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2004年8月22日 (日)

2004年8月22(日)雨:山南敬助の死

 今夜は雨になった。
 さっき、NHK新撰組で山南敬助総長が切腹し、はてた。

 夕方新撰組をみようと思って新聞テレビ欄を確かめると、オリンピックで、いつもの8時ではなく午後すぐの時間に放映が移されていた。残念に思った。8時頃には居眠りしていた。
 ところが、呼ぶ声があり、起きてみると始まっているとのことだった。テレビ欄が間違っていたようだ。

 45分間があっという間にすぎた。試衛館以来の仲間の死だから、みる方の私もつらかった。
 33歳だったらしい。

 史実は様々だろうが、それはそれ。本人がどう思い、近藤や土方や沖田がどう感じていたかは、わからない。
 その重層した記録や聞き取りや、全体印象のなかから、脚本は45分間という一つの場面を作った。
 それは、よくできた解釈だったし、出演者もみな好演だった。
 いまのNHK新撰組関係者は、今夜、歴史の一瞬を再現してくれたと思っている。
 山南33歳。
 若かったんだと思う。

参考サイト
  新撰組歴史館

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小説木幡記」カテゴリの記事

コメント

 組織の中で、自分の存在価値を見いだせなくなった山南さん・・。

 「きっちり、死なせていただきました。」とは、山南さん演じる、堺雅人さんの言葉でしたが、立派な最期だったと思いました。

 山南さんの演技もさることながら、土方の、山南の切腹を見つめる眼(まなこ)に浮かぶ涙。
最後、近藤と泣きじゃくる姿に、もらい泣きしてしまいました・・。

(NHKさんに一言。いくら堺雅人さんに人気があるからといって、番宣のしすぎは、いかがなものでしょう。一週間も前から何度も流れる映像に、本番の映像の感動がうすくなったような気がします。)

投稿: wd | 2004年8月22日 (日) 22時14分

WDさん
 いやはや。
 ヨン様もかすむような、ほとばしりコメントに、感心。
 大河番組にひとときを楽しめること、じっくり私も味わっております。

 それにつけても、番宣という言葉を知りませんでした。事前にサワリを番組宣伝、つまり数秒間放映するわけですね。
 私は、週に日曜の夜8時しかTVを見ないので(本当です)、様子がわからなかったのです。

夜も更けて参りました、では。

投稿: Mu | 2004年8月22日 (日) 22時24分

しかし、世間広しといえど、日曜の『新選組』しか観ない人は貴重な人種ですね。テレビを観ない人はおります、例えば会社の元先輩で海外事業を担当されていた人。テレビがあるのに、観ない人は珍しい、珍種である。選ばれた番組が『大河ドラマ』これも、変ですね。だいたい、テレビを観ない人は難しくて、大河ドラマは見向きもしないのでは、ないでせうか?
ま~~、夷方面の梅安さん、Jo氏などはテレビに詳しい。
しかし、この春からblogを始めると『テレビを観る時間が無い』。しばらく、テレビから離れると、面白くない。不思議ですね。飛行機は作る必要があるし、修理は必要やし、blogはやらんといかんし、古代史の本も読まんといかんし、MuBlog関連の資料を調べないといけないし、・・・多忙なり。
ところで、山南はんの顔がつっぱった御仁(Wdさんの見事な表現?)の最後でしたか。(知ってたけど、可哀相で観ない)

次は、近藤はんですか。悲しいね~~。

投稿: jo | 2004年8月23日 (月) 15時20分

JOさん
 そう言われるとけったいな日常をずっと送っています。
1.NHK大河も毎年4月の数回は見て、あと見なくなるのです。最後までみたのは大昔の伊達政宗と、多分今回も最後までみるでしょう。

2.TVは、よほど気に入ったのがあると希にみます。先回見逃したけど、いつか、稲垣吾郎さんの「八つ墓村」があるようです。これはみます。そんな程度ですね(当然、オリンピック見ておりません)ああ、ごく希に、年に数回世界不思議発見をみますかな。

3.私宛の電話は葛野も木幡も携帯も、ゼロに近いですね。まずない。
4.私宛の手紙や葉書は葛野も木幡も、まずゼロに近いですね。
5.たとえば、今夏、葛野で終日(12時間)、声をださぬ日が続きます。人とあわないからです。

*.要するに、職業にしては、異様な閉塞空間というか、亜空間にすむ、日々です。そして、それがとても身にあっていて、快適ですよ。

**.自己診断:つまり、情報分析力・格納能力の限界を知っていて、それ以上、なにも受け取らないという、バリアが出来ておりますね。脳は疲労するんです。日常茶飯事においてさえ。
 補正機能として、メルやMuBlogがあって、仮想的に交信し、脳の孤絶を解消しているのでしょう。
 だからメルも見ないわ、MuBlogも掲載しないとなっても、心配無用。おそらく、マシンやシステム開発や、作文作りに、全能力を傾注し、脳内麻薬の海の中で、極楽浄土を味わっておるのでしょう。

JOさん、ご理解願えましたでしょうか。だから、大河新撰組しかみないのは、当然なのです。
あ、なぜ新撰組かですよね。それは、昔から、土方歳三が好きだったからです。単純そのもの。

投稿: Mu | 2004年8月23日 (月) 16時07分

なるほど。おいおい理解するでしょう。
思うに、こちらの意思や好みを無視した一方向のメデイアが嫌いなんやね。自分の時間が無駄になるし、余計なことで脳(CPU)を使うのが勿体ない。自分が好きな、且つ、許せるというか出来が悪くても、丸ごと許せる世界のみテレビを観る。
八墓村の稲垣青年も、石坂はんやったかね? 両方観ましたよ。
怖いね~~~。あれは、現実にあった事件をヒントにして出来た作品でしたよね? 怖いね~~。

投稿: jo | 2004年8月23日 (月) 16時36分

JOさん
 八つ墓村の稲垣青年はまだ未公開のはずです。(え、もう公開されてるんやろか?)
 この映画は、いくつもあるから、金田一さんの俳優で区別してるんですが、稲垣さんの「犬神家」は夏前に放映されて、私、見逃したんですよ。

投稿: Mu | 2004年8月23日 (月) 18時48分

御免、間違い。犬神家の間違いどした。ホンマ、脳が腐り始めたね。

投稿: jo | 2004年8月23日 (月) 23時48分

JOさん
 腐る寸前は、爛熟というか、豊饒を意味します。
 TVの犬神家と八つ墓村で、脳の腐敗度を判定するのは乱暴です。
 もっとも、私のように、その世界が大好物な者には、なかなか自らの脳をあやぶむ昨今ですが。

投稿: Mu | 2004年8月24日 (火) 01時35分

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