ふしみももやまじょう:伏見桃山城
伏見桃山城(京都市伏見区桃山町大蔵)MSN地図[詳細]、マピオンBB地図[周辺全体]
これは言葉のあやではなくて、このお城は奈良・三輪・明日香へ行き来する折、疲れ切って帰ってきたときに遠望できる城だからだ。お城が遙かに見えるというのは、心理的な効果が計り知れない。陸の燈台というおもむきがある。
会津白虎隊が城の落ちたと誤認して、自刃していった気持が分かる。伏見桃山城に炎が見えたなら、張りつめた気持がぽきりと折れてもおかしくない。
高札内容は写真の説明に録しておいた。
それによると、この別名「伏見山城」は秀吉が築城し、関ヶ原の合戦で火災に遭い(家康麾下鳥居元忠自刃)、徳川によって一旦修復されたが、家光時代に破壊されたようだ。現在の城は昭和39年のものである。ただし、本来の天守の位置は明治天皇陵のあるところで、現代城は西北にシフトしている。
| 固定リンク
「地図の風景」カテゴリの記事
- 白峯陵の西行(2012.03.13)
- 小説木幡記:瀬戸大橋線・瀬戸内海をまたぐ列車(2012.02.20)
- 小説木幡記:徳島城下・伊予街道の不思議な光景(2012.02.18)
- 伊勢参り(2)伊勢神宮とトポスとしての「おかげ横丁」(2010.02.04)
- 紅鮎(べにあゆ)で湯治ついでに季節の料理(2007.05.08)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
武田の重臣の娘の件は、家康は丁重に扱う積りでしたね?しかし
信長、秀吉の手前密かに事を運ぶ必要があった。その事を見抜いて元忠は行動した。家康の真意を知り尽くしていたんでしょうね。家康は武田の武者を大勢引き取りましたかね。例の赤い甲冑装束。
伏見桃山城は思い出の場所です。
投稿: jo | 2004年6月15日 (火) 08時16分
JO爺さんに、一本気に「伏見桃山城は思い出の場所です。」なんていわれると、対応に苦慮するぜ(笑)。
お見舞いじゃなくて、お見合いでしたかね。
まあ、よろし。
投稿: Mu | 2004年6月15日 (火) 09時06分
桃山御陵までは行ってたのですが、「伏見桃山城」は、一度も行ったことがないんです。この近くにある遊園地の招待券を年に2回もらっていたので、行こう行こうと思っているうちに、遊園地も閉鎖されてしまいました。
こんなにりっばなお城がまだ残っているのなら、ぜひ訪れてみたかったです。
投稿: wd | 2004年6月15日 (火) 10時19分
WDさん
噂では博物館とか美術館とか。
歴史図書館博物館ならよいのにと思います。
近鉄にでも乗られたとき遠望してください。
破城にも一億円くらいはかかるでしょう。
残してほしい城です。
投稿: Mu | 2004年6月15日 (火) 14時36分