まつもとせいちょう・きねんかん:松本清張記念館
理由は単純だった。松本清張『或る「小倉日記」伝』を以前から読んでいて、そして鴎外に興味があって、そのときの私は、清張関連史跡(?)よりも森鴎外の住んだ処を見ておきたかったのである。
探索の結果は失敗だった。なぜ森鴎外の旧宅を見つけられなかったのか、いまだに分からない。要するに準備不足、また、鴎外ほどの関連施設だから町中に大きな看板でもあろうと思っていたふしもある。
先程、川沿いの大きなホテルでランチをとったことを思いだし、そのホテルを検索した。「川沿いのホテル」だけが記憶だった。おそらく「東京第一ホテル小倉」だと見当をつけた。地図で見ると紫川となっていた。そのサイトを検索し、アクセス地図をみてみた。
あった。森鴎外旧居、とたしかに地図にはあった。JR小倉駅を南行し旧電車通りで東行(疑似倭人伝みたいな)すれば出会うはずだった。
ふるさと情報ふくおか:森鴎外旧居
小倉--森鴎外旧居←写真多数。
当時、平成5年には、松本清張記念館はなかったはずである。
ここで、私が清張をどのように考えているかを開陳する必要はないと思う。いま、この瞬間は、もし小倉に行ったなら、最初に訪れるのは、今度は松本清張記念館だという事実は記しておく。鴎外を粗略にしているわけではない。そもそも清張の作品によって鴎外が小倉で不遇だったことを知ったのだから、まず清張の多くを知っておきたいと、宗旨替えしたのかもしれない。私は鴎外の研究者ではない。
話が右往左往しただした。
清張記念館をインターネットでこの3月に見たときは、酒船石の展示模型などがあったが、今日みてみたらなかった。しかたなく、館報の14号を探し当て、ようやく「火の路」の解説にめぐりあった。博物館などの特別展示はまるごと記録してみせてほしいと、痛切におもったことである(批判ではなくて、希望)。
さて、いつだったか、知人から『火の路』文庫本を譲ってもらった。清張記念館の紙カバーがあって、大切にしている。
いま書いていて思った。私は、清張の作品のうち、いわゆる社会派といわれるものには興味がないようだ。つまるところ、『火の路』とか『神々の乱心』とか、歴史関係が好物のようである。
だから、別のところで鴎外を歴史に逃げたと言う人の気持ちは、分かりにくい。また、あまりに陰惨なほどに差別され死んでいった孤高の考古学者関係も、それほど好まない。私は、選り好みがきついようだ。
と、いまさら、気が付いた。
北九州市立松本清張記念館
同、館報14号
文化遺産オンライン(NII)
追記:当時、小倉城を観覧した記憶がない。しかし中央図書館はたしかに見た。もうひとつ、ビルの上階に小倉の資料館があったような記憶があって、そこでマルチメディアの展示に感心した記憶はある。そして当日夕方、新幹線にのって京都に帰った。また、行ってみたい処である。今度は、小倉城をみてみたい。白壁だった。
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コメント
あ~~せんせ懐かしい!
”日本史謎と鍵” ”ペルセポリスから飛鳥へ” 松本清張
謎と鍵では1973年に゛火の路”取材の為イランを旅した時の取材ノートが写真で載っておる。沈黙の塔、”遊史疑考”に挿入の事。
清張はん、飛鳥の石造物気になりはったんやね。酒船石、噴水、妙な外人の顔、岩舟、・・・。この当時私は、清張はんの古代史関連の本は全部買いました。なめるように読んだ。懐かしい。
イランの骨董屋で手に入れた、正倉院宝物と同形の瑠璃椀をきっかけに、ペルセポリスの遺跡に立ち、古代日本と古代ペルシャの線を繋ぐ推理が始まる。
投稿: jo | 2004年6月 1日 (火) 08時42分
おはようございます。
森鴎外といえば、2年前に津和野にある森鴎外の生家へ行ったことがあります。
彼はそこで幼少のころを過ごしただけで、ドイツ留学や小倉へ行った後、一度も戻ることは無かったと聞きました。(個人で旅行に行ったのですが、どこかのツアーの人たちに混じってガイドさんの説明を聞いたのです。しかも一番前で。)
先生の記事を読んで、鴎外について強く孤独を感じました。
投稿: 羊 | 2004年6月 1日 (火) 08時49分
http://akatonbo-jo.cocolog-nifty.com/jo/2004/06/_.html
投稿: jo | 2004年6月 1日 (火) 12時29分
「鴎外を歴史に逃げたという人の気持ちは、分かりにくい」の件の部分を、もう少し詳しく教えていただけませんか。
投稿: ki | 2004年6月 1日 (火) 16時02分
清張の社会派といわれる小説は読みましたが、古代史に関係する作品があることすら知りませんでした。ただ、「或る『小倉日記』伝」は、鴎外に対する興味から読んだことがあります。
鴎外が小倉へ左遷され、小倉時代には文筆活動からも遠ざかっていたとか。後で書かれた「鶏」には、その時代のことが書かれていますが、女中や使用人にお米や漬け物をくすね取られるのが、おかしくって、鴎外にもこんな小説があるのかと、驚いた記憶があります。
Joさん、上のトラックバックが開かないんですけど、何が書いてあるんですか?わからないと余計に気になって・・。
投稿: wd | 2004年6月 2日 (水) 09時53分
はい 済みません、オペミスどす。cocologプラスに変更後、トラックバックのやり方が判らんどす。単に、清張はんの古代史関連記事を書きましたので、リンクする積りでコメント欄にコピーしちゃいました。Muの旦那が只今、冬眠中なので目が覚めたら、そのうち、消して貰います。
私は、清張はんの古代史関連が好きです、ミステリー小説は嫁はんの領域です。社会派は・・・・おらんです。だけど、『昭和史発掘』などは凄まじい努力をされたと、頭が下がります。
投稿: jo | 2004年6月 2日 (水) 11時29分
じゃあ、JoさんのBlogへ行けば、内容がわかるんですね。わかりました。行ってみます。
羊さんへ
私も今までに2度、津和野の鴎外の生家を訪れたことがあります。ところが、よほど鴎外に嫌われているのか、2度ともまともに見学できていません。最初は、鴎外の生家を訪ねたいがために、親友と二人、萩・津和野旅行を計画しました。にもかかわらず、生家改築中とあり、白テントが張られ、何も見ることができませんでした。悔しくって、友人と津和野の喫茶店で、鴎外のことを話し込み、夜は友人はゼミの先生に、私は職場の上司に、津和野まで来て鴎外の家を見られなかった!と絵はがきを出したことを覚えています。休みまでやっている、職場の上司は、さぞ迷惑だったろうと思います。
2度目は、家族とのツアー旅行です。ツアーなので、ゆっくり見たいのに時間がなくって、生家の説明も後ろの方でしか聞けず、羊さんの説明を聞いて、そんな話をしたはったのか、と思いました。生家はなんとか見られたものの、「鴎外記念館」には時間がなくって入館できませんでした。
鴎外記念館には行ってみたいので、3度目の津和野旅行を計画します。
投稿: wd | 2004年6月 2日 (水) 13時15分
実は、
森鴎外の生家を訪れたのは、8月の猛暑の日で(他に休みが取れず・・)この後ずっと鼻血が止まらなかったんです。
SLの時間もあったので、その生家にしか行けませんでした。
私のほうも災難ですね。
なにかいわくでもあるのかしら?
投稿: 羊 | 2004年6月 2日 (水) 16時31分
やっぱり、鴎外のタタリなんでしょう?怨霊というのは、純真無垢な人につきやすいって、言いますから・・(笑)。
じゃあ、SLには乗れたんですね?今度行くときは、SLに乗るのも計画にくみこんでおこ~っと!
投稿: wd | 2004年6月 2日 (水) 16時40分
JOさん
今日は土曜の朝、ようやく冬眠も半睡状態になった。
また、明日の新撰組を観ます。
帰宅なさったら、おもろい記事を書いてくだされ。
投稿: Mu | 2004年6月 5日 (土) 08時36分
WDさん
一週間のご無沙汰でありました。
ちょっと冬眠でした。
また、MuBlog書き始めます。
(しかし鴎外生家へ行かれるとは、なかなかに凝ってますね)
投稿: Mu | 2004年6月 5日 (土) 08時38分
羊さん
寝ておりました、ぐっすりと。
鼻血が止まらないのはビビリます。卒倒しそうです。
鴎外とかSLとか、楽しみが多いですね。
投稿: Mu | 2004年6月 5日 (土) 08時41分
元気でお目覚めのご様子、安堵いたしました。
どうぞご無理なさらずに、ボチボチと・・。(^_^)v
投稿: wd | 2004年6月 5日 (土) 12時11分
先生、
眠ることはとても大切です。
読書がお出来になるなら心配ないですね。
先生の読書はかなり体力を使われそうですが。
投稿: 羊 | 2004年6月 5日 (土) 14時50分
WDさん
土曜日の午後、また熟睡しておりまして、先程覚醒。
ともかく、私はマタリン翁と同じ状態ですなぁ。
「寝コ」ともうしまして、マタリン翁はいつも、ひながねております。
http://asajihara.air-nifty.com/photos/pichibi/mata200010.html
投稿: Mu | 2004年6月 5日 (土) 16時19分
羊さん
確かに読書もできないくらい七転八倒という状態をまる一日経験しました。
その後は、ひたすら横臥、眠るだけ。
読書するから余計に眠る。顔面を何度、図書落下にさらしたことか。
投稿: Mu | 2004年6月 5日 (土) 16時22分
故、松本清張氏の本名は、マツモト キヨハルだそうです。まだ作家活動をする以前は旧小倉市で、幼少を過ごし、高崎印刷所で8年位、働きその後朝日新聞社で印刷の職工をしながら、作家活動を始めたそうです。
投稿: 丸玉紺屋町店 | 2004年6月11日 (金) 01時42分
丸玉さん
↓ここですかぁ?
http://map.msn.co.jp/mapmarking.armx?mode=1&la=130.53.5.8&lg=33.52.37.9&zm=9&smode=2
なんだか、小倉に行きたくなりました。
お好み焼きって、関西だけのものと思っていたら、小倉にもあったんですねぇ(あ、広島焼きがあった!)。
マツモト キヨハル、どうしましょうね。本なんかの奥付には「せいちょう」とフリガナがあるし。
記念館に行って、たしかめて、もし「きよはる記念館」だったらなおしますね。
習慣的に、どうしても「せいちょう」だったから、どうも。
それでは、いつのひか、小倉紺屋町で再見です。
投稿: Mu | 2004年6月11日 (金) 05時39分