まつもとじょう:松本城
国宝・松本城(長野県松本市丸の内)マピオンBB地図
されば、1999年11月、私は松本城にいた。
絵に描いたようなお城でした。丁度、お太鼓門の修復なって、新品でした。
天守閣からみるアルプスは絶景だったし、ふと下をみると、加藤清正が馬を贈った、いや「駒つなぎの桜」だから、単に馬をつないだのか、そんな逸話のある桜も見えたような記憶があります。熊本の加藤さんが、一体どうして? が、記憶にある原因です。一般に、謎があったほうが覚えているものです。
その時お世話になった若い課長さん。有難うございました。
おお、わすれていました。この出城ですね。松本城を観た後、ぶらりぶらりと市中を探訪し昼食所をさがしていました。結局、まあ立派な蕎麦屋で蕎麦と馬刺しを食し、あとは松本高校をみて帰ろうと、ゆったりした目で歩いていたのでしょう。
この、ビルにはさまれた城にでくわしたのです。
それはいまだに、謎です。
もちろん、松本市民は御存知だろうが、私はなんとなくこの五年間謎のままに放置してきました。
さて、このお城は、なんだったのでしょう。
| 固定リンク
「地図の風景」カテゴリの記事
- 白峯陵の西行(2012.03.13)
- 小説木幡記:瀬戸大橋線・瀬戸内海をまたぐ列車(2012.02.20)
- 小説木幡記:徳島城下・伊予街道の不思議な光景(2012.02.18)
- 伊勢参り(2)伊勢神宮とトポスとしての「おかげ横丁」(2010.02.04)
- 紅鮎(べにあゆ)で湯治ついでに季節の料理(2007.05.08)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
松本 日本のサンモリッツ! ”ちくま”の終点! 旧制松本高校!
わさび園! アルプスの伏流水が噴出す所! 風俗店の無い街!
教育熱心! 蕎麦と馬刺し! 烏城! 高校野球 深志高校!
石川数正と秀吉! フォックサマグナ! 常念を望む町! 塩尻峠越え! 早朝の登山客と松本駅! 上高地の起点! ・・・・・
大学ワンゲル時代から就職してもラジコン仲間との合宿遠征の通過場所として、蕎麦を食べに立ち寄る場所。思い出の多い場所です。
写真の御城風建物は謎やな。
投稿: jo | 2004年5月27日 (木) 07時25分
JOさんおやよう。
恥をしのんで、無知の涙。
{日本のサンモリッツ!
わさび園!
風俗店の無い街!
烏城!
石川数正と秀吉!
常念を望む町!
}
上記がわからぬ。
石川数正って、家康を離れて豊臣家臣になったんですか?その後の消息がわからない。して、なぜに恩顧家康からはなれたのかな。
そういう複雑さが、加藤清正?と縁あるんでしょうか。
他はまったく、わからない。
投稿: Mu | 2004年5月27日 (木) 07時42分
NHK大河ドラマ『徳川家康』か『秀吉』か忘れたけど、家康役の
誰でしたっけ?ミュージックフェアーの番組司会してた、鴛鴦夫婦の旦那・・・あ~歳やな~思い出せない。彼が、数正に激しく迫る場面を思いだす。秀吉に引き抜かれたんやな~~。
優秀な戦略家の才能を秀吉は見抜いたんや。ともあれ、彼は国持になったんや8万石。
・日本のサンモリッツーーー要は、アルプスの麓の古都 イメージですね。清潔で静かで・・・。
・わさび園ーーーー松本はわさびの本場です。そこら中にわさび園がある。車を停めて見学模出来るし、生わさび買うて土産にする。蕎麦にはわさびやね。美味しいで~~。合宿の帰路には必ず立ち寄り、蕎麦を食べて東京に帰る。
これは、アルプスの伏流水が松本で吹き出し、綺麗な湧き水がわさびを育むんです。
・風俗店の無い街ーーーこれは大学生の頃からそうやで~~。ストリップ劇場も無いし、大阪の十三のようなお店は一切無い。品行方正な街や。
・烏城ーーーー秀吉側はお城が真っ黒や。大坂城もそうや、その上に金を使い装飾する。白壁は漆喰を使い家康が始めた城の装飾手法ですわ。城みたら、秀吉側か家康側か判るようにした。我々は松本城を烏城と呼んでましたで。
・常念岳ーーーもう懐かしい。表銀座、裏銀座というて槍が岳に連なる山脈を言う。松本から常念岳が綺麗に見える、そしておてんしょう岳、蝶が岳、徳ごう峠、槍が岳、へと続くんや。後立山連峰は烏帽子、野口五郎、水晶岳、赤牛岳、雲の平に続き槍ヶ岳に通じる。
そのうち一度、地図で解説するわ。
投稿: jo | 2004年5月27日 (木) 10時16分
JO さん
大体理解しました。
烏城の概念が、初めてでした。
熊本城は、黒かったから、うむ、豊臣恩顧の城か。
投稿: Mu | 2004年5月27日 (木) 13時07分
こんにちわ
(岡山城も黒いですね。)
長野県は、私がまだ学生だったころなにやらかの調査の為、とある村へ行った記憶があります。残暑のまだまだ厳しいころ、家々をまわってアンケート調査をしたのでした。
(その村ではみなさん車のスピードがこころもち速かった記憶もあります。ちょっと怖かったです。)
そして、私とダンナさんの共通の趣味がスキーです。長野には何度か行きました。いつだったか志賀高原へスキーに行ったとき、皇太子ご夫妻も来られていました。その時一緒に行ってた友達は運良く見えたそうです。私は見えませんでした。
立山連峰には黒部渓谷鉄道に乗りに行きました。ゴールデンウィークだったので、ものすごい、ものすごい人でした。雪の大谷も歩きました。
上に書いた岡山城ですが、ガイドの方が教えてくれたことによると、地元の人は岡山城を烏城と呼んでいるそうです。そして、いつを境にしてだったか忘れてしまったのですが、最初は戦で敵に気づかれないように城壁を黒くしてたのが、城の美しさを追求する時代には城壁が白い方が良いとされ、その時代に建てられた建物は白い壁なのだそうです。ですから岡山城は黒壁の建物と白い壁の建物の二種類が存在するそうです。
投稿: 羊 | 2004年5月27日 (木) 18時35分
羊さん
そうですか。長野県には御縁があるのですね。
私も「原村」というペンション村の中央銭湯で風呂につかった記憶があります。バーベキューをしたりしてました。
岡山城は11年ほどまえに観ました。白黒は気が付かなかった。
お城に白黒問題があることに気付いたのは、先般のJOさんコメントが初めてでした。
近所は今後確かめます。
姫路城は白ですね。彦根城? 二条城は白かな。
戦国風が黒なんでしょうね。
ああ、桃山城はどうだったろう。
投稿: Mu | 2004年5月28日 (金) 03時02分
NHKで昔、番組してましたけど、狸親爺が漆喰の開発を三河の連中にやらせて、白壁の開発(耐火に強い)をさせて、太閤さんの時代わ終わりこれからは、白壁の城しか許さんと。関が原以降やけど、踏絵の如く迫ったそうや。それで、多くは烏城から白壁に変更したんやな~~。わかりやすい、どっちの派閥につんや~~?白壁の開発秘話があるそうやけど、忘れたで~~。それでも、最後迄太閤さんに恩義を感じていた武将は烏城に踏みとどまったそうや。
投稿: jo | 2004年5月28日 (金) 07時53分
JOさん
白黒判定。
今後、お城をみたたら、カラスか白鷺かで、判定していきます。復原城が多いが、どの時代の復原かも観ておかないと、白黒判定を誤るな。
投稿: Mu | 2004年5月29日 (土) 02時50分