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2004年9月26日 (日)

2004/09/26:今夜の新撰組始末記

 今夜はのっけから寺田屋のお風呂がでてきて、困りました。
 とてもあっさりと竜馬遭難を描いていましたね。司馬遼太郎さんの竜馬では、あの日竜馬は、足か太ももを怪我して、後日治療に新婚旅行へ行ったような気がします。
 刀傷って時代劇の端役はばったばったと切られますが、実際は少し切られただけで、手足が麻痺したり、化膿したりで大変だったのでしょう。

 竜馬が材木置き場の屋根に潜んで、薩摩屋敷へたどりつくまでの行程がとてもハラハラしたのですが、今夜の新撰組は、あっけなく、ヌッッツオさんの新撰組讃歌にチェンジしてしまいました、とさ。

 寺田屋は番組最後に実写がありましたが、私が8月末に撮したのよりも何十倍も美しく風情がでておりました。
 それにしても、今年の寺田屋付近はいつも人があふれています。
 うろうろしていると写真にとられそうです。
 先年はそうでもなかったようなのですが。

 沖田総司君が凄惨なメークになってきました。
 斎藤一さんが、人斬りの夢魔に寝汗をかいていました。
 
 一冊の翻訳書? フランスかアメリカか英国のかまでは知りませんが、歩兵操典(?)のようなマニュアル本をめぐって裏切りと虚偽と切腹とは、つらい一夜でした。切腹介添えも失敗しました。
 市中見回りなんて、いつも戦争しているようなものだから、殺気だってくるのでしょう。

 なお、司馬遼太郎さんは、たしか近藤局長の広島行きをよくは書いていなかったような気がします。
 気がするがおおいですが、昔読んだ竜馬は行方不明(たぶん、納戸の奥底)、先年は借り物だったので、テキストなしなんです。典拠なしだと、憶測推測だらけで、……、それはそれで、まあよろしかろう。

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コメント

 家族で「新撰組」を楽しんでいます。

 それで・・。よく気のつくA型の主人は、お盆の帰り、「寺田屋」も「鳥せい」も案内してくれました。

 夕方、5時を過ぎていましたから、ひっそりとしていて、あたりにいたのは、寺田屋前で写真を撮る一組の家族連れだけでした。

 私は、「寺田屋」は初めてでしたが、久しぶりに来た人間にとっては、あの近辺はきれいに整備されすぎて、昔のさびれた雰囲気がなくなった、とこぼしてました。

 司馬さんは、この広島行きで、伊東が薩長同盟の情報をつかみ、裏切りを決めたことについて、書いています。

 でも、「何で近藤さん、広島行ったん?」と家族に聞いてる私ですから、しっかり史実がわかってないと、本を読んでいても覚えてないです。

 ここの焼き鳥うまいんや~~!と案内された「鳥せい」は、日曜日だったせいか、行列ができていました。酒蔵を改造した白壁のきれいなお店でした。今度いつか連れてきてね、と約束をとりつけました。

投稿: wd | 2004年9月27日 (月) 12時08分

寺田屋と鳥せい 御家族で訪問されましたか? 今は人気スポットなんでしょうね。

しかし、新選組を考えると短い期間だったんですね。
・1863年 近藤、土方、沖田等 江戸を立ち、京都へ。
・1868年 近藤斬首、沖田病死
・1869年 土方戦死

5年間の激動期だった訳ですね。本当に、中身の濃い時代であった訳ですね。 司馬さんが竜馬がゆく、坂の上の雲を執筆するのに神田の古本屋から買い占めた、資料はトラックに2台分だそうですが、短い期間の資料ですから、殆ど買い占めたんでしょうね。

司馬さんは情報を独占して、ひょっとして、歴史捏造を考えたかも知れん。(冗談、大笑い)

しかし、家族連れで歴史散歩とは、ほほえましい風景です。

投稿: jo | 2004年9月27日 (月) 15時38分

位置案内だけです。ブウー!

投稿: wd | 2004年9月27日 (月) 16時00分

いやいや、Mu Blogの現場検証に、旦那と家族を誘導するwdはんの行動力に乾杯です!

今日も、帰りの地下鉄で六本木から乗り込んできた、若い女性陣のはしたない、行動と会話(傍若無人)には閉口しました。

この娘さん達が親になったら、子供の教育が出来るやろか?自分を棚に上げて言いますが、心配です。

この娘さん達が、子供を連れて、”ここが寺田屋やで、よう見ときや”、”ほんま、ごちゃごちゃした所やな~~”とか、案内して欲しいどす。

投稿: jo | 2004年9月27日 (月) 21時10分

客人たちへ
 すみませんでした。
 激動の一日でして(おおげさな)、さっきまで、へろへろぱっぱだったのでごわす。

 寺田屋も、NHKではあれでほぼ完了かもしれませんね。
 秋が深まったら、鳥羽伏見、さて五稜郭までいくのかどうか。

 現地調査も、私の範囲は、限られていますからね。
 しかし、来年は義経さんかな。
 またまた鞍馬山、五条橋、いそがしいですね。

 歴史は、老から若に語り継がれていくのでしょう。
 断絶があると、寂しいですね。

投稿: Mu | 2004年9月27日 (月) 21時54分

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