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2004年7月25日 (日)

ろくじょうのいん:六条院

源氏物語・六条院(京都市下京区)マピオンBB地図

 「うじのわきいらつこ:莵道稚郎子」を掲載したあと、源氏物語が気になってきた。その記事では現在の宇治神社が宇治十帖「八の宮」の旧邸モデルかもしれないという話につながっていた。
 それを考証するまもなく、今度は畏友梅翁が語っていた「平安時代」を思い出してしまったのだ。これについては、さっそく痴友JOさんもJO-Blogに新稿を掲載した。

 となると、まず光源氏の建てた豪壮な住まい「六条院」が気になってくる。すこしみてみると紫式部は「六条院」のモデルとして源融(とおる)の河原院を選んだようである。
 河原院とするならば、おおよそ、南北は現在の松原通りと五条通りの間で、東西は河原町と柳馬場通りだろうか。一辺が250m程度の方形としても、あたらずとも遠からずであろう。しかしこのあたりのことは、歴史家、遺跡発掘の専門家、六条院や河原院の専門家の意見を多数採取しなければ、明確にはならないだろう。その広さも、4町とか8町とかと異なるので、広さも場所もわからぬままだが、ただ、常識はずれの広い区画だったと想像しておくことにする。

■河原院  嵯峨(さが)天皇の子源融(とおる)の邸宅。平安京六条坊門の南(現在の五条通)、万里小路(までのこうじ)(現在の柳馬場通)の東八町にわたり、賀茂川の西にあったという。融の死後、宇多(うだ)法皇の御所となり、東六条院ともよばれた。庭に池を掘り、陸奥(むつ)(宮城県)の塩竈(しおがま)に模してつくり、摂津(大阪府)難波(なにわ)の浦より潮水を運び海の魚を泳がせ、塩を焼いたという。~後略~ 〈山中 裕〉 (C)小学館スーパーニッポニカ2001(河原院)より

参考サイト(河原院)
  河原院址
(上記「河原院址」著者平安京探偵団は近々更新されるようです。左記の河原院址がリンク切れになったときは、再度「平安京探偵団」などの言葉で検索すればよいと思います)
  六條院:風俗博物館の説明写真がたくさんあります(Mu注記) 

 六条院がどのような邸宅だったかは、ネットメディアを見ただけでも、ある程度再現することができる。参考サイトに掲載した京都駅近くの風俗館には模型もあるようだ。
 このMuBlogでは、源氏物語本編に記された六条院の様子をメモして、ひとまず完了としておきたい。
 角川(伊井春樹編)のCDで検索してみると、初出は21巻の「少女(おとめ)」のようだ。相当に詳しく屋敷の様子を描いている。現代人だから、古典文の鑑賞は当時の人の一割程度のイメージしかわかぬかも知れないが、「北の東は、涼しげなる泉ありて、夏の陰に寄れり。」 と、漢字かな混じり句読点付きの校訂本文だと、少し読めてくる。
 住んでみたいと、思った。

21. 少女
[31] 八月に六条院完成、四季にあてた御殿の結構と庭の趣向
 八月にぞ、六条の院造りはてて渡りたまふ。未申の町は、中宮の御古宮なれば、やがておはしますべし。辰巳は、殿のおはすべき町なり。丑寅は、東の院に住みたまふ対の御方、戌亥の町は、明石の御方とおぼしおきてさせたまへり。もとありける池山をも、便なきところなるをば崩しかへて、水のおもむき、山のおきてをあらためて、さまざまに、御かたがたの御願ひの心ばへを造らせたまへり。
 南の東は山高く、春の花の木、数をつくして植ゑ、池のさまおもしろくすぐれて、御前近き前栽、五葉、紅梅、桜、藤、山吹、岩躑躅などやうの、春のもてあそびをわざとは植ゑで、秋の前栽をばむらむらほのかにまぜたり。
 中宮の御町をば、もとの山に、紅葉の色濃かるべき植木どもを添へて、泉の水遠くすまし、遣り水の音まさるべき巌たて加へ、滝落として、秋の野をはるかに作りたる、そのころにあひて、盛りに咲き乱れたり。嵯峨の大堰のわたりの野山、無徳にけおされたる秋なり。
 北の東は、涼しげなる泉ありて、夏の陰に寄れり。前近き前栽、呉竹、下風涼しかるべく、木高き森のやうなる木ども木深くおもしろく、山里めきて、卯の花の垣根ことさらにしわたして、昔おぼゆる花橘、撫子、薔薇、くたになどやうの花くさぐさを植ゑて、春秋の木草、そのなかにうちまぜたり。東面は、わけて馬場のおとどつくり、埒結ひて、五月の御遊び所にて、水のほとりに菖蒲植ゑしげらせて、向かひに御廏して、世になき上馬どもをととのへたてさせたまへり。
 西の町は、北面築きわけて、御倉町なり。隔ての垣に松の木しげく、雪をもてあそばむ便りに寄せたり。冬のはじめの朝霜結ぶべき菊の籬、われは顔なる柞原、をさをさ名も知らぬ深山木どもの、木深きなどを移し植ゑたり。
CD-ROM 角川古典大観 源氏物語/伊井春樹他編より引用
参考サイト(角川古典大観)
  CD-ROM 角川古典大観 源氏物語
  情報発信としての源氏物語-CD-ROM角川古典大観源氏物語(角川書店)によせて-伊井春樹

参考サイト(六条院の模型など)
  風俗博物館:よみがえる源氏物語の世界>京都駅近くにあって、六条院の1/4模型があるとのこと(Mu注記)
  源氏の部屋>おたのしみから学術情報までもりだくさんです(Mu注記)
  風俗博物館を10倍楽しむ>「源氏の部屋」の作者が、風俗博物館に惚れ込んで造られたサイトのようです(Mu注記)
  源氏物語:六条院探訪>富士通のCDです(未見)、オープニングをネットで見ました(Mu注記)


  

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コメント

ええことです。
京都語るんならまず平安京からね。
1200年のうちの400年やから前半の1/3ね。
あとの800年?
梅原猛著作集〈16〉京都発見 も国立の本屋で立ち読み
したけど時代は絞ってなかったね。
彼は愛知出身やったかなあ。

投稿: ふうてん | 2004年7月25日 (日) 22時52分

ふうてんさん
 平安京は、いまも平安時代かもしれませんで。
 先般、21日でしたかね、東寺の前を走ったら、市がたっておりました。いつごろからの風習かしりませんが、平安京だな、とおもいました。

 私は福井市うまれですが、4歳ころには嵯峨野におりました。25歳までそこら。
 25歳の梅雨頃から宇治市。そのままずっとおります。

 できるだけ、京都や宇治や奈良や滋賀や兵庫や浪速を見て歩きたいとおもいますが、なんとなく、木幡で寝ています(ほんとうに、横になると、気絶するみたいに眠るのです。昼でも夜でも。眠り病かな、あるいは、猫病かなともおもいます)

朝から、つまらん、返答で失礼。

投稿: Mu | 2004年7月26日 (月) 09時58分

平安京再現プロジェクトの予備段階が始まりましたね。池に海水を運んできて海の魚を泳がすとは、今の居酒屋の生簀と同じ発想ですね。当時の貴族とはべらぼうな、金持ちだったんですね。羨ましいどす。

投稿: jo | 2004年7月26日 (月) 20時51分

JOさん
平安京は今も生きているような気がしています。
それは怨霊や優雅さや暑さや寺社の風格を誇りにしているのでしょうね。
氷室(ひむろ)という地名がありますが、夏に氷をつかうなんて贅沢が、よほど衝撃だったのでしょうね。

投稿: Mu | 2004年7月26日 (月) 22時29分

 天理の福住(ふくすみ)という地区では、「氷室」が再現されています。
 そして今も、2月に氷室に氷を入れ、それを7月に出してきて、食べるという氷祭りが行われています。
 19日にあった氷祭りの様子が、奈良テレビで放映されていて、集まった観光客にかき氷がふるまわれていました。

 URL:http://www1.kcn.ne.jp/~ja3llf/index.html">http://www1.kcn.ne.jp/~ja3llf/index.html

 長屋王も氷室の氷で、酒をオンザロックにしてたしなんだとか・・。

 氷の話をすると涼しげですが、連日の暑さには、まいってしまいますね。
 清少納言も「七月ばかり(現八月?)、いみじう暑ければ、よろづの所あけながら夜もあかすに、・・」
 といってるので、平安時代も暑かったんでしょうね。

 我が家は、周りが田んぼなので、カエルの求愛がうるさくて夜中眠れないということはありますが、この暑さでも夜は窓を開け放すだけで、今のところクーラーなしで眠れています。

投稿: wd | 2004年7月27日 (火) 08時50分

wdさん
 ただいま車を隣の車屋さんに運んで定期点検依頼。ほっとしております。
 氷室、HPみてみました。氷室内温度と外気差のデータがよかったです。私も毎朝氷室みたいな研究室におりまして、気温測定しているので、氷室の記事、とても興味深く読みました。

 さて、平安時代の京都の館は夏用に造られていたと聞きました。クーラーがないから風の道を屋敷にもうけないと、熱中症になったことでしょう。
 冬の愛宕降ろしの寒風もえげつないほど冷たいですが、火にてをかざせば、少し気楽ですね。
 夏は。男女とも薄着といっても限度があるから、開け放ししかないでしょう。
 ただ、川や池のそばは圧倒的に涼しいです。以前NHKでやっていました。輻射熱というのでしょうか、ゼロみたいな記憶があります。(曖昧ですが)

 さて、冷え冷えとした葛野研で今日も一日脳をフル稼働させて採点地獄にはまりこんでおる、夏でした。

投稿: Mu | 2004年7月27日 (火) 09時43分

氷室といえば、牧野にも地名が残っていたように記憶があります。
氷といえば、今回スイス紀行で一度は、氷河をくり抜いたトンネル(廻りは氷河)とアイガーの4100メートル位の氷河のトンネル)も歩いてきました。
テレビで昔、氷室作りをやっていました。プールのおうな所で氷を作り、それを直方体に切断して氷室に格納していました。

投稿: jo | 2004年7月27日 (火) 17時51分

JO さん
 紀元前3千年ほどになるかな、メソポタミア(シュメールでっしゃろか)でビールが愛飲されていたようですが、そのね、生ぬるいビールってのは、うまいもんかね。

投稿: Mu | 2004年7月27日 (火) 18時17分

私はビールは常温で飲みます。冷たいと、お腹に悪いのと、沢山飲めない。ドイツ人は常温で多量に飲みます。私はドイツ人かも知れない?

投稿: jo | 2004年7月27日 (火) 21時14分

JOさん
 蒸し暑い日本の夏は冷えたビールをイメージするからね。
 ドイツは寒そうやね。
 イラクの熱砂で、ぬるいビールのむのは、おいしいかね。
 まあ、食物飲料の摂取方法はやめましょうか。

 お雑煮とは、昆布出しで、黒砂糖を餅に載せて食す、というと9割方「ゲェー」というけど、私は、幼児からそれしか食べられない。あんな、ミソで煮込んだような餅をたべるのは、関東の異人さんや。こればっかりは、カンサイジーンも白みそでとろとろにしたようなもん、よう食べるは。ほとんど味音痴やで、京都人は。ケチやから。都人は腐ったようなもんたべたはるんやでぇ。
・・・と、大げんかしそうになるから、やめような、JOさんや。

投稿: Mu | 2004年7月27日 (火) 21時46分

JOさん、再伸どす。
 最近思う。
 くつろいだときや食事の時、初対面の人、{政治、宗教}話はするな。というでしょう。
 いま気が付いた。
 {政治、宗教、食生活}するな、とね。
 ああ、加齢とともに、だんだん気むずかしくなってきたんだなぁ。

投稿: Mu | 2004年7月27日 (火) 21時50分

そうそう、英国人と飲んだ時に、確か梅安さんも一緒でしたが、大喧嘩になりましたね。こちらが悪いんやけどね、”英国料理”とか”英国レストラン”という言葉がないね?と喧嘩をふっかけたんですよ!大層、英国紳士は立腹して反論して来ましたね。相手の文化、この場合は”食文化”について攻撃すると,マジで喧嘩になるね。

投稿: jo | 2004年7月27日 (火) 22時35分

そうそう、弥生ミュージアムの記事にコメント書き込めないので、ここでコメントするけど宜しいか?
卑弥呼の館に注目したんやけどね、千木の形が”伊勢神宮方式”やね。交差した先端の切り口が水平でしょう?出雲大社方式では”垂直”なんやわ。卑弥呼はんの館はさて、どちらだったでしょうね?

投稿: jo | 2004年7月27日 (火) 22時42分

JOさん、コメント内容はさておき、やはりコメントできませんね。
 次の記事を入れて、同じくなら、ニフティへ連絡を入れてみます。
 どうしたんだろう。

投稿: Mu | 2004年7月27日 (火) 22時54分

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