情報図書館学・科学情報:科学情報論序説/原田勝
By NDL-OPAC Z21-2
科学情報論序説--科学の社会システムと科学情報/原田勝
=The Role of Scientific Information in the Social System of Science/Masaru Harada
Library and information science
三田図書館・情報学会 / 三田図書館・情報学会 編
(通号 13) [1975.10]
pp233~246
著者注記 原田、勝(1944-2004)∥ハラダ、マサル
ISSN 0373-4447
雑誌記事ID 2637100
目次情報
Ⅰ.はじめに
Ⅱ.科学の社会システムと規範
1.社会システムとしての科学
2.科学の規範体系
Ⅲ.科学の報酬体系
1.科学の社会システムと報酬
2.専門的承認
Ⅳ.先取権とその確保
1.科学の報酬体系と先取権
2.先取権の獲得手段
Ⅴ.現代の科学研究と科学情報
Ⅵ.むすび
著者抄録
Resume
Anylysis of the communication practice in the scientific community is a necessary step to oganize a national information system for science and technology, and to construct a theory of special librarianship. But, studeis on communication in science have been descriptive, rather than theoretical.
A theory of scientific communication must be based on the analysis of the social sysytem of science. As a first step, the system can be analyzed in terms of a social exchange, i.e., the presentation of a research result and the professional recognition given for it. Scienfic papers are the most important media used in this exchange.
Professional recognition is given to creative research, and many kind of rewards are given based on this professional recognition, such as promotion, the award of an honorary title and a scientific medal, easier access to funds.
Another aspect of the reward system of science can be seen from the determination process of a technical term. Eponymy is a kind of reward to a nation, as well as to a scientist.
The history of science has witnessed many struggles for priority among scientists. And scientists have been used many means to establish priority; anagrams, sealed letters, scientific journals, presentation at scientific conferences, letters to the editor, letter journals, preprints, mass communication media, forecast added to previous papers, etc.
The modern system of sciece, however, does not always observe the classical norm of science. This is due to the institutionalization of science and the emergence of big science or governmennt science. We need a more actual and rational model of the social sysytem of science. A theory of scienfitic communication will be constructed based on this model.
冒頭文抄
「科学情報の伝達に関する研究は、一方では、図書館の利用者研究として行われてきたし、他方では、社会学者や科学史家により、科学におけるコミュニケイション・プロセスの分析的研究として行われてきた。しかし、ここで、図書館の利用者研究は、有効な図書館・情報システムの設計のためには、潜在的な利用者も研究対象として含まなければならないので、結局は、研究者全体を母集団とした社会調査的研究に向かわざるを得ないという限界があった。」
結語抄
「科学におけるコミュニケイションの現状を分析することは、全国的な科学技術情報流通システムの組織化を考えるためにも、またその下位システムである各々の図書館・情報システムの役割を探るためにも、欠かすことのできない作業である。しかし、このような分析も、科学者がつくっている科学の社会システムの構造と、その存続・変動を規定するさまざまな要因の分析から得られる「科学の社会システム論」に基づいた理論化が求められない限り、単なる現象の記述に終わってしまう。」
Mu注記
原田勝は20代末から30代前半において、二つの源流を持つにいたったと仮定した。一つは「ビブリオメトリクス」であり、一つはこの「科学情報論序説」であった。これは、前者がオブジェクトとして「情報」の分析組織化をさし、後者はオブジェクトとして「利用者=科学者」の分析組織化をさす。この前後、データベースシステムに関する論考も含めるなら、それら三つが後の「電子図書館」研究に遠く、流れていったと推測する。原田のデータベースシステムに関しては、源流というよりも、手法として、ツールとしてのDBMSであったと判断している。
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コメント
この(硬さ)が原田先生の持ち味なのですね。
・ビブリオメトリクスの方法とその応用
・科学情報論序説
の2冊の目次と著者抄録を彦さんに紹介してもらって、改めて
そう思いました。
こんなん読んでいると、知・情・意/真・善・美のあらゆる
要素に向き合わねばならない(図書館)というものがいかに大変
であるか考えさせられます。
先生は、あくまで知的に、あくまで硬派のスタイルで望もう
とされていたのですね。
(北帰行)の好きな方のご本だと思いました。
投稿: ふうてん | 2004年7月 6日 (火) 01時07分
ふうてんさん
お早う御座います。
ビブリオメトリクスの目次や抄録を御覧になって、これが図書と誤認されるところに、原田センセらしさもあると思います。単純原稿枚数計算しても、注記をいれて百数十枚の雑誌論文なのです。もちろん科学情報論序説も雑誌論文です。
前者の原田センセの目次構成は、ある観点から見るとうっとりします。センセは、記すものにストイックでした。書き流し、垂れ流しはみたことがないです。
あるひ、後日紹介する図書の、一つの章となった論文を、ある雑誌の編集者として私が依頼したとき、センセが単一論文でも最低5回は推敲すると、ぼそっと洩らしていた事実を、いまでも覚えています。
さて。硬派。そうですね、原田センセは、硬派だったと言えます。スタイルですね。文体であり、論理構成であり、生き方であり、すべて硬派でした。
軟派の私が、すくなくともセンセ京都在住のおりにはしょっちゅう傍に居れたのも、硬軟、取り合わせがよかったのだと思っています。
真っ向から対立したのは小説観でした。三島由紀夫の豊饒の海、第一巻『春の雪』に関して、数年前も、雲行きが妖しくなりました。センセは「Muさん、春の雪は最初の2頁くらい読んで閉じました。ついていけません」
私は下を向いたままでした。まあ、軽く酒の入った原田センセに論争をしかけるのは、徒手空拳で戦車に挑みかかるようなもんですからね。
で、不思議は、なぜこの期におよんでセンセが豊饒の海を読もうとなされたのか、はたまた、本当に読んでいないのか、ここらは謎ですね。前者はおもいあたるところがあります。後者は、読まれた、と判定しています。原田センセのストイックさは、なっとくするまでは、不用意にホラはふかない、硬派だからです。
・・・
いやはや、話がつきない。
ふうてんさん、北帰行、センセのオハコでしたね。ふうてんさんがしるしてくれた私信の歌詞をよんでいて、原田センセのことをさらに、分かったきがした。
おそいけどね。
投稿: Mu | 2004年7月 6日 (火) 07時54分