2004年9月19(日)晴:会津中将や水滸伝
今夜の新撰組は、会津中将(松平容保:まつだいら・かたもり)のセリフがよかった。
めぐる因果というか、三百年の後に、島津と毛利が徳川に仇をなす、という内容だった。
関ヶ原の戦いで、島津は九死に一生を得て故国に生還し、幕末まできた。
毛利は中国地方の膨大な領国を削られ、周防(すおう)と長門(ながと)の二国を残され、幕末まできた。
薩長同盟が、徳川三百年の雌伏を覆す契機となった。
水滸伝:虚構のなかの史実/宮崎市定、中公文庫 み/22/10、1993
これをちかごろぽつぽつ一章づつ読んでいる。
碩学宮崎先生は膨大な中国、東洋史の業績を残しておられるが、この著書の前書きを読むと、隠れ読む水滸伝の内容が、本当のことだったかどうかを知りたいために、中国宋代の研究に入られたようだ。
三つ子の魂百話であるな。
今夜は第四章「宦官童貫」である。童貫は現代の北方(きたかた)水滸伝では、小柄で宦官出身故に声も高く見栄えはよくないが、計り知れない存在感があるように描かれていた。威圧感。禁軍(近衛軍)を維持しているのは童貫と、そこここに記してあった。
さて、宮崎先生の研究では、歴史上の「童貫」はどうなのだろう。
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コメント
宮崎先生の本をお読みですか?中国、アジア史の巨頭ではないですか。
確か邪馬台国論争で九州説とかある時に、大和朝廷以外にヤマトは無いと。先生の本は全て堅い学問の世界の人という印象がありますが、水滸伝にからむ本もお書きなんですね。柔らかいところも、おありなんですね。
中国史に関しては、白川先生と並ぶ巨頭だと理解していました。
投稿: jo | 2004年9月19日 (日) 23時12分
JOさん、おはよう。
宮崎さんのは昔からぽつぽつと読んでいます。中公文庫で廉価に入手できるから、よいですね。
中国の昔の話は好きなんですなぁ。
今の中国は全く知りません。
で、第4章ですが、宮崎先生は、宦官童貫(どうかん)の史実の方が小説より面白いと描いておられます。たしかに実在の童貫のとんでもない政治家、軍人、使い走り(宦官は本来奴隷)生涯をみると、面白い。しかし宮崎先生は残念ながら、現代の北方水滸伝をお読みじゃないから、な。
私は北方の描く童貫は、一本スジの入った「軍人」として描いてあるので、いまのところ気に入っています。三部以降、どうなるかは未知。
宮崎先生は「宦官」に嫌悪を見せておられます。アジア(イスラム含む)の歴史で、宦官のない日本の歴史は、その点で中国とは全く異なり、ヨーロッパと通じるともうされていますね。
西欧史に宦官不在は、キリスト教の影響とか。
日本に宦官のないのは、はて、何故でしょう。そういえば、家畜に対する「去勢」という風習もないですね。海一つ隔てただけで、日本の歴史は、中国や朝鮮とは一線も二線も画すようですなぁ。
それまでの章では、中国における食人の痕跡についても書いてあります。
などと書くと、異様な中国に見えるのですが、ヤマト現地からみると異様だが、そのおもしろさ、はげしさ、くどさ、華麗さ、馬鹿馬鹿しさでは、日本は中国に絶対に勝てないですよね。
中国の拷問なんか、もう、神域に入っておりますね。胸くそ悪いけど、アートです。やることなすこと。
そういう中国に対する深い愛情と嫌悪とが、宮崎さんの図書から味わえます。大唐帝国なんか読んだときは、北夷騎馬民族の王朝交代の激しさに、唖然とする毎日でした。眠られなくなります。
日本は。歴史をみても、まあまあ、おとなしいもんです。これは皮肉じゃなくて、本心からそう思うです。
さて、今夜は第五章奸臣蔡京(さいけい)です。北方水滸伝でも、ときどき顔を出す宰相です。史実ではどうだったんでしょうね。
投稿: Mu | 2004年9月20日 (月) 07時54分
日本は隋王朝の誕生と唐帝国の誕生の恐怖から、中央集権国家を整備した訳ですね。特に聖徳太子さまは隋に負けない対等の考えで国家の基盤整備をされました。
中国の素晴らしい制度は取り入れましたが、科挙と宦官制度だけは導入しませんでしたね。これは、素晴らしい日本人の知恵でした。
何故、宦官制度を導入しなかったのか?これは、私も今まで学んだ本からは結論を得ていません。司馬さんも答えがありませんでした。
これは、皇帝とその私生活のありようから発明された制度ですね。
もともとが卑弥呼はんの国ですから、女性中心の社会ではないでしょうか。母系という制度ですね。父系の騎馬民族社会制度とは異なります。
中国の黄河文明は麦作、遊牧、北方騎馬民族の文明です。これが、長江文明が中国を制覇していれば事情も異なっていたのではないでしょうか?
いずれにせよ、日本人は宦官制度を輸入しなかった。素晴らしい先輩の知恵でした。
投稿: jo | 2004年9月20日 (月) 08時34分
JOさん、納得です。
卑弥呼の國に宦官いらん。
それと。平安時代のことだけど、男性が女性の実家へおとずれる、通い婚、こどもは女性の実家が育てる、でしたね。
(女性を信用していた、ともいえますか(笑))
牧畜と関係が深いのでしょう。
宮崎さんはね、中国では20世紀(清朝末期)まで宦官がいたと、慨嘆してました。
史記の司馬遷さんも、宮刑の憂き目。だから、一方で刑罰意識もあったんでしょうな。その他は、望んでなったとか。
この世の最高権力者、皇帝のつかいばしりですから、ものすごくうまみのある職業だったらしい。
人間、ようわからんとこがあります。
投稿: Mu | 2004年9月20日 (月) 09時42分
日本は茶坊主やね。
権力者の傍に仕え、あれこれ悪いことを考える。そう言えば、お側用人という巣鴨のおっさんが、大名迄出世しましたね。今の六義園やな。柳沢よしやすでしたか?
今でも企業とか官僚組織では権力者の傍に茶坊主がはびこっているんやろな~~。その点、晩年は知らないけど、信長は偉いな~~。
周りは梁山泊やったな~~。
先程、鶴見川迄飛行機飛ばしに行きました。現場で送信機のスイッチいれて、受信側の飛行機の電源入れると、サーボが暴れる。
昨夜、送信機のクリスタルを51番から52番に入れ替えて、水上機の受信機のテストしていたの忘れていた。
又、自宅にクリスタルを取りに帰り、2タンク飛ばし先程帰還した。
今日は一日、孫娘を預かる必要があり、大変や~~~、”うるさい”。
さて、昼飯を製作して孫に食わせて、それから日曜大工センターに行き、ピアノ線を買い、ビールを買い、又、修理作業やね。
そして、又、晩飯の製作やね。
昨夜のうちに、鯖の味噌煮を作っておいたので、昼は、これで済ます。
あ~~~忙しいどす。
投稿: jo | 2004年9月20日 (月) 11時38分
JOさん
鯖のみそ煮はおいしそうだね。
昔、屋台をひっぱって、うどんやしたいと、言われたのが耳に残っております。
料理はプロでしょうかね。
茶坊主。
しかし、なんとなく宦官ほどじゃないな。
側用人。
これも、組織だってはいないな。
やはり、中国は別格のようですね。
完璧な生殺与奪権を持つのは、歴代中国皇帝に思えまする。
投稿: Mu | 2004年9月20日 (月) 20時41分