木幡池残照そして稲垣足穂
木幡池残照そして稲垣足穂
古代史を扱った小説でも、船で往来する姿がときどき見受けられる。つまり、桂川とか、このMuBlogでも話題になった継体天皇時代、高槻や、大山崎と樟葉、枚方をはさんだ所は水路だったようだ。当然のように、それは木幡池までつながっていた夢想をする。木幡池は宇治川のそばにある。
その木幡池でみる残照は、贅沢極まる自然美の乱舞と、思っている。
西方浄土と言われる前から、縄文人も、弥生人も、あの残照にじっと見入る人もいたはずだ。
若い頃、稲垣足穂(いながきたるほ)という作家がいた。冬でも浴衣一枚で、自宅には広辞苑一冊しかなかったという、伝説の作家である。彼は木幡池に近い伏見区桃山に居候、ないし住まいしていたようだ。彼の作品に、いつも伏見からみる残照のことが記されていた。
残念ながら、足穂作品は『少年愛の美学』と『稲垣足穂大全、そのⅠ』しか机上には残っていない。彼の残照をめでた文章がどこにあるのかも、もうわからない。
ただ、木幡池の天空を染める残照に出合うたびに、足穂を思い出す。
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コメント
木幡池とは何処にあるんですか?御蔵山には詳しいんですが?
今度、お姉ちゃんの家と嫁はんの家に行く時に見つけてみます。昨日お姉ちゃんから宇治ノ新茶を頂きました。本当にお茶は宇治やね。
投稿: jo | 2004年5月 7日 (金) 14時18分
木幡池という名前を聞くと、高校時代を思い出します。放課後、帰り道に友達と自転車に乗って意味無く木幡界隈をぐるぐる走っていました。よく行ったのは宇治川のほとりです。そこでおしゃべりしてから家に帰ってました。懐かしいです。
投稿: 羊 | 2004年5月 7日 (金) 15時13分
JOさん
羊さん
おふたりとも意外に宇治に縁があるのですね。
私は、京阪宇治駅横のウジワケイラツコ陵が気になっております。
http://map.msn.co.jp/mapmarking.armx?mode=1&la=135.48.28.3&lg=34.53.38.9&zm=11&smode=2">http://map.msn.co.jp/mapmarking.armx?mode=1&la=135.48.28.3&lg=34.53.38.9&zm=11&smode=2
また、天智天皇の本当のお墓が宇治にあるとも聞いています。
宇治は京都と奈良の間にあって、なかなかおもしろそうですね。
投稿: Mu | 2004年5月 7日 (金) 15時41分
応神天皇さまが可愛がった息子ですね、悲劇はあまりに可愛がられお父さんが自分を皇太子にした事ですね。弟の身分で兄の
後の仁徳天皇を蹴落とす訳に行かない、可哀相に自殺するんですね。聖徳太子がお参りされたそうですが、相通ずる事があったんでせうか? 母方の勢力が仁徳さんより弱かったんでせうか?
悲劇の舞台なんですね。
投稿: jo | 2004年5月 7日 (金) 16時58分
JOさん
記憶が曖昧だが、数年前に行った。
ビデオも撮った。
大きい。
だいぶ気になっている。河のそばということも。
つまり宇治川は古墳築造前後から、古墳の場所は流れなかっただろうという推測。
いろいろ気になっている。
投稿: Mu | 2004年5月 7日 (金) 18時17分
木幡とは色々歴史的に面白そうなところですね。今度、墓参りで帰省したら行ってみよう。
投稿: jo | 2004年5月 7日 (金) 21時00分