2004年9月17(土):計画
さきほど目がさめた。
眠っている間に、いくつかの計画がわいてきた。
計画を検証する時間もないが、限られた生なのだから、ある程度は効率よく余生を組み立てておきたい。
(1)読書
気がかりな図書は再読、再々読して、決着とまでは言わずとも、現状の決算はしておきたい。
次々と読むことへの「読書依存」をさけて、これまで抱え込んできた蔵書の意味を自分でわかっておきたい。
(2)システムと研究
なぜ、プログラミング言語に依存してきたのか。その事情を確認し、目的をとらえなおし、再出発したい。
(3)物語
物、騙る、そのことの本然を再確認しておきたい。
以上のことで、今秋は常になく、生を味わいたい。
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コメント
メモ
このタイトルは日付を誤ったので本来は、
2004年9月18(土)と変更すべきである。
しかしながら、固定アドレスとの関係で、いまタイトルを替えるとMuDB2004との整合性がこわれるので、このままにする。
投稿: Mu | 2004年9月19日 (日) 00時10分
Muさん
余生なんて言うから心配したよ。
違うんやね、これからの短い人生(お互いやね)充実して生きて行きたい! そういう事やね。
しかし、効率良く生きるとは、難しそうやね。効率悪く生きてるのが、ひょっとすると一番に効率がえ~かも知れんよ~。
私も、少しは”今後の人生”を考える必要があるな~。毎週末に飛行機ばかり飛ばしていて”本当にこれでえ~のか?”。
昨日も、一人で飛行機を近くの鶴見川で飛ばしていたな~。ゴルフの親父が一人、河原にいたので声をかけて、”飛行機とばします”とお声がけして、ノンビリ飛ばした。
1タンク飛ばすと10分位やろね、そして休憩して、煙草を吸い、河原を眺め、秋の気配の濃い雑草に目を配り、”ビール飲みたいな~”と誘惑に駆られ、土手を散歩する人々の興味ある視線を感じ、散歩の犬が来ては飛行機をクンクンして獲物でない事を確認してる動作を”こいつ阿呆やな”と思ったり・・・・。
そんな週末で”本当にえ~~~~んやろか?”と思う。
投稿: jo | 2004年9月19日 (日) 08時02分
JOさん
誤解をあたえたようですな。
飛行機飛ばすのは充実して効率よろし。
わたし、日長横臥してぼんやり、まどろみ。
気が付いたら、また翌朝。
これでは、いかん。
と、思ったわけです。
投稿: Mu | 2004年9月19日 (日) 08時41分
先生
先週、映画を観ました。「だれも知らない」という映画です。四人の兄弟の話ですが、彼らは母親に捨てられてしまいます。母親が残していったお金も底を付き、電気もガスも水道も止められてしまいます。その日を食いつなぐためにコンビニから賞味期限切れのお弁当を貰って食べていました。
こういう内容なのにとても静かな映画でした。子供たちの表情や態度には怒りだとか憎しみだとかそういう感情の起伏があまり見られなかったんです。ただ静かに日々の暮らしがあるんです。笑顔もあるんですよ。カップ麺の空いた器に空き地で拾ってきた花の種を植えるんです。自分たちの飲み水も僅かなのにその花に水をあげてるシーンが一つ印象に残っています。
このお話は実話を基にして作られた映画だそうです。この映画を観て「生きる」ということについて考えさせられましたが、まだ考えはまとまりません。
先生の「生を味わいたい」という言葉からこの映画を連想しました。
投稿: 羊 | 2004年9月22日 (水) 22時41分
羊さん
うつらつらつらしていて、就寝前にMuBlogのぞきまして、いささか感慨。
青年期以来、祖母、三島由紀夫、父、旧師、母の死。
先週は法事。
6月末、世話になった教授も59歳で急死、
「生」をじっくりかみしめたく思った次第です。
私の十代末期に読んだ本。『現代畸人傳』には、茶柱の立つを見て、終日、生の充実を味わう箇所がありました。
これは今の私の実感です。
自分の作ったマシンを相手にMuBlogの記事を記す。
生の味わいです。
人によって、生の色合いも異なることでしょう。
投稿: Mu | 2004年9月22日 (水) 23時08分