うじのわきいらつこ:莵道稚郎子(宇治墓)
莵道稚郎子・宇治墓(京都府宇治市莵道)マピオンBB地図
住まいする宇治木幡(こはた)から少し南に下がった宇治川沿いに大きな古墳があります。莵道稚郎子尊・宇治墓となっていますから、日本書紀の悲劇的な皇子の御陵なのだと思います。ここで御陵という言葉を用いましたが、百科事典によれば「陵とは、歴代天皇陵、歴代外天皇陵、皇后陵、太皇大后(たいこうたいごう)陵をいい、墓とは皇子、皇女墓をいう。」 (C)小学館、となっております。
だから、ここは宇治墓と宮内庁が記すように、陵ではなく墓と書かねばならないところです。たとえば箸墓は御陵ではないわけです。
ところが、どうにも素直に従えないところがあるのです。
ウジノワキイラツコ。
箸墓もそうですが、この宇治墓は立派な、つまり巨大なものです。それと宇治市には宇治神社という立派な社があって、そこの祭神が莵道稚郎子神なのです。
一説に「宇治天皇」と呼ばれたこともあるようです。
立派な古墳があって、神さまとして祀られているというのは、「皇太子」とは言い切れないという思いが残るのです。例えば、大昔お参りした三重県能褒野(のぼの)に墓のある日本武尊さまも、日本武尊天皇と呼ばれたこともあって、なにかと皇統譜も古い時代になると、記紀に記されたとおりではないこともあるようです。
今夜のところは不勉強も重なるので、記事はこれくらいにしておきますが、莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)様のことは、到底語り尽くせない、調べ尽くせないことがおおくて、またいずれ調べたおりに再掲したいと考えております。
今のところ、宿題は以下のようなことです。
1.宇治墓の位置は、実は宇治神社東の朝日山だったかもしれない。これは宇治神社との関係で、そういう気持になります。
2.宇治神社と、そして世界遺産の宇治上神社のことを、詳しく知っておきたい。
3.源氏物語の宇治十帖で登場する「八の宮」、美しい娘三人の親としておろおろしながら亡くなった方で、光源氏の異母弟ですね。大君、中君、そして異母娘?の浮舟の行く末を悩んでいたのでしょう。
かれが、莵道稚郎子をモデルにしているという伝説があります。源氏物語は物語ですから、物語の中に真実を見つけたり、これがモデルであると確定するのは、もともと無理なのですが、それでもそれらしいことが多々あるようです。この謎は解いておきたいです。
八の宮の館が宇治神社のあたりを想定できることからも、そして莵道稚郎子の実妹(矢田媛)が異母兄仁徳天皇のそばに入り、矢田媛が仁徳朝のすさまじいトラブルの因になったのかも知れないとおもうと、なかなかに源氏物語風でおもしろそうです。
*.以上のように、私の住まいするつい目と鼻の先の古墳が、さまざまな謎をはらんでいるのです。木幡とは、莵道稚郎子の母の出身地だったのです。
写真は一枚掲載しただけですが、ビデオ動画がいくつかあります。この古墳は入り口まで行くのも立ち入り禁止で、むつかしい所です。宇治川の堤防からの動画も残っています。いつか、開示いたします。
参考サイト
源氏ろまん京都宇治ウエブガイド莵道稚郎子の墓:宇治のことでは重宝しているサイトです。
宇治神社:莵道稚郎子が祭神です。写真が鮮明で見やすいサイトです。
真説日本古代史第八部:
この記事中「宇治天皇之世」以下を御覧下さい。
莵道稚郎子が仁徳天皇とは別の崇神朝の天皇であったという説が記してあります。
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コメント
三年ほど前の夏、これもまた子どもの自由研究がらみで、宇治の平等院、源氏物語ミュージアムを訪れました。
八宮の館が、宇治神社のあたりに想定されると知っていたら、宇治神社にも立ち寄っていただろうにと思いました。
源氏物語ミュージアムでは、『源氏物語絵巻』の「橋姫」の場面(琴と琵琶を合奏する大君と中君の姿を薫が垣間見る)が実物大の人形で再現されていました。
ミュージアムの入り口付近には、「紫式部」という草木が生えていて、秋に紫の小さな実をいっぱいつけるのに、夏の終わりにもう早々と実をつけていたことが、印象に残っています。
莵道稚郎子といい、大津皇子といい、古代には悲劇の皇子の話がたくさんあるようですね。
投稿: wd | 2004年7月24日 (土) 14時03分
WDさん今晩わ
夏の土曜日はキャンパスも無人に近いのですが、大量採点でいまごろです。
さて、源氏ミュージアムは近日掲載しますが、近すぎて、自前の写真がないのが残念です。
八の宮は、宇治神社、宇治上神社にからんで、おもしろそうですね。
宇治十帖は地元なので以前からあれこれ試みはしているのですが、原本が原本ですから、言及しにくい世界です。
(というのも、私が20年近く関係している研究会が、私以外は全員源氏物語の大家、中堅、専門家ばかりなんです)
おいそれと触れない世界です。
しかし、宇治神社の前のあたりに立って、宇治川をみて、平等院あたりを遠望すると、「うむ」とうなずけるほどよい地の利です。
別荘持つなら、あこらを買い取りたい気分になりますよ。
往古、ひつぎの皇子になる資格のひとは大変だったと思います。
しかし、オスマントルコでしたか、兄がスルタンを継承すると、弟は全員殺されるのが当たり前という世界もあったようです。
骨肉の争いは、そのぶん、エグイ世界だったのだと想像します。
では
投稿: Mu | 2004年7月24日 (土) 20時26分