美しいサイト:吹きガラス
最近、金魚のことを記して、JOさんから金魚鉢のことを知らせてもらった。
その「吹きガラス/渡辺治子」を昨夜見ていて、これを初めてJOさんに紹介されたとき、ずいぶん印象に残ったのを思い出した。なんどか眺めているうちに、このサイトは私のカテゴリー「美しいサイト」にぴったりだと、気がついたので紹介しておく。
好きな吹きガラスは金魚鉢(ミニ)だ。手のひらに載る金魚鉢は、とても幻想的だ。これが、ガラス管をふいてできあがったものだと思うと、その色や形が不思議で仕方ない。
思い出1:小学校の頃、私は化学少年だった。祖母と二人で住むあばら屋に実験室さえ持っていた。アルコールランプでガラス管を熱して、綺麗に曲げるところまでは手技が上達した。しかし、先を溶かして丸くふくらませることはできなかった。ブンゼンバーナー?(ガスバーナー)ほどの火力がなかったからかもしれない。
思い出2:二十代後半に、ヘルマン・ヘッセのガラス玉演技という小説を読んだ覚えがある。本当にヘッセなのか、タイトルが実際にそうなのか、よく覚えていない。ともかくドイツ文学の翻訳書で、ガラス玉を操る不思議な男の巡遊物語だった。いつか調べて再読したい。
紹介サイト
吹きガラス:渡辺治子
江戸吹き硝子
| 固定リンク
「美しいサイト」カテゴリの記事
- 夢書斎(2006.02.16)
- 美しいサイト:吹きガラス(2004.09.02)
- 美しいサイト:森博嗣出版年表(2004.08.31)
- 美しいサイト:オオサカハリアナツウシン(2004.08.23)
- 美しいサイト:R/C Air Plane photo Gallery(2004.08.17)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ガラスの発見は地中海の海岸の砂浜は中東砂漠で焚き火をしていて、偶然に出来たんでしょうか? 石英ですよね?
古代ガラスの製作で面白いWeb 見つけました。 飛鳥池遺跡で発見された古代ガラスの再現が見られます。
http://www1.kcn.ne.jp/~nishiura/garasu/garasu.htm
投稿: jo | 2004年9月 2日 (木) 11時18分
JOさん
紹介記事をみました。
いろいろな方がおられるのですね。
(闘病記に目が行ってしまいました。人生とは、ホントに大変なものだと思います)
で。中空ガラスがどうやって出来るのかが分かりませんでした。
昔の技術はすごいですね。
鉄の時もおもったけど、ああいう高温をつくれて、一定時間作業できるのは、考えてみるとすごいことです。
投稿: Mu | 2004年9月 2日 (木) 12時40分
どの作品も、美しいの一言に尽きますね。
ミニ金魚鉢も可愛らしくって・・。
まさか、この中では金魚は飼えないだろうし、何に使うんだろう?と思っていたら、アクセサリー入れに使えるようですね。
透明ガラスなので、お気に入りの指輪やイヤリングを、見える所に置いておけるっていうのが、楽しいなと思いました。
でも、一番気になったのが、ミニワイングラスや焼酎グラス。
(焼酎は飲めないので、ビールを注ぐ!)
あんなきれいなグラスで、お酒が飲めたら、気持ちいいだろうな~~と思いました(笑)。
(飲んべえではありませんが、たしなむ程度には飲めます。へへ。)
渡辺治子さんの考え方も好きですね。
この技術を、後世にも伝えていくため、年に1~2人の採用はしていると。
長崎ビードロが家にあって、強く吹くとガラスが割れてしまいそうでこわいのですが、とてもきれいで繊細で。
壊れそうでいて壊れない危うさが、ガラス細工の魅力でもあります。
投稿: wd | 2004年9月 2日 (木) 14時43分
WDさん
おなじような感想を持っています。
特に、女性の職人さんというのは、これから女性自身も社会も一考したらよいと思います。
仕事柄、女子学生を大勢みていて、ほんとうに職人さんになれたらよいのに、という人は、特に司書なんかではよく目に付きます。
芸術家と思い出したらつまずきますね。芸術というのは才能もありますが、世の中の流れ、風潮もありますからね。
職人さんというのは、世の中の流れの影響はあるけど、かっこつけとか、虚業じゃなくて、確実に必要とする人に丁寧な仕事をしてあげる人ですから、実業世界だと思います。
職人であると自覚して作り出すサービスや物が、自然に芸術になったり、芸術と思われるのは、しかたないですが。
ともあれ、好きこそ物の上手、ということばもあって、家業であれ、その身一代であれ、好きでないとおつとめできないですね。
長崎ビードロは、もってはいませんが、たしかガラス膜が薄いのでしょうね。そんなん、よう造れますことよ。
ところで、なんとなくWDさんは、梅翁とまではいかないけど、その世界の人のようですね。
私はミニ金魚鉢にシェリーをいれて、飲みたいです。いくつもの鉢を用意して、いろんな色の酒をならべて、順に飲んでいくのも、おもしろそう。
まあ、三杯目でぶっ倒れますがね。
投稿: Mu | 2004年9月 2日 (木) 15時06分
「なんとなくWDさんは、梅翁とまではいかないけど、その世界の人のようですね。」
この一文、理解に苦しみました(笑)。
なんで、Muさん、私が浄瑠璃好きだって、知ってたんだろうと思いました。最近は、浄瑠璃というより歌舞伎ですが・・。
梅翁先生の記事を読んで、また文楽見に行こう!って思いましたもの。
前々回の「新撰組」の山南さんと明里が、格子越しに別れるシーンなんて、まるで「道行き」のようでした。お互いに、相手の想いを知りつつ、知らない素振りで別れを惜しむなんて、とっても良かったです。
(誤解のないように、言っておきますが、「ミニ」ワイングラスに、「焼酎」グラスにビールですからね。晩酌もしませんし、量も、飲みません。気分がいいときだけ、ちょこっとですね。)
投稿: wd | 2004年9月 2日 (木) 16時10分
ガラス玉遊戯
ヘルマンヘッセの小説の題名から店名を拝借した喫茶店が
国立の駅近くにありました。
若い頃、都内で飲んで国立までたどり着いてちょくちょく
寄ったものです。
カレーなどを出すのでセロリ風の香りが店内に漂っていて
ジャズがかかっていて、ウィスキーとコーヒーを同時並行的
に注入できるので、まことに具合のいい店でした。
残念ながら数年前に店じまいしましたが。
投稿: ふうてん | 2004年9月 2日 (木) 16時18分
WDさん
道行き、とは近松世界、よい言葉と思います。
山南の時代は、好いた惚れた飽きたというような、現代世相の軽薄さだけじゃなくて(現代若者恋愛考は止しますが、いささかイージー過ぎる話も聞くので)、ともかく本当の命がかかっていたから、道行きも重みがずっしりとこたえますね。
ま、つい60年ほど前の戦争というものも、そういう雰囲気があります。
死に直面する機会が減少するのはよいのですが、安直な時代でもあります。そういう中で、心込めた手作りの作品は、命が宿ると自然に思えました。
と、話が重くなりすぎましたが、WDさんは上戸のように見受けます。気に入ったグラスでも入手なされて、秋の夜長、じっくり手酌で味わいながら、MuBlogにコメントを下さいませ。
(キーボードに「どぶろく」「ワイン」をぶっかけても、水洗いして陰干しするか、パーツ屋に行けば2千円でよいのがありますよ)
投稿: Mu | 2004年9月 2日 (木) 20時45分
ふうてんさん
なんとなく、ヘッセとかリルケとかマンとか、ああいう時代の良き教養小説がでると、強く反応されますね。
いやいや、珈琲とウィスキーが同時にでるお店がなくなったのを悲しんでおられるのか。
西部劇みたいに、小型の携帯ウィスキー入れに、持っておられれば、どんな喫茶店でも、寿司屋でも、蕎麦屋でも、すきなだけ飲めますよね。
ふうてんさん、酒は美味いと想いはしますが、それほどまでに365日、24時間飲んで、それで素面(しらふ)っぽいのは、珍しい体質ですね。正直申して、ふうてんさんの飲み方酔い方をみていると、ほとんどの酒好き「男や女」は、ガキや猿にしかみえない。
私は。
ああ、体質的に、ある一定のことがらによって、ほとんどいつも酩酊、脳内麻薬状態です。
投稿: Mu | 2004年9月 2日 (木) 20時52分