しきのみずがきのみや:磯城瑞籬宮跡
磯城瑞籬宮跡(奈良県桜井市金屋)MSN地図
で、この理由は今の私にはよく分からない。調べればしらべるほどに、相当に深い理由があると、最近ますます分かってきたからである。分かれば、分からなくなると言うのは変な言い方だが、現実は大抵そういうものであろう。
その理由は日本書紀と古事記に頼るしかない。しかし日本書紀は完成までに四十年近くかかっている。なぜそれほどかかったか。おそらく、分かっている事実をそのまま書くことができなかったからであろう。正史だからである。
正史には嘘も方便も虚偽も抹消もすべて含まれる。社史を考えればよくわかる。
だが、正史はおそらく、「これは残さねばならない。これを何としても組み込まないと意地がたたぬ」という気持も参与者たちに抱かせる性格がある。中国では、史をあずかる家は、皇帝から何度家族を殺されても、歴史を書き換えなかった伝統もあるらしい。極端な話だが、そういう面はよくわかる。
だから日本書紀も編集者は皇族が大半だったろうが、すんなりとは完成しなかったと想像する。そして、露骨なほどの矛盾(初代が二人いるかも知れない)を、そのまま残してしまったのは、あれこれ口を出した人たちと、歴代編纂する人たちが、おたがいに喧嘩して、つかれきって、「もう、いいや、このまま出そう」と、なったような気もする。
私の若いころは、記紀は嘘ッパチというのがインテリの心得だったが、今となっては当時のインテリはアホだったんだと思う。この歳まで生きてみると、世の中、現実、そんな単純なものではないことが、分かってくる。日本書紀は、虚実皮膜そのものだったんだろう。露骨な矛盾は編集する人たちの「ケツまくり」で、通り良い話は指揮者の「そう、そう書いてくれないと困る」の成果だったんだろう。考えてみれば、いたるところにある「一書に、云う」という注記の付け方は、とっても科学的な態度だった。
つい話が横道にそれた。
ようするに、この記事は、古代天皇の宮跡を考える記事である。私が磯城瑞籬宮跡などと、観光客も来ないであろう何もないところに、1998年8月4日に訪れ、写真を撮り、帰りに伏見鳥せいで一服したのは、それまでの三輪山詣での一つの結論だった。
その後、高城さんのよい本(神々と天皇の宮都をたどる)がでて、私のもやもやは幾分晴れていった。文脈が大切なのであろう。崇神さんだけに焦点を合わせているだけでは、分からないことも多い。高城さんの図書でこの前後の沢山の天皇陵や宮跡をしることで、霧が晴れてきた。
ともあれ、私は1998の夏、奈良県桜井市金屋にいた。
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コメント
せんせ 回復されましたか? 時にこの世の全て遮断するのも健康にいいかもしれませんね。私の場合は無心に飛行機を作る事で遮断出来ます。
瑞垣の宮ですか。広辞苑を調べると、神霊の宿る山、森などの周囲に木をめぐらした垣。また広く、神社の周囲の垣。たまがき。いがき。枕ことばでもある。大和の布留の社の瑞垣が古くからあるという意味で”久しい”にかかる。”瑞垣の久しき時ゆ恋すれば・・・”
はつくにしらす・すめらみこと・みまき・いりひこ・いにえ。Muさんのたどり着いた瑞垣の宮。
投稿: jo | 2004年5月29日 (土) 08時49分
JOさん
くだんの高城さんは、当該部で、長谷川や大和川かな、要するにこのあたりが川、水で囲まれた土地という、だから水垣か、と書いておられたよ。複合イメージだろうね。
たどりついた磯城瑞籬宮、とはよくぞもうされた。
私ね、結局、ここにたどり着くみたいです。おおよそ、40年かかったようです。
大昔だけど、「伝説の三輪山コンミューン」という言葉に沈潜していた(自製です)。それが未生だから、あと何年かかけて、育ててみます。
投稿: Mu | 2004年5月29日 (土) 10時02分
先輩も日本書紀と同じく40年かかりましたか。立派な正史やね。
水垣の意味も勿論あるんやろね。磯とか川とか・・・。
浅茅が原の旦那も相当に深いね。恐れいりました。
投稿: jo | 2004年5月29日 (土) 11時58分
ほうやね。
つまりは、根暗で、じっとりと蛸壺にうずくまっておるのが、しょうにあっている。
そのうすらぼんやりしたのが気持ちいいというか、愉悦やね。
ようするに、おんなじことを、ぐるぐる考え込むのが好きなんや。
(手早く答えがでることは、ツマラン)
投稿: Mu | 2004年5月30日 (日) 05時54分