くにさきはんとう:国東半島
国東半島(大分県)マピオンBB地図
十代のころは、国東を「くにさき」と読めなかった。昔は國埼とも書いたようだが、それなら分かる。二十代になって読めるようになった。この記事では当然「未踏地」で、その上どこか目的地点を定めることもしなかった。丁度半島の真ん中に両子山があったので、そこを地図でポイントしておいた。
ここは火山のようだ。そういう意味では、近くの別府やその奥も火山脈の上にあるのだろう。火の国、温泉の国なのだから、地図でみる国東半島が絵に描いたように放射状になっていても不思議ではない。溶岩が流れてこんなにはっきりした円錐を地図に表しているのだろう。
地図を少し大きめにみせたのは、半島北の姫島も一緒に観ておきたかったからだ。
これは思い出せないのだが、どこかで、姫島が海に沈んだり、浮かんだりと、大変な時代があったような記憶がある。今回はただ、美しい島と長年思ってきたので、調べもせずに記しておいた。
国東半島はいたるところに磨崖仏があるらしい。岩に刻んだ理由はわからないが、この半島は想像以上に早くから仏教が栄えた土地なのだろう。百科事典でみてみると、宇佐八幡と強い関係があるようだ。国東のおびただしい大寺院集団は六郷満山と呼ばれていると、記してあった。
「宇佐八幡(はちまん)の発展に伴って、半島の大部分は宇佐八幡とその神宮寺の弥勒(みろく)寺の所領となり、半島各地に末社、末寺が多数建立された。これらの大寺院集団を六郷満山(ろくごうまんざん)と称している。」 (C)小学館 スーパーニッポニカ2001(国東半島)より
京都奈良に近く住んでいると、仏様は薄暗い本堂の中にしかおられないと、つい思いこんでしまうが、半島の至る所に仏様が彫られている姿は、仏教の別の様相もうかがい知れる。誰かが彫ったのだろう。答の一部は参考サイトに説明してあった。
宇佐神宮→国東半島→姫島。
こんなルートを想像してみると、古墳の中の卑弥呼を思い、バスの中ではネイティブの大分弁を聞き、国東の鄙びた寺院に磨崖仏を拝み、フェリーで姫島に渡る。そこは常夏(と、思ったが、そんなはずはなかろう)、海老が美味しいらしい。日本の国土は狭いと言われるが、歴史の時系をZ軸にとれば、広大な空間が横たわっている。都を遠く離れて、古代の都を散歩するのも悪くない。
そんな風に思った。
参考サイト
国東半島の磨崖仏:岩に刻まれた仏さまの写真と解説が多数あります
大分県国東半島:国東半島の名所旧跡写真を地図のクリックで確認できます
姫島七不思議:姫島村役場のサイトのようだ:この「七不思議」はよく聞く
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コメント
私も未踏の地です。昔から、気になっています。宇佐神宮は秦氏の故郷と聴きますね。京都に来る前はどうやら此処が拠点であったと思います。日本の古代史で”秦氏”はくせものですよ~~~。
投稿: jo | 2004年7月27日 (火) 22時55分
JOさん
最近、地図の風景、地図の蠱惑をセットするたびにね、地勢というか地の利というか、考えることがおおいです。
宇佐神宮が国東半島の首根っこにあるという事実などは、その意味は地図をみないと分かりにくいですから。
想像ですが、半島の中央「両子山」は展望台に思えるのです。
投稿: Mu | 2004年7月28日 (水) 05時01分