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2004年5月19日 (水)

三角縁神獣鏡はただの銅鏡か

 何故かしら眠れなくて、三角縁神獣鏡のことを考えていた。
 手元にある数冊の図書を眺めていたら、三角縁神獣鏡にかんしては、膨大な論文があるようである。これで新たに研究論文を書く研究者の卵は大変だろうなと思った。

 『古代日本と古墳文化/森浩一』講談社学術文庫、1991、2000年で12刷
 森浩一は、すでに前期古墳から三角縁神獣鏡が400面も発見されていると記している。そして同書には倭鏡という言葉もあった。三角縁神獣鏡を、王仲殊(おうちゅうしょう)の論文から、「『呉の工匠が海をわたって日本で作った鏡』という結論は現時点では尊重される」とまとめている。森浩一は三角縁神獣鏡については、魏鏡というものを認めていないようだった。それは倭鏡だと言っているように読めた。
『邪馬台国と古墳/石野博信』学生社、2002
 石野は「全国で五〇〇面にも達する三角縁神獣鏡とはなにか」と問いかけている。森の図書が1991年だから、10年間の間に、続々と三角縁神獣鏡が発掘されたのだろう。黒塚古墳で結局34面も三角縁神獣鏡が発掘されたとき、「これは中国からの輸入鏡ではない、と感じた」。つまり中国で発見されない物が、日本で続々と発掘されるのは、すでにその鏡が特殊なものではないと考えられるからである。  石野は三角縁神獣鏡と邪馬台国は無関係であると断じている。  ただし、邪馬台国が、纒向をふくめた、おおやまと古墳集団の地域であるとの考えは棄てていない。

 ここまでみて。思った。
 先般記事では、三角縁神獣鏡がほぼ中国製であると分かってきた。それが国内で100枚どころか、すでに500枚も出ている。魏が卑弥呼に渡したのは、100枚の銅鏡であって、三角縁神獣鏡とは書いていないようだ。

 ・・・

 これは、出土した鏡を全部データベース化して(もう、どこかにあるのだろう)純正か、コピーかなどをしらべ、その上でほぼ全数の成分検査をしないと、曖昧なままになってしまう。

?中国と同じ成分の青銅を日本にもってこれたか。
?鋳つぶすだけの熱処理が可能で、かつ青銅を作られないということがあるのだろうか。
?呉の工匠を呼んだとするなら、だれか。呼んだのは卑弥呼か豪族か。
??もし三角縁神獣鏡が中国製鏡ならば、卑弥呼のもらった鏡と、三角縁神獣鏡は別物なのか。

**分かった、読めた。
 卑弥呼がもらったのは多分特注デザインの三角縁神獣鏡で、それは箸墓に百枚全部ある。
 残余の数枚が近しい豪族に下賜された。(まあ、100といっても、102くらいはあったか、98枚を埋めたか)
 受けとった豪族は(黒塚古墳の埋葬者かもな)、卑弥呼をなつかしんだのか、どうかわからないが、村にいた呉の工匠にそれをみせた。

 「おい、お前、村でタダ飯くうとらんと、この鏡のそっくりさんを作ってみいや」
 「だんな、材料がおまへん」
 「そうけ、ほな次の船で、適当に廃棄鏡をようけいに持ち込む算段するわ。それを溶かして、つくれや」
 「へへへえい」

 まあ、コピーだから面取り、バリ始末が埋葬に間に合わなくて、粗雑なんができたのかも知れない。
 してみると、私の推理は、あっさりと、倭鏡になってしまう。
 これで、いいのだろうか?

 さて、もう午前三時、朝から二つも授業がある。ねよう。

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コメント

せんせ鏡で寝れませんか?邪馬台国近畿説の論拠として古来、三角縁神獣鏡が近畿地方の古墳より出土し、九州の遺跡から出土しないもしくは少ないので大事でした。九州説の人々は中国からこの縁が三角に尖った三角縁神獣鏡が発掘されないので、延々と学会では論争されて来ました。実は、出雲の荒神谷遺跡から膨大な数の銅剣、銅矛、そして銅鐸が出土した時に又、何処で制作されたのか?という論争がありました。『銅剣・銅鐸・銅鉾と出雲王国の時代』 松本清張 日本放送出版協会 で当時の学者を集め、報告資料がでました。手元にあります。当時は銅に含まれる鉛の同位体分析により、朝鮮半島、北部中国、の銅素材が使用されたと報告されており、その後の報告がどうであったかが追跡していません。おそらく卑弥呼の時代は日本での銅鉱山の開発は進んでおらず輸入品(銅素材、銅製品)をベースに例えば、銅剣を鋳潰して銅鐸を作るとかしていたようです。素材が確かに中国であっても中国で制作されたのか、日本なのかは判りません。銅鏡の鋳型も日本で出土していますので、日本でも制作された事も確かでしょうね。とにかく倭人は鏡が異常にすきな人種であると中国の人は考えていたそうです。先生がおっしゃるように今後、考古学者は鏡を隠匿せず、科学的に分析される事を期待します。そのうち科学の力でもっと正確な事が判る可能性もありますね。しかし、精巧に出来た複雑神仙模様の鏡は簡単には卑弥呼の時代に倭国で出来たとは私は思いませんね。出来るのであれば、貰って喜ばないし、100枚も海を乗り越え持ち帰りませんはね。今回の銅鏡成分分析よりも箸墓古墳と廻りの前方後円墳の時代が卑弥呼の時代になった事の方が画期的です。残念ながら学者の間では箸墓は卑弥呼の次に女王になった女性の墓であろうと意見が多いですけどね。

投稿: jo | 2004年5月19日 (水) 10時27分

JOさん
 授業おわって昼食(梅ごはん)とって、珈琲飲む前に一話。
 NHKスペシャル「四大文明」の中国、その「殷の青銅器」を5分ほどみた。
 とうてつ、という古代中国独特のマークを、現代の鋳金師「菓子満」という人が、中国の殷きょ博物苑で、黄土を使って再現している映像がよかった。
 黄土はその粘土質によって、
 とても細かい模様も寸分違わず写し取ることができる。10センチ角程度の粘土板をでっかい青銅器に貼り付け押さえていく。それが乾いたら大きな鋳型枠に並べていく。片面づつのを併せて高温で焼く。
 焼き上がったら、熱いうちに、1100度の溶解した青銅を流し込んでいく。冷めたら鋳型をこわしていく。
 一つの鋳型で、青銅器の複製は一つ。青銅器はとても高価につく。
 顕れた青銅器を磨く。
 黄金色に輝いていた。

 大量に出土した三角縁神獣鏡は複製するときそれだけの手間暇をかけたろうか。かけていないとすると粗雑なものになる。
 殷王朝を背景にした中国歴代王朝に、青銅器はいろいろあったろう。粗雑な鏡を百枚贈ったとは思えない。それだけの労力をかけて造った鏡を百枚卑弥呼に贈ったのだろう。
 それが三角縁神獣鏡かどうかは、東夷伝にデザインまでかいていないなら、不明だろな。
 国内の三角縁神獣鏡の粗雑さ加減は、優良品と粗雑品をならべないと、ド素人にはわからない。

 ただ。呉の工匠がどれほどの技能を持っていたのか。1100度の温度を造るには、JOさんおとくいの「鉄」話前夜となろうな。鉄よりも青銅はらくだったろうな。

 材料と粘土(黄土レベルでないと精緻な写しはつくれない)と技能がそろったとき、卑弥呼が持つに値する鏡が作れたろう。
 やっぱり、贈られた鏡は、まだでていないのかな。箸墓や〜!

 そう。精緻な模様を最初に造った芸術家はどこにいる。三角縁神獣鏡のデザイナー兼工匠はだれや!
 うむ。皇帝お抱えでないと無理節だね。
 卑弥呼のそばにいたろうか?

 また、わからなくなった。

投稿: Mu | 2004年5月19日 (水) 13時08分

NHKのその番組は勿論見ました、黄土のきめ細かな粘土は精密なる文様を作る事が出来るそうですね。中国では銅の歴史は古く秦の始皇帝の兵馬ヨウでも長身のクロムメッキの鋭い刃を持つ剣が出土し、始皇帝暗殺未遂の時に始皇帝が腰につけていた1メータを越える剣が嘘ではない事が判りました。青銅の錫とかアンチモンとか混ぜる金属により固く且つ剛性のある剣を作る技術の発達がありました。その頃の鉄は固いけど、折れやすく戦闘では使える代物ではなかったようです。日本にはほぼ同時に鉄と青銅の技術が伝わったようです。鉄はタタラ製法ですがね、中国の灰吹き法は厳しい統制があり
かなり時代がくだらないと日本には伝わりませんでした。確か日本の戦国時代ではなかったかな? 早く、日本の全ての鏡を科学的に分析して欲しいです。卑弥呼の鏡は先生が言われるように何処かで眠りについているかもね。

投稿: jo | 2004年5月19日 (水) 13時43分

JOさん
 いま会議おわって、へろーとしている。
 一体、誰が最初に、三角縁神獣鏡を卑弥呼の鏡といいだしたのか、思い出せない。論集にあったような気がするが。その時の根拠をしれば、もうすこし頭も晴れてくる。

投稿: Mu | 2004年5月19日 (水) 17時25分

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 昨夜眠る前にNHKの「ニュースウオッチ9」という番組を覗いてみた。TV欄で「三角縁神獣鏡」と出ていたからだ。  この番組を過去見た覚えがない。日々のニュース解説のようだが、たっぷり1時間とってあった。最初は中国の大地震の映像解説だった。他にも一杯あったが、頭には入らなかった。  漸く9時40分ころから、目当ての話題になった。 邪馬台国の概略  最初は、邪馬台国の近畿説X九州説の簡単な話題提供、魏... [続きを読む]

受信: 2008年5月13日 (火) 06時03分

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