『四季/森博嗣』愛蔵版を読む
森博嗣の『四季』を昨日(2004/05/02)14時間と、今朝3時間かけて、読み終わった。
ミステリというジャンルを超えていたから、森が新しい境地を獲得した、まさしく「金字塔」である。
このために時間を調整した。最低2日間必要と思ったが、「春」の中頃から止まらなくなり、昨夜は生理的限界(つまり夜には早く睡魔が襲う)で最終章にあたる「冬」の一節あたりで止めた。で、今朝3日、もう一度「冬」の最初から読みだした。
楽しみのために、分析的な読み方はしなかった。
読み終わって、イメージが時空間をまさしく乱舞し、なにごとも記せない。
私の想念に浮かんだ鍵語を記す:記憶と、神、生死、人類、文明、悲しみ、懐かしさ、千億の夜
そして最後に『悲しみ』が複雑なことだと、知った。
ミステリという一つのジャンルではないと確信した。
過去に範を求めるなら、詩である。
私がなぜ、かくまで森に執心するかの一端も、いまわかってきた。森にもMuBlog読者にも伝えられないもどかしさがあるが、かつて日本浪曼派の保田與重郎は「詩とも散文ともつかぬ評論」と、祖父に言われたらしい。しかし保田を克明に読みきった(と、思ったとき)、その評論には強固な骨格、構造があった。
森の四季には、建築家らしい(少なくとも、設計し、形作る意味において)強固な構造が見えた。それは、彼の図書を読み継いできた者には「嵌め絵」のようにクリアに、謎が解ける物である。
しかし、私はそれを想定もし、しかし無心になって読み出した。
春、夏、秋、冬の結構は、完璧であった。
独立した一本として『四季』は、あった。
いや、冬に統合したところが、森の妥協なのか? 疑念がよぎった。
春夏秋は冬に捧げられた供物の可能性が残る。
四季博士は、統合化を嫌った。相互干渉を嫌った。一本化することが、限界を招くと言った。
冬に統合化したと錯覚したのは、森のサービスだったのかも知れない。
森は、現実の工学博士であり、大学教員である。現実に生きてきた。
だから、読者へのサービスは忘れない。
それは、学生指導に似ていなくもない。
以上、私の最初の感想文は支離滅裂なものに終わった。しかしこのまま記録しておく。いつか、平静になったとき、まとめておこう。衆愚にできることは、神を記録し、伝承することしかない。神と生きることはできない。
言いたくないし、正視したくないのだが、作家森博嗣は、おそらく天才なのだろう。
同時代に天才を見るのは、衆愚にとっては、煙たく、いまいましいものである。
自らの日々のおっとりした生に亀裂をかいま見せるのが、天才の凶器。
だが、しかたないと思う前に、天才の作品を享受できる幸を消化する。
これが正しいリアルな生き方だ。
加齢も、よいものであるなぁ。
ご馳走は、とやかく考えず、食べればよい。
毒があっても、好きなら、食べる。
(意外に、生き残る。人間はどしぶい(呵々大笑))
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コメント
はじめまして、upです。私は今司馬遼太郎の"竜馬がゆく"の四巻を読んでいます。竜馬が大好きになりました。会えるものなら会って今の世の中について話をしたいです。もし返事をいただけるなら短くわかりやすくお願いします。
投稿: up-おうむ | 2004年5月 3日 (月) 11時54分
UPさん
竜馬がゆく、は2回通読しました。20代と、昨年です。よいですね。伏見寺田屋へ行かれましたか? まだならぜひごらんになるとよいです。
http://map.msn.co.jp/mapmarking.armx?smode=2&zm=10&la=135.45.51.1&lg=34.55.57.0&mode=1&x=181&y=532">http://map.msn.co.jp/mapmarking.armx?smode=2&zm=10&la=135.45.51.1&lg=34.55.57.0&mode=1&x=181&y=532
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以下Muの誤読により、削除致します。
UPさん、ご迷惑をおかけしました。
投稿: Mu | 2004年5月 3日 (月) 15時28分
UPさn
再伸。
私に誤読があればお許しください。
「会えるものなら」は、竜馬を指すと考えて方が良さそうですね。
失礼しました。
1996年以来サイトを開設している都合上、未知の方から面会希望が時にあるのです。
ご容赦くださいませ。
投稿: Mu | 2004年5月 3日 (月) 16時42分
お久しぶりです。寺田屋には6,7年前に行きました。霊山観音の東側にある竜馬のお墓にも何度かお参りしたことがあります。一番興味を惹かれるのは、世間一般で常識と考えられていることに惑わされず信念を貫いたことです。その信念がすごい。例えば士農工商という考えが当たり前の時代に人間は平等だと言ったり、"人間万事の妙機に通じるもんじゃ"という言葉に竜馬のひととなりを感じます。1月ほど前にテレビで与謝野晶子の番組があったのですが、与謝野晶子も竜馬と共通する部分がありますね。今の時代にもこういう人たちがおられると思うのでめぐり合いたいです。
投稿: up | 2004年6月12日 (土) 16時36分
謎の人、upさんへ
現在京都は新撰組で燃えているようです。今朝のラジオでは、JR各駅で、京都を幕末の歴史にそって歩く、とても丁寧なパンフを無料配布しているようです。
そこに竜馬の寺田屋も、話がありました。JR駅近くなら、ぜひご覧下さい。(と、私はいつそれを手にするか、わかりません。近所のJR木幡は田舎駅なのでぇー)
竜馬でしたね。
私もずいぶん入れ込んだ人です。
当時の20代の人は、歴史を変える渦の中にいたのですね。すると、現代はどうでしょう。
司馬さんが言ったのか、だれか、私が考えたのか。
「もし、今竜馬がいたら、高校入試も大学入試も失敗し、ドロップアウトしていたかもしれない」
そんな悲しい想像もします。
そばにいたら、おもしろくって、頼りになって、ちょっと不潔かもしれないけど、いろんな冒険にさそってくれて、そりゃオモロイ男であることでしょう。しかし、まともに就職できず、ホラと夢ばかりみていて、そのうち無賃乗船で韓国いって、北朝鮮行って、シベリアあるいて、ロシア、ドイツ、フランス、そこでまた無賃乗船して、イギリスいって、結局どっか片田舎で餓死するような、気がします。
どうなんでしょう。
激動の時代に生きる人は、現代では生きにくいかもしれないな。
おあとがよろしいようで、再見コメント。
投稿: Mu | 2004年6月12日 (土) 18時26分
そうかも知れませんね。そこまで考えませんでした。
でも、私は何処へ行こうが餓死はしないと思います。
竜馬は人を惹きつける能力を持っていると思うし、文字が読めなくても苦難を乗り越えられる力があると思います。
私も同じ宇治に住んでいます。
投稿: up | 2004年6月12日 (土) 19時45分
私も、現代に竜馬がいたとしたら飄々として生きていきそうな気がします。
ですが、mu先生仕立ての現代っ子竜馬もなかなかおもしろいですね。
私も霊山観音の東にある竜馬や勤皇の志士たちのお墓に何度か行きました。ずっとずっと奥に行くと(道なき道?)伊藤博文の文字が見られる大きな(人間の背丈より大きかったです)石碑があります。人があまり行き来しなさそうなところにあんな大きなものがあることがビックリでした。
投稿: 羊 | 2004年6月12日 (土) 20時30分
UPさん
「竜馬は人を惹きつける能力」同感です。
新婚旅行を初めて決行した人なんて、とてもおもろい。
ところで、宇治在住ですか。
ネットでも、地縁があるのかもしれない。
宇治在住確認クイズ:平等院のご本尊の顔は、外から見られるかどうか?
(竜馬ファンに対して、すみません、馬鹿なクイズで)
投稿: Mu | 2004年6月12日 (土) 21時04分
羊さん、おひさ~
で、一度カメラをもって円山公園竜馬&中岡像、その、件の霊山観音の碑銘、寺田屋、全部まわってMu流の解説を書きたくなりました。
夏休みまでまっておじゃれ。いま、まだ用心して出歩きを調整しているので。
投稿: Mu | 2004年6月12日 (土) 21時08分
答えます.池の向こうから見る事が出来ます.資料が出来るのを楽しみしております。だけどお身体には気を付けてください。
投稿: up | 2004年6月12日 (土) 22時36分
upさん
正解でした。宇治住人と認定し、今後は気楽に(オイ、オイですね)お答え致します。
投稿: Mu | 2004年6月12日 (土) 23時49分
羊さん、このコメントは「記事関係付けリンク」のためです。
http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/06/post_8.html
↑に「伊藤博文石碑」への言及をしました。
投稿: Mu | 2004年6月13日 (日) 02時43分