され、どことも連絡がつかなくなっていることに、武松(ぶしょう)は気が付く。相変わらず宋江は無頓着なまま、のんびり旅をする。一行五人。
 ついに窮地に追い込まれた。
 五人は山中の洞窟にこもり、眼下を眺める。
 宋江を滅するために一万六千の軍が山を幾重にも取り囲んでいた。
 直近の山寨まで約700キロ。援軍が来るはずもなかった。
 粘った。10日以上、五人は粘った。
 怒濤のように兵が山を登り始めた。

 男を一人、旅先で拾っていた。陶宗旺(とうそうおう:百姓、石組みの天才)。
 彼の仕掛けが、数千の兵をつぎつぎと谷底に落としていった。
 林冲の騎馬隊が駆けつけたとき、間一髪だった。

 北方『水滸伝』は、騎馬隊の描写、機動性、破壊力、調練の様子がとてもリアルだ。北方さんの馬は、以前北畠顕家(あきいえ)の騎馬親衛隊も、三国志の場合も、「お家芸」というほどに、神域に達している。馬蹄の響きが、土埃りが、いななきが、斬撃の音が、目に耳に全身に躍り込んでくる。

 その後、幾人かの優秀な将校を失い、宋江は梁山泊に入る。

(2)青蓮寺の動き
 二つある。
 宋帝国は、すでに徐々に梁山泊を内乱と観だしてきた。たんに賊徒の暴動ではない。国と国との戦争である自覚がでていた。
 聞煥章(ぶんかんしょう:禁軍参謀)は、李富と協力し新たな罠を設ける。荘軍。すなわち、荘、村全体の住民を兵と入れ替えることである。人口の変化、物資の動きを秘匿でき、梁山泊の目を覆い、間近に兵を進める計略である。
 もう一つは、馬桂の動きである。楊志暗殺の手引者が彼女だったことは、まだ梁山泊に知られていない。次は、梁山泊軍師暗殺の命が馬桂に出された。軍師呉用(ごよう)は、三国志諸葛亮孔明に近い存在である。
 さて、どうなる。で、第七章終了、また明日(笑)。

(*)北方『水滸伝』を、
 「革命の書」という雰囲気がインターネット上に散見する。私は、現代の唯物史観、階級闘争、そういうレベルでの革命という言葉に興味はない。それはハッタリであり、幻想に過ぎないと30歳前後に決めた。マルクスなどが生まれる二千年以上も前に、革命という言葉はあった。

 北方『水滸伝』は、言葉のオリジナルな意味での「革命」を表していると思う。
 わたしは、むしろ、建国、建軍の戦略という観点で毎日楽しんでいる。
 もっとわかりやすくいうと、そう、建国も、建軍も、建人も、
 つねに、
 「挽歌」ぬきでは、かたりえない。

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