りょうぜんじょう:霊山城跡
霊山城跡(京都市東山区清閑寺霊山町)マピオンBB地図、MSN地図[いずれも推定]
東山(京都市内)に、足利義輝(13代室町幕府将軍)が築いた山城の話である。京都にも、お城が一杯あったんだ。
1.以前『京都・魔界マップ(洋泉社)』1999.6 を入手した。
その中の「中世の山城/今谷明 他」で、京都の嵐山に城があったという惹句におもわず引き込まれた。京都の城といえば、二条城と伏見城くらいしか知らなかったから、好奇心がもたげた。しかし嵐山以外にも、東山霊山にも山城があった、という内容は長らく忘れていた。
2.昨夜MuBlogにコメントがあった。
「羊」という方が、京都霊山観音の裏山で伊藤博文碑文を見たと、書かれたのを読んだ。不思議なのは、なぜそれが森博嗣さんの記事に付いたか(笑)[これはMuBlogの性格であり、一般に記事とコメントは、Mu自身まったく関係付けないことが多い]。さらに以下の引用のように、そんな山奥へ、お嬢さん、あぶないよう、という疑問(笑)。
私も霊山観音の東にある竜馬や勤皇の志士たちのお墓に何度か行きました。ずっとずっと奥に行くと(道なき道?)伊藤博文の文字が見られる大きな(人間の背丈より大きかったです)石碑があります。人があまり行き来しなさそうなところにあんな大きなものがあることがビックリでした。 投稿者: 羊 (6月 12, 2004 08:30 午後) MuBlog(『四季/森博嗣』愛蔵版を読む)コメントの7番目より
されば、霊山観音も伊藤博文も、両方見ておきたいと思い立って、その件の<妖しい京都>雑誌をひもといた。すると、以前読んだ「中世の山城」に、なんと「尾根のピークの本丸跡には、なぜか伊藤博文の石碑が一つ建っていて、やはり霊山城についての由緒書きなどは見あたらない。」
つまり、「羊」さんは、なにもしらずに霊山城跡を散歩しておられたのである。
「築城開始が天文二十一年(一五五二)十月下旬。完成時期は不明だが、翌二十二年八月に三好長慶の二万五千人の大軍によって一日で陥落したことがわかっている。」どんな城だったかはわからないが、一度は見ておきたい。
注記:
雑誌記事によれば、地図上では霊山護国神社の真東なのだが、やや南の正法寺経由で一旦北上し、霊山護国神社の裏あたりで、登頂しないと行けないようである。現地をみてみないと分からない。
「羊」さんは、おそらく当時いつかは不明だが、コメントから察するに真っ直ぐ東へ向かって登ったような気がする。それにしても、なんとなく無鉄砲だな(笑)。
なお、MSN地図では、坂本龍馬の墓も記入されていた。
参考サイト
霊山/小林利臣 霊山について詳しいです。
以下は幕末関係です。霊山城のことは、ないと思います。ただし霊山城跡の伊藤博文碑文との関係が少し気になりますね。
幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」
京都霊山護國神社
霊山観音ホームページ ここは殉国英霊の慰霊が中心です。
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コメント
おはようございます。
早速記事にしていただいてうれしいです!
霊山観音の東にある勤皇の志士たちのお墓には何度も行ったのですが、その時は私の主人と一緒に行きました。お墓の並んでいるその後ろの山手から人が出てきたので、何かあるのかなと思い探検してみることにしたのです。
結婚してから行ったので、恐らく2年くらい前になると思います。
霊山城というのがかつてあったのですね。知りませんでした。
伊藤博文の石碑が勤皇の志士たちとは離れてたっているのはおそらく、初代内閣総理大臣だからなのかなと勝手に想像してるのですが、ではなぜあんなに人の通らないような場所にあるのかが不思議です。石碑はまだ未完成なのかな?と思うような状態でした。
2年ほど経っているので、今はどうなっているかわかりません。
投稿: 羊 | 2004年6月13日 (日) 06時30分
羊さん、おはようです。
「勤皇の志士たちのお墓には何度も行った」←これが女性文化なんだと納得しております。信心深い人が多いし。
「あんなに人の通らないような場所」←夏季に行って確認しますが、もともとあった道を、危険とか、他の事情で通りにくくしたからじゃないでしょうか。
伊藤博文さんは隣国での評判が良くないこともあるしね。
すべて想像です。
投稿: Mu | 2004年6月13日 (日) 09時47分
京都魔界マップ・・・・今度、読んでみよう。中世の城には困ったもんですね、奈良ではそこらの古墳の石室を持ち運び、石垣にするし、又、箸墓古墳の上に砦を築くし、ムチャクチャ文化遺産が破壊されましたね。
東山にもお城があったんですか?知りませんでした。
幕末維新の志士の墓もあるんですね。京都を見下ろして感慨に浸る。
羊さん御夫婦は色々、歴史探訪されて羨ましいですね。
ほほえましいです。
投稿: jo | 2004年6月13日 (日) 09時53分
今日は兵庫県の三宮に行ってきました。異人館でボランティアガイドの女性の方が教えてくれたのですが、伊藤博文は兵庫県の知事だったそうです。伊藤博文27歳のときらしいです。三宮事件(生麦事件ほど大きな事件ではなかったのですがそれと似たような大名行列と外国の方とのトラブル)というのがあり、そのころ幕府は倒れ、新政府はまだきっちりとした体制が整っていないころ、その事件をうまく収拾したのが伊藤博文で、その功績をかわれ兵庫県知事に任命されたらしいのです。そして初代内閣総理大臣に選ばれることになるそうです。三宮駅近くには伊藤通りという通りがあるんです。
投稿: 羊 | 2004年6月13日 (日) 19時10分
三ノ宮では思い出は、”みんみん”(変換できん)の餃子ですね。
小さな餃子で安くて、美味くて、何皿も平らげました。大阪の梅田の前の百貨店の裏手にも有りました。
三ノ宮は昔懐かしい場所です、学生時代の話ですけどね。
最近は数回、訪れましたが、(仕事で)綺麗な街に変貌しましたね。昔は戦後のドヤ街みたいでした。
投稿: jo | 2004年6月13日 (日) 19時49分
JO
羊
御両者へ。
三宮で餃子食べたり、伊藤博文のこと聞いたりって。
なんとなく、分からない世界です。
じつは、わたし。
三宮と西宮と、区別もつかない木幡原人。
あははは。
投稿: Mu | 2004年6月13日 (日) 21時06分