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2004年5月13日 (木)

平安京とエイリアンのこと

 ときどきあたまの中に平安京という言葉が生まれる。
 いつも傍に暮らし(宇治市)、日々葛野(京都市右京区)に通っているから当たり前のことなのだが。
 ある日、車で通勤するときに、羅城門跡というのを見つけた。想像していたのは、なんとなく東寺の東、京都駅の真南あたりだったが、意外にも(識者には当たり前でも)もっと西の方だった。
 九条新千本あたりに標識が建っている。九条通りは、1号線でもあるが、羅城門あたりはむしろそこから171号線に入って、神戸へ行く道となる。
 小さな標識で見落としそうな所である。

 で、羅城門は東寺の西にあった。それならば、と次に考えた。東寺(教王護国寺)があるなら、なぜ西寺がないのかと、おもったのだ。そのとたん、地図を見るとマークの左上にちゃんと「西寺跡」があった。地図の効用である。
 羅城門は正確に東寺と西寺の中間にあった。平安京造営というのは、とても幾何学的だったのだろう。

 ここで、なぜ私が羅城門跡をぼんやりと、京都駅の真南と思っていたかというと、京都駅は烏丸通りにあり、烏丸通りを北に地下鉄でもバスでも上ると、同志社大学にぶつかる。その通り一つ南の東一体が、現在の京都御苑、京都御所だからである。幕末の蛤御門の変は、このあたりであったのだろう。新撰組も少しだけ顔を出す。

 ところが現在の御所が定まったのは、1392(明徳4年)ころからであり、泣くよ鴬の794年、桓武天皇の平安京遷都から14世紀前半までは、羅城門跡の真北、現在の千本丸太町東北あたりだったらしい。これは二条城や神泉苑の真北にあたる。とくに神泉苑が、初期御所の南にあるのが興味深い。
 こうしてみてやっと、御所の鬼門を守る安倍晴明と一条戻り橋、あるいは現代のブライトンホテルにある清明神社と御所の位置関係が明らかになる。

 京都の町と、平安京とでは少しずれがある。西京極とか新京極という地名も、京極なのだから、現代御所を西へ少しシフトするとわけがわかってくる。

 さあ、類例の錯覚としては、「京の五条の橋の上、大の男の弁慶は、長い薙刀・・・」つまり牛若丸(源九郎義経)が五条大橋で活躍した話だが、当時の五条大橋は、実は現在の松原橋らしい。こうなると、なかなかに調べ甲斐があるが、今夜はこれくらいにしておこう。(そういえば先週の新撰組でも、刀千本を集めたのは弁慶か義経か、と話しておった)

 忘れておりました。実は一番いいたかったのは、「平安京エイリアン」のことでした。30年近く前に、東大の学生達が造ったゲームがありまして、現在も復刻されているようです。当時はものすごくはやりました。知人は、この手のゲームをやりすぎて、職場や自宅のキーボードをいくつか壊してしまった(テンキーなどを無茶打ちするから)という逸話もあります。Windows系で動くので、私も先夜ダウンロード(無料のようです)して、往時をたのしみましたと、さ。

参考文献:『平安京再現/井上満郎』河出書房新社、1990
      他多数あります。おいおい紹介していきます。

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地図の風景」カテゴリの記事

コメント

五条大橋の話は知りませんでした、今より少し北なのですね。 神泉苑は気が噴出す場所ですよね。平安京も綿密に設計されて建設されたんでしょうね。平安京エイリアンは知りませんでした。面白そうですね。

投稿: jo | 2004年5月13日 (木) 05時56分

JOさん
 ひところ魔界都市京都というのがはやって、あれこれ沈没していました。それよりもっと前に、1996年ごろミステリ『鬼女の都/菅浩江』(祥伝社)を読んで、京都の知らないことをいろいろ再発見したのです。これは、現在ノベルズで再刊されているから、おひまな折りにどうぞ。
http://books.rakuten.co.jp/mysterybest/NS/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=1370122

投稿: Mu | 2004年5月13日 (木) 07時43分

先輩、このblogに顔をだしていると、一カ月で数年分の読まんといかんバックログの未読本が累積し、プレッシャーになりそうでんな。発言しない人も沢山おられるだろうから、その人達のバックログ迄いれると、えらい数の本をム翁は・・・。
ま そのうち本屋さんか、著者から菓子折りが来るかもしれませんね。

投稿: jo | 2004年5月13日 (木) 08時11分

JOさんや
 社長と違って私などは、飲む打つ買うがゼロやから、本でも読まないと身がもたない。
 まるでエドルンとこの副社長トミー某氏と私は似ている。彼は、エドルンに言わせると、飲まない、食べない、寝ないで仕事してるそうやで。

 ところで{飲打買}は正確には若者に伝わらないから、安心だね。けけけ。
 飲むまでは全員分かる。私の説明は、打つが「博打」打つまでしかしない。最後の買うは、「さあ、ショッピングにせいを出す男性もおおいのでしょうね」と、笑っておく。
 まあ、女子大「先生」も大変なのよね。

投稿: Mu | 2004年5月13日 (木) 08時25分

おはようございます。「東寺」があれば「西寺」も・・、というところから思い出したのですが、高校のときの国語の先生が中国の知人から手紙が来たときに「京都」と書かずに「西京都」とあて先に書いて送ってくる人がいるとおっしゃってました。そういう方が何人かいるそうです。京都には長く都があったので「東京都」と対にして考えているのかなと言われてました。

投稿: 羊 | 2004年5月13日 (木) 08時39分

あ~何となくその中国の人の気持ち判るな~。実は長安は長く都でした、今でも中国の人はその気持ちがあります。その後、
燕の方に移り所謂、北京が都となりました。そして、長安を西安と名前を変えたのですね。この歴史があるので、その中国の人は西京都と自然に書かれたのでせうね。

投稿: jo | 2004年5月13日 (木) 08時50分

ちなみに、その先生の知人の方は日本に来た際、「日本にも黄河に負けない幅のある雄大な河がありますね。」と瀬戸内海を見て言ったそうです。

投稿: 羊 | 2004年5月13日 (木) 09時08分

それもよくわかりますね~。世界地図を90度左に廻して見れば
判りますよ、下にユーラシアの大陸があり朝鮮半島が突き出し
昔の大陸の海岸線が樺太から北海道、本州、九州、点々と島が並ぶ海岸線です。是れが、何時の時代か、日本海に海水が入り込み海岸線だけが、日本列島として残りました。彼らの感覚は日本は大陸の一部なのですね、又、黄河は昔、瀬戸内海迄伸びていたのです(これ冗談ですけどね)。

投稿: jo | 2004年5月13日 (木) 09時20分

JO先生、ありがとうございます。こういう感覚や意識の違いって、おもしろいですね。似てるのに、近いのに違うんですもんね。幕末だけでなく歴史に興味を感じました。

投稿: 羊 | 2004年5月13日 (木) 10時03分

追加ですが、黄河が太古日本海に注いでいたのは事実ですよ。それで、淡水化が進み海の魚が死んでしもうたそうな。未だ朝鮮半島と九州が陸続きのころやけどね。対馬海流が入り込み東北は温暖化が進み、同時にどか雪がふるように大層気候が変化したそうですよ。そしたら、又、6000年前頃に鬼界がカルデラが大爆発して西日本が壊滅。日本列島も大変ですね。

投稿: jo | 2004年5月13日 (木) 12時13分

羊さん
JOさん
 なかなかに、スマートな対話でした。
 つまり、中国は東西とか南北を意識する國なんですね。ああ、唐の都長安の春は坊条の原点でしたね。東西南北を、ばらんすよく、きっちりセットする國だから。
 ともかく、いまから昼食に出かけますです。
追伸
 西寺って、ほんとうはどんなだったか、調べてみますよ。
 奈良なら、東大寺、西大寺、とはっきりしてるのに、京都の西寺は、・・・

投稿: Mu | 2004年5月13日 (木) 12時16分

京都の西寺は確か、当時空海はんと最澄はんに任したと違いますか? 東西を二人に分担させたと記憶に有りますけどね。どっちがどっちか忘れたけどね。

投稿: jo | 2004年5月13日 (木) 12時34分

JOさん
 空海、最澄さんは、司馬さんの本で印象深かったですね。空海さんは私費、最澄さんは国費留学生だったでしょうか。空海さんが貸した教典を、最澄さんが返さなかった、とかそんな曖昧な記憶があります。
 東寺はいまでもものすご五重塔が目立ちますね。西寺のことはもっと調べます。
 えっと、それにしても、真言密教っていうのは、蠱惑あります。

 むかし、漫画『孔雀王』でしたかね、それで「裏高野」っていう言葉がはやりました。すんません、私はどうしても、トンデモに走ってしまう。

投稿: Mu | 2004年5月13日 (木) 15時09分

漫画『孔雀王』しらんな~。密教の呪文を使い異界で闘うような案配でしょうね。火を使うのと妙な宗教グッズを使うから、オドロオドロしいですね。役小角のように妖術の世界と紙一重でせうか? 司馬さんの本は面白かったし、バク山さんの小説も面白かったどす。

投稿: jo | 2004年5月13日 (木) 15時24分

JOさん
 東寺は、とうぜん空海さんにしても、西寺はわからないです。
 最澄さんは比叡山でよかったわけでして。
 まあ、いつか調べますよ。
 東寺の塔が55mで日本一というのは、しらなんだ。

投稿: Mu | 2004年5月13日 (木) 20時57分

でも私の記憶では最澄さんが西寺だと思うな~~。僅かな記憶ですが・・。東寺の塔が55メ‐トルもあるんですか?どうりで、何処からでも見えますね。

投稿: jo | 2004年5月13日 (木) 23時56分

JOさん、羊さん
 東寺、西寺は調べ出すときりがなくなってきて、疲れました。で、ここは妥協の産物ですが、非常に上等なレファレンス・ツールを持っているので、そこの情報を要約して、この件、ケリを付けます。
 ツールは『寺院神社大事典(京都・山城)』平凡社。これは、滋賀篇と大和篇もあって、木幡で常用しています(マニアでしょう)。
 東寺、西寺はほぼ確定的に同時期に桓武さんのお気持ちで、造られたようです。平安京遷都と同時期だから、794前後でしょうか。

 時いたり、嵯峨天皇は、天台宗最澄の山修山行を公認(比叡山ですね)しました。一方、嵯峨さんは、最澄さん、空海さん、それぞれお二人の才能を認めておられたので、弘仁十四年、空海さんに東寺を「勅賜」されました。あげはったんですね。以後、東寺は真言一宗だけの道場となったようです。(ここで、高野山を考え出すと、複雑すぎるので止めます)

 で、西寺は普通の官寺として、国の行事、つまりたとえば天皇さんの国忌で中心的なお寺となったようです。鎮護国家寺ですね。文徳天皇、醍醐天皇の国忌と記してありました。
 だから、最澄さんと西寺の関係は見つけられなかったです。

 これくらいですね。
 まあ、空海さんの世界は現在も隠然たる現実宗教世界を持っていますから、私も不用意に踏み込めません。私の司書の大師匠は真言密教西大寺派というのでしょうか、三重県でいくつものお寺の住職を兼ねておられます。
 若い頃聞いた話では、真言宗の修行って、めちゃくちゃ激しいようですね。着ているものがすりきれそうな感じがしました。

投稿: Mu | 2004年5月14日 (金) 07時47分

了解しました。昔中国は西安(長安)に旅をした時に大慈恩寺の大雁塔を訪問した経験があります。何か、東寺とイメージが重なりましたね。何でか判らんけれど。帰りに墓参り用に線香と香炉を買いました。親爺、お袋、兄貴の墓前で『この線香はな~長安の西遊記の偉い坊さんの寺で仕入れてきたんやで~と』手向けました。京都の知恩院は提携寺院だそうですね。

投稿: jo | 2004年5月14日 (金) 10時05分

JOさん
 東寺さんはね、近日カメラ持参で残してきます。
 ともかく、意識してみると、すさまじい建築物です。
 今朝横目でみて感動した。

投稿: Mu | 2004年5月14日 (金) 13時42分

西寺の五重塔は1233年に焼失したそうですね。再建されなかったのは残念です。再建されていれば「すさまじさ」も二倍だったですね。

投稿: 羊 | 2004年5月14日 (金) 19時14分

羊さん
 まるで鎌倉時代へ行ってきたような様子ですね。

 ところで、先回は興福寺五重塔の偉容をあらためて思い出し、今朝は東寺の塔や門に圧倒されて葛野へ行きました。
 本当に大寺院という言葉が当てはまります。
 そのうち必ず写真を掲載しますから、お楽しみに。

 東寺は、たしか祖母が天神さんと東寺の市の立つ日がどうのといつも言っていたような。

 ともあれ、京都で古寺に興味を持ち出すと大変です。毎日カメラを持って歩くことになる。大学に縁の深い東本願寺とか、・・・清水さんとか、天竜寺とか、そのうち頭を丸めたりしてね。知人の大学教授が数年前に、急に僧職の資格みたいなのをとられて、唖然としました(ご本人いわく「思い立って。まあ、趣味ですな」)。

投稿: Mu | 2004年5月14日 (金) 19時43分

  先生、おはようございます。
 昨日、100円ショップで「平安京エイリアン」ゲームCD-ROMを見ました。生まれて初めて「平安京エイリアン」というものを見ました。ずっと何のことだろうと思ってたんです。
 やっと正体がわかりました。

投稿: 羊 | 2004年6月 9日 (水) 06時58分

羊さん
 100円ショップ、どこで売ってるのかな。興味津々です。
 東寺の市で売ってたら、話題にできるね。
 BLOGは過去記事へもコメントあるから、うれしいです。

投稿: Mu | 2004年6月 9日 (水) 07時07分

  見つけた場所は、MoMoの二階の100円ショップです。
 表紙には、「レトロ」と書いてありました。

投稿: 羊 | 2004年6月 9日 (水) 18時24分

羊さん
 ととろ、と間違いそうですね。
 しかし、今をさる20年近く前には、平安京エイリアンこそ、メジャーだったんです。往時を思い出すと滂沱(何故かというと、私もマイナーでしたが、ゲーム作家してました。SONYですぜ!)
http://www.koka.ac.jp/taniguti96M/0/40/Otakara/Login/Login0.html

 

投稿: Mu | 2004年6月 9日 (水) 20時54分

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