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2004年7月10日 (土)

2004/07/10(土)雨:三輪→菊池

落柿舎・去来・有智子(京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町)MSN地図
 今朝は午前三時頃に目覚めた。気になって保田與重郎の『方聞記』(新潮社、1975)をとりだした。保田が昭和40年代に京都新聞に掲載していたエッセイがある。当時切り抜いていたが、紺屋の白袴、散逸してしまった。「情報」を記録し整理しアクセスできるようにすることが私の仕事であり、研究課題であるはずなのに、うまくいったためしがない。だから、この場合一本になって残っているのは実にありがたい。

 なぜ保田を手にしたかというと、これはおまじないのようなものである。長年の習慣である。世俗で疲れ切ったり、思うことがあるとき、手にする。すると大抵はすっきりする。

 世俗とは、それを拒絶しているわけではない。
 大学の期末成績の片付けや、学内諸会議の整理や、日々の憤怒や、寄り合いの誘いや、同窓会の誘いで、メールや電話や会議が重なると、大抵呆然自失して、保田に手が伸びる。拒絶ではなくて、逃避とも言えようか。
 生きていることはそれなりの税金があり、大きな負担になる。
 吉凶なんであれ、情報の過多は私には毒のようだ。
 そういうとき、判断が鈍り、判断をしなくなり、痴呆じみてくる。もちろん、長く生きているから若い頃のように懊悩はしない。ただし、判断を停止するから、はたからは「プッツン」と思われているに相違ない。それでよいと思っている。
 中年までは世間に弁解もしてきたが、近頃は「すみません」「わかりません」の言葉すらはかなくなった。いわゆる「ケツをまくった」生き方に馴染んできたようだ。

 猫と金魚をぼんやりながめて時がすぎる。

 思うところとは、先頃筑波大学の原田勝先生が亡くなられた。59歳である。これからは、知古の死に出合うことがおおくなる時代となろう。「死」を思うのは、予定されていなかった「死」に直面したとき、ことのほか深くなる。無意識に、保田與重郎の檀一雄への弔辞を思い出していた。
「死とは何であったのか、檀一雄君」
 この保田の言葉を探して書架に手が伸びたのかも知れない。見付からなかった。

「三輪の中山和敬宮司は俳句の達者だった。昨年の春(Mu注:昭和45年か)、京の落柿舎の工藤芝蘭子宗匠が、俳人塔を建立した時、中山翁に竣工祭の祭主をしてもらつた。」

「落柿舎が中山翁に祭主を願つたのは、去来が謹厳な神道家だつたからである。去来が今の落柿舎の地を選定したについて、そこが緋ノ社の隣接地といふことが、大きい理由のごとく私は思つてゐる。」

「緋ノ社は有智子内親王の墓所の伝承が残化したものだつた。有智子内親王は、加茂斎院の初代である。漢詩文の天分は、その少女のころすでに、嵯峨天皇とならび称されたほどの御方だつた。加茂斎院は、伊勢の斎宮(イツキノミヤ)になぞらへて鴨の大神を祭られた未婚の内親王である。

 去来自身は神道の学者で武芸の達人だつたが、その家は南朝の征西将軍宮に仕へ、菊池党と一体不離にきた系図をもつてゐた。家の家風は、儒学だつた。」(『方聞記』より、「三輪詣での記」p144)

 現在の三輪にはじまり、桜井から嵯峨野に飛行し、落柿舎に立つ。向井去来がいた江戸元禄に遡航し、休む間もなく平安時代の嵯峨天皇の御代、有智子内親王のきらきらしいお姿を盗み見する。と、急激な加速があり、中世は九州の肥後、菊池にまで時代が下り、征西将軍宮に久しぶりの拝謁を許される。
 ……
 いつか、また落柿舎に戻っていた。

 保田を読む安心感は、時を自由自在に越えて、そうして現在の立つ位置を確認してくれるところにある。自らが自らを確認できない時代なのだから、保田與重郎の玄妙な指導をうけて、安心することを、私は僥倖と思っている。

参考サイト
  交野女王(有智子内親王についての解説あり)

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コメント

落柿舎には何回も訪問していましたが、今日始めて歴史を知りました。
Muさんは巫女さんに詳しいね~~。三輪ー菊地ですか?
交野は生まれ育った所です。天武天皇系統の女王ですか?天智系ではないんですね。百済系統ではなく、新羅・カヤ・高句麗の系統でしょうね。菊地と関係があるとすれば、磐井の乱ですからますます、新羅の系統と関係がありますね。交野という地名はやはり、朝鮮半島の渡来人と関係が深いと思いますね。放牧ですね。交野の傍は禁野です。皇室の放牧場ですね。
交野の女王、有智子内親王の話は奥がふかそうですね。

投稿: jo | 2004年7月12日 (月) 09時15分

JOさん
 ちょとまった!
 向井去来が菊池に縁あると書いただけで、有智子さんがそうだとは言うてないよ。
 それにしても、母親が交野ときいて、どきっとしました。「こりゃ、JOさんの十八番やで」とね。

投稿: Mu | 2004年7月12日 (月) 12時01分

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