2004年7月13(火)晴:梅翁の平安時代
ちかごろ、国立(くにたち)の梅翁は私信が多い。数名の友達に送ってくださる。中に私も入っていて、くるたびに、めったに返事は書かないが、感心しきりである。
HPとかblogはまだ梅翁のセンスには適合しないようで、もっぱら私信というのもおもしろい。
なぜ私信なのかは問わないことにした。それよりも、ちらかし、散逸屋の私に私信などくださっても、数日で見つけられなくなる。それには惜しい内容が多くて、思案した。
最近のもので、「平安時代」についての考えが私をとらえてはなさなくなった。
散逸する前に、MuBlogにとどめおき、私も梅翁の指示を仰ごうと決めた。
なんの指示かは抄出した私信に記してある。
私は、都の辰巳(たつみ)、宇治は木幡にすまいし、日頃は西京極という京のハズレにて百石ていどの職を得ておるので、都に縁は深い。
おりおりに、都を徘徊する機会もあるので、いつかは梅翁の望み通りになるであろう。
最近何故か平安時代は面白そうだなあと思う事がある。今日もNHKで(その時歴史が動いた 平将門)を見た。まことに面白かった。どうして面白いかというと宗教やら政治やら科学やら国家やらがまだ未分明なのですね。歴史的に正確な言い方は知らないけど感じとしては古代から中世に至る過渡期なのでしょうね。
足利尊氏の頃の武士政権の成り立ちや信長、秀吉、家康の天下統一、などという話にいささか食傷したせいもある。奈良時代以前となると聖徳太子であり卑弥呼であり記紀であり法隆寺、大仏であってこちらもいささか食傷ぎみである。
平安時代のイメージは藤原道長と源氏物語につきる。794年から1192年まで400年も続いたのに、それっきりというのも思えば不思議ではある。これは勿論ふうてんの個人的な感想に過ぎないのだけど、どうしてそうなっちゃったのだろう。2004/06/30
手元に『平安京年代記/村井康彦』がある。これを眺めておると、平安京前史の長岡京からスタートするのがよいようである。
この間書いた平安時代というのは宗教や政治というよりも美術の世界が結構進んだのではないかとフト考えさせられます。あとは江戸時代ね。浮世絵ですわ。長く平穏が続いたからでしょうな。それと外国との関係ね。平安時代は案外鎖国状態に近かったとも聴きます。つまり平安時代、江戸時代は鎖国したが故に(和)の文化が発達した時代であった風ですね。この間彦さんのMuBlogで桓武天皇御陵の話があったので、平安時代を(一舐め)して下さいとコメントを書きました。そしたら彦さん、冗談でしょうが、お墓の写真ばっか写すんかいなと書いてました。
当方の思いはそうじゃなくて、今の京都は1200年の都の歴史がゴチャゴチャになって残っておるわけです。平安京といわれる時代の京都はどんな町だったのかなあ? 金閣寺も銀閣寺もなかったわけでね。御所だって平安時代どんな案配だったのか知りまへん。無理な注文なので彦さん気にせんといて欲しいんやけど今の京都に、その平安京当時の痕跡がどのくらい残っているのかに興味を覚えたわけです。お墓もその痕跡の一つにはちがいありません。2004/07/13
手元に『平安京再現/井上満郎』がある。これを眺めておると、平安時代の再現地図があって、東の果ては「東京極大路」で、丁度河原町あたりに南北大路があったようだ。西は、「西京極大路」とあって、なんとなくあの有名な葛野女子大学の近辺を通る葛野大路に近いようであった。
ふむふむ、面白そうであるな。
平安時代の寺社仏閣は、その道のハンドブックもあるので、最低限のツールはそろっていた。あとはカメラと弁当をもって、酷暑の京都をエイリアンよろしく前後左右に歩き回れば、よかろう。
金閣銀閣二条城、お東、お西も平安時代創建でないから、北野さんとか、先般話題にした東寺、西寺あたりが有名どころだろうか。松尾大社なども古そうだし。
まちがっても平安神宮は、明治のもの、対象からは外れる。
……、とこう考えていると、平安時代創建の寺社仏閣だけでも、捜すのがおもしろそうである。二十年ほどかかりそうな、一大プロジェクト(ちと、おおげさ)となろう。隠居仕事としては、よいよい。
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コメント
奈良ホテルの記事で、Muさんから、ふうてんさんの「老人日記」を教えていただいて、それ以来、毎週楽しみにしております。
優しい文章の中にも、いつもキラッと光る何かがあって、うまくは言えないんですけど、時には驚いたり、時には共感したり、味わいの深さを感じています。
私も「平安時代を一舐めする」っておっしゃった意味をよく理解もせず、方向違いのコメントをしてしまって・・。
ふうてんさん、ごめんなさい・・。
今の京都に平安時代の痕跡を探る、というのは大変なことでしょうけれど、とても奥が深そうですね。
Muさん、これからの記事を楽しみにしております。
投稿: wd | 2004年7月13日 (火) 09時18分
梅安さんが見ておられる、『源氏物語』の再現プロジェクト番組は私も見ました。確か尾張徳川美術館所蔵の『源氏物語』の再現ですね。
衣の透けた所の表現などを指して、梅安さんは技術力と独特の美意識の萌芽に感銘されたと推察します。
平安時代の平安京を探るは、Muさんの言うように20年かかるかも知れませんね。多分、平安文学作品を読まねば判らん。
そこで、少し以前より考えていたけど、『更級日記』とか『伊勢物語』では関東の模様について少しは記述があるので、読み直してみようかな~~と考えてもみました。
又、武蔵野国風土記、常陸国風土記、等を調べて平安時代以前の土壌を理解しないと描けないようにも思え、なかなか手ごわいご下問であると思いました。
しかし、平安時代と江戸時代は消費都市である京都と江戸で独自の文化が花開きましたね。興味深いところです。
しかし、その文化を育んだ風土に私は興味が有ります。
色々と梅安さん、Muさんに協力出来るように何か考えてみます。
投稿: jo | 2004年7月13日 (火) 11時32分
彦さん
ただでさえお忙しい先生に火つけてしもたんやろか。
心配です。目や足が痛いゆうて休刊日が続く日が目に
見えるようです。
そういえば以前彦さんたちが源氏物語のCD-ROM作った
とき、長尾先生が、源氏物語の世界を今の京都にマッピ
ングしたらどないなるんやろ、せっかくコンピュータ使う
んやからそれぐらいやらな・・・・。
とコメントされていたのを思い出します。
わたしはそこまでは要求しとりませぬ。
デジカメで絵巻物作ってくれたらそれでええんです。
ちょいと気の利いた讃入りの(絵巻物)ね。
また火に油をそそぎましたかね。
JOさん、なんで自分でBlogやらへんかお分かりでっしゃろ?
投稿: ふうてん | 2004年7月13日 (火) 12時11分
Muはん
梅はん
ところで、隠岐遠征の話はどないな案配でせうか? Muはんの体調と梅はんの腰の案配によるんでしょうね? 一応、私は8月は
多少のセミナーがある程度で出張しますが、大丈夫です。
そのうち、御沙汰があるものと待機しています。
しかし、平安文学と言えば皆さん、高貴な御方ばかりだから、今で言えば『引きこもり』の人々が書いているので、大衆の生活は判らんし、自然の環境も判らんやろな~~と思い直しました。それに、私は文学作品はお二人とかWdさんとか、羊はんとかのように専門やないさかい・・・。
私が出来るのは、墓参りの折りにデジカメ持って生まれ育った北河内の風景を記録してJo少年の田舎を映像で組みたてます。
投稿: jo | 2004年7月13日 (火) 12時49分
WDさん
現在の京都から平安時代を知るには、案内本を読まないと、想像できないと思っています。
794から大体1192くらいまでですからね。紫式部さんが1000くらいです。
多分、わたし、自分自身の嗜好からは、今夏、オンミョウジ、でしょうね。もう流行は去ったから、いまこそじっくり、一条戻り橋でも見て参ります。
投稿: Mu | 2004年7月13日 (火) 14時09分
JOさん
平安時代の田舎というテーマで仕事をあげます。
隠岐は、私は大丈夫です。
梅さんの腰が問題ですな。
京都から、特急で酔っぱらいながら行くのもよいな、とも思うこのごろ。
投稿: Mu | 2004年7月13日 (火) 14時12分
ふうてんさん
源氏物語と現代は、少し調査をやっておりました。宇治だけですけどね。
その宇治の分を、すこし改変して、blogに載せるところが、現実的でしょうな。
授業が完全にオフになったら、やってみます。
あと、羅城門と、東寺、西寺は以前の記事もあるので、完了させないと気持ち悪い。
六条院はね、あれこれ学説もあるので、おもしろそう。しかし、屋敷に数名の美女を、東西南北すまわせて、四季折々に、着物や化粧料をプレゼントした光さんって、なあ、信じられへん。
源氏物語世界は、私は無知ですが、研究会のひとたちは超一流なので、秘密の知識を採取しておきます。
投稿: Mu | 2004年7月13日 (火) 14時18分
平安時代の田舎ですか?
有り難うさんです。本当は、平安時代の関東の様子が知りたいですね。これは、ど田舎の部類ですか? 梅安さんの府中は国府のある重要な調査すべき場所ですよね? 梅安さんにも仕事をあげて下さい。あの親爺、ひがむさかいね。
隠岐の件は了解しました。電車で行きましょう。問題は梅安さんの腰の具合やね。
投稿: jo | 2004年7月13日 (火) 15時34分
JOさん
慮外なことや。
田舎の代名詞は、関東とちがいまっか?
ローハイドとは、なんちゃらの、代名詞、ってむかしTVで毎週みていた。(まったく無関係)
投稿: Mu | 2004年7月13日 (火) 17時06分