げんじものがたりミュージアム:源氏物語ミュージアム
宇治市源氏物語ミュージアム(京都府宇治市宇治)マピオンBB地図
なんどか行ったのだから写真くらいは掲載すべきとおもうが、近所の油断、いつもカメラ無しだった。
参考サイトには、館内や建物の写真もあるので、参照されたい。
場所は、始めていったときは迷った。当時(平成10年)の新聞で「開館」のニュースを読んで、数ヶ月後に地図も見ないで訪ねたのだが、案の定うろうろした。いま、地図で見るとやはり少し外れた場所だ。
宇治上神社の近くと思えば分かりやすい。
ここは私の教え子(司書:情報図書館学)が毎年何人もでかけている。特に日本文学を専攻にしている学生達は、私の出す課題でも「源氏物語」を選ぶ者が多い。難しい物語だが、それなりに納得した顔をしてレポートを出してくれる。
博物館は図書館以上に短時間でテーマの全体を把握するのに、優れている。
嵯峨野の野宮(ののみや)神社など、実物大の模型が目を引く。
ここには、源氏物語の研究図書や漫画のある図書コーナもあって、私が訪れた時には司書らしき人もいた。
これからも授業で、こういう博物館が宇治にあると伝えるつもりだ。
参考サイト
源氏ろまん京都宇治ウェブガイド
[宇治市観光マップで定評あるサイト]
源氏物語ミュージアム、館内写真
MyRoad宇治源氏物語ミュージアム
[宇治商工会議所によると推定]
宇治市源氏物語ミュージアム
[BookParkによる、源氏大学の一部、準備中が多くまだ未完成のようである。講談社のロゴもあったが不明]
*源氏物語ミュージアムの独自発信、あるいは宇治市によるものが、なかなか見付からなかった。宇治市公式HPにもミュージアムへのリンクがなかった。
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コメント
ののみや神社は懐かしいです。竹やぶ抜けたら、確か有りましたね。苔の庭が有名なのと違うかな~~。
茅の輪が庭にあり、輪を潜るんですよね。
平安時代の嵐山なんて、どないな鄙びた田舎でしたでしょうか?
しかし、秦氏の地盤に近いから、ひよっとすると都会であったのかも知れませんね。
源氏物語は噂では、毎週、帝に部屋に来て頂く為に『週間読売』のように、面白い話をして来週も是非、部屋に来て話の続きを聴きたい・・・・紫式部は週刊誌の記者であったと。
多分、誰かが読み上げたんでしょうね。そして、面白いところで終わる、来週が楽しみやな~~~。瘋癲老人日記(週一)みたいやね。毎回、場所は国立の繁寿司やけどね。
投稿: jo | 2004年8月19日 (木) 14時14分
もっと真面目なコメントしようと思ってたのですが、↑のJoさんのコメント読んでるうちに、書きたいこと忘れてしまって・・、とJoさんのせいにする(笑)。
『源氏物語』のうわさ話って本当なんですか?
まるで『千夜一夜物語』の話みたいですね。(おもしろい話で王様の気を惹きつけるってところが・・。)
今回の『ふうてん老人日記』が、おもしろくって、隠れヨン様ファンなる私は、ヨン様を題材に取り上げたふうてんサマに拍手でした。時代を読んでおられるんですねえ~。
今の茶髪のヨン様は、私もどうかと思うんですけど、高校生のかげのある役どころのヨン様が、ほほえんだとき、そのギャップに魅せられてしまいました。
あっ、源氏物語ミュージアムの話でした。
小説世界の展示というのは、難しいものがあるなというのが、正直な感想でした。
私はあのミュージアムでなされる講義や講演会に期待したいです。
一人センセがついて「源氏物語を読む」といった読書会でも開いてくれないかしら、と思います。
P.S. ふうてんサマや、Muサマ、Joサマの純愛ドラマを楽しみにしております。
投稿: wd | 2004年8月19日 (木) 14時48分
Wdはん
単なる、噂話どす。だけど、状況証拠は沢山ありそうですよ。
道長は娘の中宮彰子を一条帝に接近させて、中宮定子と清少納言のグループから帝を奪い取り彰子を不動の皇后にする戦略がありました。どのようにして、彰子グループは一条帝をこちらに、引きつけるか? 私は、紫式部は参謀本部として大活躍をしたと思います。私の予想では、黒幕は道長で紫式部に指示が下ったと思いますね。『一条帝 取り込み作戦・・・源氏物語 週刊誌の発行 』作戦指令です。
多分、式部は旦那が亡くなったあとに、暇にまかせて源氏物語の草案を作成し、持っていたかもしれない。
道長はそれを読んだかもしれない。そこで、本格的なプロジェクトが開始された。
この作戦は大成功をおさめ、子供も二人かそこら出来る。
このように、考えると『源氏物語』は又、面白いな~~~と
思うだけどす。
投稿: jo | 2004年8月19日 (木) 16時01分
JOさんその一
紫式部はんが週刊誌記者というのは新説でしょうね。
ものすご、教養のある人やったみたいですが。
贔屓筋も、サロンをめぐって華やかだったでしょうね。
紫式部をものすごく醜く描いた現代作品と、可憐な文学少女に描いた作品がありますが、私は後者を好みますね。
暗さはあったろうけど、源氏物語には、わらえる情景もあるし、皮肉やさんだけの作者とは思っておりません。
投稿: Mu | 2004年8月19日 (木) 20時20分
WDさん
源氏を学ぶ女性は多いようですね。
私も、昔の職場近辺、その他いまでも耳にします。
でも源氏物語は難しいから、しんどいとも思います。
心の綾の描き方も、わたしみたいに、マシナリーというか機械的に計る人間だと、しんどくて困ります。
表現も、待遇する言葉で相手がかわるんだから、ものすご分かりにくいですね。
心の綾は、むつかしい。
むつかしい世界を1000年に書いていた紫式部はやっぱり才女と言って間違いないですね。
うむむ。
投稿: Mu | 2004年8月19日 (木) 20時24分
JOさんその2
おまけに道長はんと紫式部はんは、深いちぎりがあった話もあるから、そのころの宮廷の複雑さ、おもしろさ、怖さがすべて物語には埋め込まれてるんじゃないでしょうか。
けど現代人の99%はそれを翻訳でしか読み切れない。
まあね、プラトンやカエサルも、わたし達は翻訳で理解しあじわうのだから、古典日本語は外時語とおもえばよろしいね。
と・こ・ろ・で、源氏物語に話が行くと、わたし、急にテンションがさがるでしょう。
これは簡単でして、20年も属している研究会が、いつぞやも書いたけど、私以外は全部源氏とか中古(平安文学時代をそう呼ぶらしい)の(正真正銘ほんまものの)専門家ですから、なんとのう、覗かれていたら気恥ずかしくてね。わたしも、ひとなみに廉恥心あるって、ご理解ねがえますかね?
梅安一家にも理解しやすい事例
たとえば私がですね、N先生の前で「知識情報哲学の神髄はだね、君ぃ~」と演説するような、気恥ずかしさです。
投稿: Mu | 2004年8月19日 (木) 20時53分
そやね! あまりにも阿呆みたいな話してると、根底から信用を失いかねないどすね。けど、20年も源氏物語の研究会に参加してると言うことは、Muさん、あんたも専門家なんと違う?
ここは、それ、blogからも将来、”源氏物語”が生まれるかも知れんという事にしておきませう。
投稿: jo | 2004年8月19日 (木) 22時43分
JOさん
専門家いうのは、自分の言説、あるいは行動行為を、自ら検証する人やと思う。
それを長年やっていると、素人がいうその場限りのことに、すぐさまその妥当性を判断推量できるくらいの力量がつく(つかない人も多いが)。
だから専門家の目は一応、煙たいもんです。
好きな妄想や自由連想にひたっていても、そばに冷徹な目があると思うと、ひんやりするじゃないですか。
それだけのことです。
私は源氏物語の専門家ではないです。
よくわからないからです。
(つまり、女子大に長くいても、女子学生の専門家じゃない。よくわからないからです)
……
半睡状態なので、これくらいで。
なお、
JOさんもMUも、徹頭徹尾blogの専門家です。
この理由は、いずれわかるでしょう。
blogで源氏物語が生まれる。もう、どこかでうまれているかもしれないですね。
投稿: Mu | 2004年8月20日 (金) 02時23分