« 辨慶うどん | トップページ | 金魚と住む »

2004年8月28日 (土)

てらだや:寺田屋

伏見・寺田屋(京都市伏見区南浜町)マピオンBB地図(広域)、MSN地図(詳細

寺田屋:旅籠(はたご)
 今朝土曜の朝にふと思い立って寺田屋の前に車を止めました。丁度8時ころだったので、人も車もほとんどなかったです。最近は、前を通り過ぎるたびに、たくさんの老若男女に押し返されます。やはり、NHK-TVのご当地ものの力は大きいですね。例年なら、人だかりは祝休日程度ではなかったかと思います。

 この寺田屋は昔からあります(笑)。つまり私が伏見の地をうろうろしだした40年以前から、印象に残っています。丁度、司馬遼太郎さんの竜馬がゆくとか、NHKの大河ドラマで北大路欣也さんが竜馬をやっていたころだからでしょう。

 今から20年ほど前に、知り合いが遠方の友達と一緒に宿泊したことも覚えております。その後、一旦廃業したようにも記憶しております。建物の維持保管も大変だったろうし、当時の行政も寺田屋の存続にはあまり興味がなかったような記憶もあります。
 いま、記事を調べると史跡であり、旅籠(はたご)としても機能しているようです。よかったです。
 寺田屋保存会という会もあるようなので、いろいろご苦労があるのだと思います。

 さて、明日日曜は「寺田屋騒動(事件)」がNHK新撰組であるようです。薩摩関係の悲劇ですね。
 竜馬が襲撃されるのは、もう少し秋になってからでしょうか。
 こうして、幕末の数年をTVに合わせて1月から12月までの現代歴に短縮して考えるのも、不思議な気がします。

 12月は、さて近藤局長斬首なのか、それとも土方副長が五稜郭で戦死なのか、NHK関係の記事を読めばすぐにわかることでしょうが、それはミステリの世界では「ネタばれ」といって、大逆的犯罪行為なので、やめておきます。

(私は、ときどき、ぼけて「ネタばれ」を会話中にしてしまう癖があります。そこら中で、ぼこぼこにドツカレますが、すぐにまた「ところで、森博嗣さんのFじゃがね、あれは、あはは」とか、「京極さんのオンモラケのことじゃが、あれはね」とやってしまう)

寺田屋:正面
 私の腕が悪いのか、それともカメラが悪いのか、少し傾いて見えますね。実際はどうなんでしょう。やはり、家屋として年月が経っていることも原因なのでしょう(笑)
寺田屋:側面
 いろいろなサイトを見ますと、先の正面とこの側面写真とは、どこにでもあります。記事を掲載するだんになって気がついたのですが。しかし、これは私が2004年8月28(土)の午前8時頃に写した物ですから、世界中の寺田屋サイト掲載写真のうち、まだ、最新ではないでしょうか(夕方5時頃の話)。じっくりごらんくださいませ。

寺田屋のコメント返し
 このMuBlogでも、この半歳の間に寺田屋についてのコメントをいただきました。今日のこの記事で現地報告をかねておきます。やっと写真を撮れて、ほっとしました。
 羊さんから、2004/05/23日にコメントをいただきました。
 upさんから、2004/06/12日にコメントをいただきました。。
 Muが、2004/06/27日に、現地報告を怠っていると、JOさんにわびていますね。

参考サイト
 たくさんありましたから、偶然な出会いで見た二三の事例をあげておきます。

 寺田浜・三十石船・寺田屋[伏見界隈のこともまとめてわかります]
 幕末の京都を歩く:鳥羽伏見寺田屋巡りマップ[伏見界隈の幕末関連地図がわかりやすいです]
 開国開城10:薩摩藩島津久光の率兵上洛と寺田屋事件(寺田屋騒動)[タイトル通りの記事です]
 寺田屋・坂本龍馬[坂本龍馬が中心で、古い写真があります]

|

« 辨慶うどん | トップページ | 金魚と住む »

地図の風景」カテゴリの記事

コメント

寺田屋ですか、近くの”焼き鳥屋”にご案内頂きましたね。
確か、酒造会社の経営するお店の記憶です。黄桜のブランドでしたかね?
幕末時代、”焼き鳥屋”は存在したんでせうか?竜馬も焼き鳥を食したんでせうか?伏見稲荷は”雀のピン焼き”の名所ですから、ありそうですね。
今日は、寺田屋騒動? 近藤勇の身請け?嫁はんの来訪?ヤバそうな雰囲気ですね。
竜馬は鹿児島に新婚旅行するんですよね?今でも、宿泊できるなら一度、梅安さんと泊まってみますかね。

投稿: jo | 2004年8月29日 (日) 14時08分

JOさん、沖縄息子さんと、まだマシン共有なんだろうか?

1.焼き鳥は「鳥せい」で、伏見神聖酒蔵鳥せい、となってます。
2.黄桜は近所のかっぱ天国です。バーベキューとか三色地ビールですね。
3.伏見は酒処。飲める人にはこたえられないでしょう。下戸の私でさえ、時には日曜の昼下がり、こっそりと「原酒」飲みに行ったりするくらいですから。

4.幕末寺田屋時代に、鳥せいはなかった。だから、焼き鳥のルーツは別途調べなければならない。でも、そんなんは、若いもんにまかせて、わられ派、飲み食べればよろしいですね。

5.<美味しいところ>でいつか「鳥せい」も「カッパ」も紹介します。すでに大昔、記事の原型は別HPにありますよ。

6.寺田屋は朝食付きで7千円(夕食なし)ですね。いつでもどうぞ。ただし、現在は無理でしょうね。おそらく。

7.今夜のNHK寺田屋大騒動は、なんとなく、タイトルにだまされたみたいだ。江戸のつねさんと、京都(大阪)の綺麗どころの確執がテーマみたいですね。薩摩がどうのじゃないような。

 と・こ・ろ・で、困ったことに私は、江戸も関西も、両方声援送っておるのです。江戸は丈夫そうで、関西は病弱そうで、脚本・演出、なかなか狡猾なほど、うまいなぁ。
 そこに昔絶世美少女澤口靖子(沖田総司姉役)とか、おりょうとか、おとせ、がからまるんだから、そりゃ大騒動。

 この近藤局長秘話、歴史的には、薩摩藩寺田屋事件よりも重要なのかもしれないね。

投稿: Mu | 2004年8月29日 (日) 14時35分

今夜の寺田屋騒動
 江戸の本妻つねと、浪速・太夫との、寺田屋での遭遇。
 竜馬と桂と近藤の、寺田屋でのすれ違い。

 だから先日土曜に想像していた薩摩藩からみの話ではなかった。

 で、今夜のNHKは。
 むつかしい話です。
 しかし最近までの人類史は大抵、男性が女性を経済的に面倒みる歴史でしたから、近藤さんが現代で言うとおそらく1000万円から2000万円ほど支払って、太夫(女優:優香?)を身請けしたのですから、はたからはなんとも申せません。世の中、金と力のある人が、それを行使するのは当たり前です。
 それが現実世界でありましょう。

 貧しくても良い、などと嘘っぱちに騙される人はまだ未熟だと思っています。貧しさのプレッシャーは相当に心身にこたえるものです。金と力とはあったほうがよい。

 江戸のつねさんは、TVのなかで上手でした。
 脚本・演出は、男性の目から描かれているから、現実の女性がどう感じるかは分かりません。つねさんの無念さと理性とのせめぎ合いがよく顕れておりました。
 男性の目から申しますと、近藤さんは死地に過ごした2年間だから、まともな神経だと発狂してもおかしくない。トップのプレッシャーは並大抵のものではないでしょう。

 ともかく、史上の寺田屋騒動よりも、竜馬の災難よりも、今夜のNHK新撰組寺田屋大騒動は、難しい内容でありました。

投稿: Mu | 2004年8月29日 (日) 21時22分

寺田屋人情騒動:
昨夜、何回もコメントを書いたが、マシンがフリーズしてしまいUPが出来ない事態が続きました。馬鹿息子が帰国後調子は最悪でして、遂に、馬鹿息子にキットを買わしに横浜のソフマップに走らせます。VAIOのデスクトップですが、モニターとキーボードはその儘で、本体をキットから制作させます。息子の見積は6万円です。あ~~水上機が2万5千円、チューンドサイレンサー(消音器)が5千円、ゴムボートが2万円(千葉の親爺と折半、4万円の品物)、しめて、5万円だから、合計11万円の出費である。

そうそう、寺田屋人情騒動ですね。私は観ませんでした、寝てました。こういう場面は観るに耐えないです、又、前回の山南さんの場面も観ませんでした。

現実を直視出来ない、弱い性格なんです、私は。
だから、映画でもドラマでも筋書きを知らないで、体験するしかない。何日も心が痛むから、自分では避けて生きているんですね。

金魚鉢眺めているほうが好きです。

投稿: jo | 2004年8月30日 (月) 11時29分

JOさん
 さっき葛野に常備の正露丸を飲んだら楽になった。
 で、あのF痛きっての麒麟児とまでうたわれたJOさんが(ここまで書くと、?だね)、ここにいたってVaioですかぁ。
 もっとも、梅翁にいわれるまでもなく、Vaioを最初に触れたとき、ああこれはTowns後継マシンと感じたんだから、不思議じゃないけどね。

「観るに耐えない」
 いやはや、こういうナイーブな経営者が存在しうるのですか。「弱い性格なんです」ぷふふふ、そのセリフが私がはいてこそ、お似合いなのにね。
 「何日も心が痛む」JOさんの関与してきた大口契約会社は、なんというか、いまごろクシャミしてはるよ。

 やはりな。JOさん、私ね、あなたのコメントを読むと、心が明るくなります。

 で結論。
 山南の死も、太夫の身請けと正妻との確執も、しっかり観ました。死も生も金も名誉も、喜劇も悲劇も、なんでも消化し尽くそうという、自らに課した義務感ですな。
 すると。
 やがて、生き仏になってきたのです。
(どうだか? というブーイングも、耳には聞こえない境地)

投稿: Mu | 2004年8月30日 (月) 12時13分

生き仏の旦那:

無我の境地ですな。
ところで、今週末の金曜日は午後、娑婆の商いで大阪へ下向です。とにかく、飯を社員に食わせないといけないので、商いもやります。夜は,大阪の北の新地で酒場でしょうね、嫌やけどしょうがないね。

ところで、梅安さんは四国の文楽の旅からご帰還あそばしたんでせうか?

投稿: jo | 2004年8月30日 (月) 14時57分

JOさん、お仕事ですか。
「しょうがないね」
あまり、しんじられないような。

梅さんは、文楽一座に弟子入りでしょうか。

ところで。
外はすでに暴風雨です、台風もしらずに夜がふけましたなぁ。

投稿: Mu | 2004年8月30日 (月) 21時14分

先生、こんにちわ。
 寺田屋には何度も何度も行きました。今年の8月19日にも姪が鹿児島から遊びに来ていたので、時間の都合で中に入れませんでしたが前を通りましたよ。
 寺田屋では中にあるいろいろな物に値札が付いていることに驚きました。まったく関係ないようなコップや近頃のキャラクターものの置物に値札が付いていました。
 竜馬の写真や直筆と書かれた手紙も展示してありましたけど、本物です と書かれた「赤富士」のあの絵は本当に本物なのでしょうか?ご存知ですか?

投稿: 羊 | 2004年9月 2日 (木) 11時45分

ちなみに、 
泊り客を目撃したこともあります。
トランクスに首に赤いタオルをかけた姿で、それも驚きました。

投稿: 羊 | 2004年9月 2日 (木) 11時49分

羊さん
 簡単な方からこたえて、とりあえず、珈琲を飲んで葛野記を書いて、それから一眠りして、あとのコメントにコメント返しをします。

 で、その赤タオル・トランクスは、男性でしょうね。
 (わからないけど)
 若いひとでしょうね。
 (わからないけど)

 竜馬さんの親戚の方かな。

 と・こ・ろ・で、私がそこにいても、逆に死語ギャル達から、「あんなぁ、へんなヒトいはったえ。じっと、階段みたままなんや。よれよれの服と髪の毛してなぁ。キショ、ほんま、どつたろかとおもた。そこ、どいてぇ」とかなんとか、いわれそう。
 いろんなとこで、見入ってしまうと、没入するから、ちょっと気を付けてます。

投稿: Mu | 2004年9月 2日 (木) 12時04分

羊さん
 おひさしぶりです。
 私は、元気な夏でもなかったのですが、だいたいMublogを書いて、日々過ごしました。

 ところが。
 外を歩くことが少なくて、Mublogの「書をもって町にでよう」がなかなかはかどらなかったのです。
 今回も、寺田屋、そとから撮しただけでした。
 だから、本物かどうか、わからないですね。
 ともあれ、寺田屋列品真贋ツアでもあれば参加したいです。

 最近。
 古い記録をみていたら、お仲間の顔が一杯浮かんできました。
 卒業写真もいっぱいありますが、まあ、あと10年ほどしたら、大公開しましょう。そのころは様変わりして、肖像権なんたらも、影響ないでしょう(爆笑)

投稿: Mu | 2004年9月 2日 (木) 12時59分

Thanks so very much for taking your time to create this very useful and informative site.l

投稿: djecki | 2007年8月15日 (水) 18時24分

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: てらだや:寺田屋:

» 2004/09/26:今夜の新撰組始末記 [MuBlog]
 今夜はのっけから寺田屋のお風呂がでてきて、困りました。  とてもあっさりと竜馬遭難を描いていましたね。司馬遼太郎さんの竜馬では、あの日竜馬は、足か太ももを怪我 [続きを読む]

受信: 2004年9月26日 (日) 22時35分

» ふしみみなと:伏見港界隈 [MuBlog]
承前「寺田屋」(MuBlog) 伏見港界隈(京都市伏見区本材木町)its-moGuide地図  (地図の説明:地図下部に長建寺、この門前からの写真が多いです。左 [続きを読む]

受信: 2005年3月21日 (月) 18時40分

» てらだやのうち:寺田屋の内 [MuBlog]
承前 寺田屋(京都市伏見区南浜町)極詳細地図  昨年(2004)、京の伏見が新撰組で真っ盛りの夏に、寺田屋を外から見おりました。それから約10ヶ月、この6月、今 [続きを読む]

受信: 2005年6月24日 (金) 00時15分

« 辨慶うどん | トップページ | 金魚と住む »