北方謙三『水滸伝』六「風塵の章」
大体、三時間で一冊を読める。
途中で止められない。
しかし夜は眠りが訪れる。朦朧としてくる。
二夜で一章分読んでいる。
すでに、登場人物表には90名ほどの人物が登録されていた。ほとんど、名と役職をみればイメージが再現される。これほどの書き分けがなぜ可能なのか、不思議でならない。
荒ぶる将、湖寨に来たれ。梁山泊は異国なり。
摘むべし。
大宋国の新たなる胎動。霹靂火・秦明(へきれきか・しんめい)、叫びて三寨を揺がし、武松(ぶしょう)と李逵(りき)、ふたたび、虎口に入る。(第六章帯情報)
この章では、聞煥章(ぶんかんしょう:禁軍参謀)が登場する。ある日、とつぜん李富(りふ:青蓮寺幹部)の前に現れる。宰相蔡京(さいけい)と青蓮寺総帥(ケネディ時代のCIA長官のような)袁明(えんめい)の推挙らしい。李富より十は若い。
この北方水滸伝の解釈の優れたところは、これまで「塩の道」を経済の源泉としてとらえ、梁山泊がそれを闇の塩として押さえたところにある。現実感が明確になる。いま、背景が不明なまま、しかし皇帝に拝謁したことで絶大な権威を持った若き禁軍の参謀が現れる。軍と諜報機関を一手にする勢いを持つ設定である。
その男、聞煥章(ぶんかんしょう)は、通信に目を付ける。あの広大な中国の通信を途絶させることにより、旅先の宋江と梁山泊の連絡を絶ち、梁山泊を中心とする各山寨との連絡を遮断する。
通信の遮断。すばらしい考えである。
北方『水滸伝』は、現代に生きる。と、思った。
追伸
通信について、池波正太郎さんは、「つなぎ」と「かご」を江戸市中に設定した。じつに、そのつなぎをまめに描写している。携帯電話も、電話も電報も新幹線もタクシーもない時代、人は、軍は、いかに相互の連携をとりえたか。このリアリティは、北方さんも、池波さんも、本当に丹念に描いている。
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コメント
広大な中国で通信を遮断するとは,大変でしょうね。万里の長城を築く民族ですから、やはりスケールが違いますね。
通信に『鳩』は使わんかったんでしょうか?
いずれにせよ、情報網は戦いでは一番大事やね。
投稿: jo | 2004年9月10日 (金) 17時48分
そうそう 先日、本屋で(あたりまえ)『ダビンチ・コード』の上巻を買いました。
パリが舞台なんやね? 外人の名前がバンバン出てくるので、覚えられん。日本人の名前にしてくれると読みやすいけどね。
投稿: jo | 2004年9月10日 (金) 17時51分
JOさん
水滸伝に関しては冷や冷やしながら書いておるんです。
大逆「ネタばれ」になるかどうかの瀬戸際。
だから、鳩かどうかも書きません。
楊志が死んだことさえ、ネタばれと思ったが、付録の刷り物には、ちゃんと書いてあるので、まあよかろうとな。
よみなはれや。
ヒント:大宋国の物流がすべて止まるほどの過激な方法をとった。だから、期限付き通信遮断だな、振り返ってみれば。
(いま7巻が終了近くなので、6巻とか7巻は昔の話になっておる)
投稿: Mu | 2004年9月10日 (金) 21時28分
JOさん
世間には、いろんな人がおるんですな。
私は未だかつて、購入であれ、図書館で借りるのであれ、上中下本なんかを、上だけ単体で手にしたことは、ない。絶無なり。
全集が分かれているのは、上中下のカテゴリじゃないよ。
小説を、完結した作品を、上だけ買ってよむなんて、そんなん、JOダンにしか思えない。
本買ったり、読むのは、JOさん、釈迦に説法やけどな、気合いどすえ。それまでの全人生をかけて、本も人も、読むか読まぬか、決めるもんどす。そんなーん、おためし読書、おためしおつきあいなんてぇ、「男」が泣くよ。
JOさん、さっそく今から深夜書店に行って、下も買うべきや。
ちなみに、図書館とか書店で、下が品切れなら、絶対に手を出さない。
なあ、JOさん、JOさんのエエトコドリだけするなんて、つまらん。賢いJOさん、○ホなJOさん、気前のええJOさん、XXなJOさん、全部まとめてJOさんなんや。
と、私の見解。
人はさまざま。
そのうち、JOさんも天の邪鬼、じゃっかんあるから、「MUよ、ほなこというなら、わしゃ、今度から、下しか買わん」とか、いいそうやな。
投稿: Mu | 2004年9月10日 (金) 21時37分
Muはん
全て、おみ通しやね。怖い人やね。腰が引けてるの見られてるみたいやね。
ま~そういう事やね。言い訳すれば、Muはんの記事を読んでいて、今度パリに出かけたら小説のルートを辿り、コメントでも書いたろかな~~と、いかがわしい気持ちが少し、ありましたね。
せやけど、会社の前の本屋に平積みで仰山下巻もあるんやな~~。
あ~~又、鉄砲玉が飛んできそう。ほたらね。
投稿: jo | 2004年9月10日 (金) 23時42分
JOさん
ルーブル行ったらみやげ話が聞きたい。
どころでいまのルーブル、硝子のピラミッド、ああいう建築が日本にもあるんです。
みているかぎり、よう似ています。
じつは、設計者が同じなんです。
この件、いつか、記事にします。
投稿: Mu | 2004年9月11日 (土) 07時53分
ルーブル 行きましたよ。
モナリザも見たよ。最近は”ダビンチ・コード”の本を片手にツアーする連中が多いそうな。
ガラスの三角錐みたよ。何も知らんで見たよ。知識なく見学しても何も役立たない見本みたいな、見学でしたね。
しかし、美術館は好きやね、パリには仰山あるから面白いですよ。
ダリの美術館も面白かったな。
投稿: jo | 2004年9月11日 (土) 18時45分
JO
悪魔と天使、よりも、ダ・ヴィンチ・コードがよいと思います。
ヨーロッパ歴史の恥部、不可解さ、わけのわからなさに、一定の絵を描いたように思います。
それと、西欧美術が持つある種の宗教性、画家の持つ芸術的衝動と、建前(たとえばキリスト教)、そういうことのせめぎ合いもわかります。
西欧の芸術家は、常に、心の衝動に突き動かされるとき、日本でいうと、逆に、キリシタンバテレンの徒が、江戸時代に仏教芸術をつくるような、そんなしんどさがあったのかもしれない。
象徴。
わざわざ象徴が生まれたのはなぜなんだろう。そんな気がしました。
ところで、逆さピラミッドは、なぜ、そんなものが生まれたのだろうか。
・・・
投稿: Mu | 2004年9月11日 (土) 21時01分