Mu現代古典のこと
この九月十八日に「計画」という記事を掲載した。その日の朝から父の祖地、福井県今庄町大桐へ車で出かけて、帰宅した夜半だった。(日付が17は18日の間違いである)
法事だった。父三十三回忌、母七回忌、そして明治時代のご先祖さま二名の百回忌。
私の実家は、蓮如さんの盛んな越前門徒だった。
寺の雰囲気や、身近な法話を聞いていて、生は有限だと実感した。
メメントモリという言葉があった。たしか、死を見つめるとか忘れないとかいう意味のはずだ。
そこで。
人生のまとめ、整理整頓、掃除をしたくなった。
その筆頭にあがったのが、読書だった。
読むよりも、工作したり、コンピュータにさわったり、会議にでる時間の方が多かった半生だが、それでも思い返すと私の二十代は、読書が太陽や月や巨大惑星のように輝いていた時代だった。
もちろん、二十代ばかりではない。それから現在までも、折に触れて年に数冊は影響力の強い本に巡り会ってきた。私は書痴ではない。いわゆる活字中毒でもない。キーボードにふれだしたのが二十半ばからだったから、コンピュータの方がよほど時間も精力も費やしてきた。
それでも。忘れがたい本がある。
それは、私の古典になってしまっている。
名付けて、Mu現代古典とした。
すこしづつ、私の中でまとめておきたい。
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