かんむてんのうりょう:桓武天皇陵
桓武天皇陵(京都市伏見区桃山町永井久太郎)MSN地図
もとからこんな形の案内石だったのでしょうか。欠けたような、デザインを考えてのような、それが気になったのです。
桓武天皇さんは、平安京の最初の方ですから超有名なかたです。岡崎の平安神宮の神さんになっておられます。ところがその御陵となると、京都の南、伏見城近くなのです。
いまは明治天皇陵の傍だし、また御陵の前に立つと伏見城天守閣が間近に見られます。
で、考えたのです。秀吉が伏見城をつくるずっと以前に、このあたりはどんな様子だったのかという夢想です。
調べればわかることだし、少しは図書を見るべきなのですが、なにもしない前に夢想するのは楽しいです。
今から1200年以上も昔、都を開いた天皇さんが、南の方の伏見にお墓を持っておられる。
ああ、一つ思い出しました。
昭和期までは巨椋池(おぐらいけ)が南部にありました。御陵はその宇治川をはさんで北の境界あたりになるでしょうか。
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コメント
いいですね。
桓武天皇から始めて一つその・・・
平安京を一舐めしていただけると
ありがたいのですが。
投稿: ふうてん | 2004年7月 9日 (金) 10時27分
ふうてんさん
たしかに都の周辺に、あちこち御陵さんがあります。
でもね、「一舐め」というても、ものすごたくさんですよ。
まあ、最初はきがむいたとき、みつけて紹介して、たくさんになったら、まとめる、くらいの気持ちで、・・・隠居仕事いうますねん。
山科には天智はんがおります。京阪宇治にはどでかい古墳あります。このお二人は古すぎて、はずしましょう。
嵯峨野にはたくさんありますね。
楽しみです。
(おはか、ばっかり写真にとって、変な趣味やな。まあ、死とたわむれるという、ノリですな)
投稿: Mu | 2004年7月 9日 (金) 12時16分
こんにちわ
前の勤務先の通勤路だったので、桓武天皇陵や伏見桃山城の近くは毎日のように通りました。
桓武天皇陵を熱心に写真にとってらっしゃる方を何人か見かけたことがありますよ。
この近くには「北堀公園」があり、ウォーキングには最適の場所です。
投稿: 羊 | 2004年7月11日 (日) 09時48分
羊さん、こんにちは
北堀公園、しらなかったです。
で、通勤してらしたとか、ということはあの御陵道を歩いておられたのでしょうか。まさか、自転車か自動車ですね。
桓武さんは、いつぞやどこかに書きましたが、陰陽師のパート1で、最初の方に桓武さんが登場したような。
いろんな意味で傑物だったらしいです。
京都を開いた桓武さんと、東京へ行ってしまわれた明治さんとが、おなじところに陵墓があるというのも、縁でしょうか。そこいらは調べないとわかりませんが。
ではまた。
投稿: Mu | 2004年7月11日 (日) 18時16分
Muさんへ
夢想するのが楽しい、っておしゃってたので、コメントを控えていたんですが・・。
平城京に遷都を行った,元明さんの御陵は、平城宮跡からそれほど遠くない、奈良阪町にあります。
でも、桓武さんの御陵は、また都から離れた伏見の地にどうしてあるんだろう、と思いました。
それで、おもしろいホームページを見つけたんです。
桓武さんの御陵も、はじめは宇多野付近にあったとか。それが宇多野勢力の反対や、加茂神社のタタリだとかで伏見に移ったそうです。
その他、陵墓は、元明天皇の頃から、墳丘を造るのをやめて、自然の丘を山稜とするようになったらしいですね。
そうそう、ふうてんさんがおしゃってた平安京を一舐めするっていうのも、「京都に所在する天皇陵のデータベース」になっていました。
下記にURLを記しておきますね。
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/tennou50.html">http://homepage1.nifty.com/heiankyo/tennou50.html
P.S
平野啓一郎を「日蝕」で知り、「一月物語」でいいなあ~と思いました。知人にもすすめたのですが、ツマラナイと言われてしまいました。それ以来、平野さんのことは自分の心の中であたためています。クスン・・。
投稿: wd | 2004年7月12日 (月) 09時37分
WDさん
宇多野に桓武さんがおられたとは意外ですね。
歴史は複雑ですね。
よもやとはおもったのですが、なんとなくこそばゆくなったので、桃山の、確定は避けました。
その、祟りで御陵が変わるというのは、初耳です。
ちょっと私も本気で調べます。
平野さんですか。なんだ、葛野記をみはりましたんやね。
で、興味が以前からあるので、この方も、ちと本気で読んでみます。
投稿: Mu | 2004年7月12日 (月) 12時07分
Wdさん
今朝おちついて、じっくり、参照記事を読みました。
http://homepage1.nifty.com/heiankyo/tennou50.html">http://homepage1.nifty.com/heiankyo/tennou50.html
いやはや、桓武御陵の結論は、大体あのあたり(桃山)が正解というだけで、桓武さんほどのお墓でも、長い歴史の中で迷子になってしまうようですね。
しかし、墓とかは、時代時代の要請で変化するのが当たり前かも知れませんね。いま、書陵部はあそこを桓武さんのや、と言い切って祀っておられる。それはそれで、ありがたいことです。
とは言っても、好奇心はふくれる一方です。
近頃痴友の梅翁さんの指示で、京都をめぐろうとおもいはじめましたが、こりゃ、一筋縄ではいきませぬな。
たとえば、北野天満宮は、もともとは広澤池にあった、なんてトンデモ話がでてきたら、もうそれだけで、一生かかりそうです。
投稿: Mu | 2004年7月13日 (火) 09時06分