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2004年5月 1日 (土)

日本・文学・評論:二十世紀の十大小説/篠田一士

By NDL-OPAC KE173-G60

二十世紀の十大小説/篠田一士著
  東京:新潮社、2000.5
  562p ; 16cm
  (新潮文庫;し-47-1)
  ISBN 4-10-118821-1
  定価 781円

全国書誌番号 20063692
個人著者標目 篠田, 一士 (1927-1989) ∥シノダ,ハジメ
普通件名 小説 ∥ショウセツ
→: 文学 ∥ブンガク
→: 悪者小説 ∥ワルモノショウセツ
→: 短篇小説 ∥タンペンショウセツ
→: 推理小説 ∥スイリショウセツ
→: 歴史小説 ∥レキシショウセツ
→: 科学的空想小説 ∥カガクテキクウソウショウセツ
普通件名 文学 -- 歴史 -- 20世紀 ∥ブンガク -- レキシ -- 20セイキ
NDLC KE173
NDC(9) 902.3
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000002890266

カバー情報

プルーストの『失われた時を求めて』、ジョイスの『ユリシーズ』、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』等々、その名は知っていても、なかなか読破するチャンスのない「小説」が十篇。しかし臆することはない。篠田一士は、一作一作、丁寧かつ渾身の力を込め、躍るような筆致で道案内してくれる。文学の、小説の魅力、読書の楽しみを余すところなく伝える一冊。

目次情報
多元化する世界文学の中で
『失われた時を求めて』(プルースト)
『伝奇集』(ボルヘス)
『城』(カフカ)
『子夜』(茅盾)
『U・S・A』(ドス・パソス)
『アブサロム、アブサロム!』(フォークナー)
『百年の孤独』(ガルシア=マルケス)
『ユリシーズ』(ジョイス)
『特性のない男』(ムジール)
『夜明け前』(島崎藤村)
後書き
二十世紀の十大小説を読むために
篠田一士著作目録
解説/池内 紀

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読書の素」カテゴリの記事

コメント

これ、一生かかって読む本とちゃう?大学時代に先輩に言われて読んだ記憶があるけど、判らんかったな。読む自分のレベルで読み返すと別の本に思えるのと違うでしょうか。奥が深い世界でしょうね、これ真面目やな!失われた時をもとめて・・映画にならんかったっけ?フランス語ができたら原書で読みたい本やろな。夜明け前は部落問題やな~確か? 文学に関してはあまりコメントするのは控えるわ。けど、人生そのものの本みたいやし、大事な宝やな。

投稿: jo | 2004年5月 1日 (土) 14時54分

JOさん
 あれは破戒ですなぁ。
 これは幕末、木曽路、国学者、尊皇攘夷?
 だんだん、わたしもおぼろになってきた。

 篠田さんをあげたのは別の観点があって。いまは書く気力がないけど。要するに篠田一士は一昔まえになくなった英文学者ですが、なんというか、数少ない、私が気に入った人なんですよ。ドイツ文学だと、川村二郎先生やね。

 ファン、ですね。それなら、わかるでしょう。

 いまどき、この忙しい時代に、十大長編小説をよみきる若い人がいたら、不安ですね、かえって。
 でも、確実に言えるのは、ユリシーズは、それこそ翻訳(丸谷せんせ)をなめるように読みました。22くらいかな。数年前も翻訳が再刊新稿ででて、全部買ったけど、いまさがしても葛野にはない。木幡にもないようだし。こまりました。まず、いまどき、あれを貸すような者はみあたらないし、自らお姿を隠されたのでしょうな。

 ボルヘスとガルシア=マルケスは読んでおきたいな。後者は買ったのにどこかへ消えた。なんちゅうか、本自らが「あんさん、いまいそがしやろ。いまは他のもっと旬の仕事しなさい」と、いうてるような気がするね。

 で、往々にして、いざ読まんと思い立ったときは、目がかすれ、根気がなく、・・・というのが人生の皮肉や。だから、20代のものたちに、ときどき、ぽそりと、「今しか、読めないよ」というけど、馬の耳、猫になんとか、老翁の話をまともに聞く耳はない。
 嗚呼、悲しいかな、文学の道、絶えてなからん。

投稿: Mu | 2004年5月 1日 (土) 16時59分

やっぱしな~~脳が破壊されとるから、間違うな~、梅翁から言われとったんやな、joはんはあまり文学の話はせんように、と。先生のように大学で教えたはるお人は、学生に夏休みは”ユリシ-ズ”読めとか卒論研究で取り上げるとか、されてはるんでしょ?この歳になると時折、万葉集を読みたくなったり、源氏物語の一部が気になったり、古事記を読みたくなるとか・・梅翁は漢詩に最近興味があるらしい。月落ち烏鳴きそうてんにみつ・こうふうりょうか・・なんじゃらかんじゃら。平家物語も又、読みたいな~~。そうそう方丈記がえ~~な。人生、楽しいね。若い時には難しい本をそして、大作を一度は読んでおいた方がえ~やろね。歳とって又、読み直すからな。それを、指導するのは浅茅が原先生やな。

投稿: jo | 2004年5月 1日 (土) 17時33分

上記の10冊はまだ読んだことがないので、少しずつ読んでみたいと思います。ちなみにユリシーズ以外だったら、先生が夢中になった本って何でしょうか?

投稿: 羊 | 2004年5月 1日 (土) 18時28分

JOさん
 葛野で古びたマシンと死闘を繰り返し、いまやっと木幡帰還をはたした。なあ、落ちたマシンのHDを引き抜いて(立ち上がらんようになった)、別中古にセットしようとしたら、あれぇ、でっかい入れ物(ATX)なのに3.5HDを入れる余地なし(つまりベッドがない、マックの時みたいに、というてもわからんやろな後日にな、ネジ穴もない)しょうがないので裸のまま電源とケーブルつけて、ピーピー泣くのをメモリ外したり、埃払ったりファンに油差したりして、なだめて、やっとこさ、全部メインのHDに移して、云々かんぬん。まさに死闘だね。
 それで木幡に帰ってきた。
 そうや、私は英語英文学の先生やない。
 読書指導も本質的にしたことない。読書は異能。あれはわずかな才能と膨大な訓練、根気がいる。だから、長編よめるだけで才能あると思って良いな。
 映画とちがって、自分で文字をメディア変換してイメージにしないと、なにもわからぬ。
 だからな、読書指導は無理なんだ。
 18くらいの時にそれを悟った。
 それまでは完璧な科学・化学少年・ダイジェストとかマンガとか、雑誌しか読んでいなかった。試験管ふったり、ビーカー洗ったり、木工細工やアルミに穴を開けたり、そんなことばかりしていた。18から異変があって、小林秀雄やもろもろ膨大な読書にはまりこんだ。しかし、その時期を覚えているが、身を切る辛さやね、まともに本を読み通すのは。
 足谷某という友達がいて、彼の影響だね。
 怖いね、人生。彼が部屋に漱石全集を並べたり、伊藤整の話をしなかったら、私はいまごろ完全無欠の建築設計関係に居るだろうね。
 で、本を読むのは異能。
 女は良く読む。だから、女は一般に、異能集団。殷が滅ぶ前後、戦闘の先頭には双方千人レベルの巫女が立ったらしい。双方呪殺なんだね。目で。数年前にみたNHKの聖徳太子でも、物部には巫女集団が戦闘に参加していた。
 あれ、あれなんよ、女の本然は。だから、読書なんて、もともとああいう異能に近い。
 その分、私などは、マザーボードやハードディスクやメモリに手かざしするだけでぴーぴー鳴くのを止めたり、死にかけのマシンも生きかえる。これも異能や。まともな女にはできん。呵々大笑。

 ああ、ハラ減ったのでご飯食べるね。
またJOさん。

投稿: Mu | 2004年5月 1日 (土) 20時08分

羊さん、今晩倭。
 ユリシーズ以外と言われると汗でる。「子夜」は全く未見。あとは1割かじり、3割齧り、そうそう藤村は読んだ。が、覚えていない。あ、カフカ城も読んだ、ぼんやり。志賀直哉の方が覚えている。で、この篠田さんの文庫を薦めます。はやりのダイジェストは薦めません。読書は人との話のネタにするのはもったいない。ダイジェストを読むと、そうなる。
 篠田さんのはそういう傾向本じゃない。これが独立した評論なんです。
 それと、ここにあげられている本は全部、多分、特殊本です。一般に、昔ヌーボー・ロマンだったけ、新小説? まともじゃないです。英米で、20世紀最大の小説、トップにいつもなるジョイスのユリシーズも、私の好きな評論家(桶谷という人)は、袋小路文学と、いうてはります。そういう気配あります。
 じゃ、なぜ? まあ、それは後日においおいと。ところで、このMuBlogのデザインは、ユリシーズ初版に幾分似せておるのです。それくらい、私にはショックでした。
 ああ、ユリシーズ抜きでしたな。
 プルーストでおもろいことを篠田さんは言うてはります。ある女が、
「無一文の若い頃、彼女はシカゴのマッサージ・パーラーで三週間働き、その金で、週末の二日だけは、最高級のホテルに部屋をとって、ベッドで『失われた時を求めて』を読み続け、読み終えたという。なんてキザったらしい阿呆なことよと、笑うひともいるかもしれないが、このくらい過激な時間のつくり方をしないかぎり、プルーストを一気に読むことはできないし、また、一気に読まないかぎり『失われた時を求めて』の世界を、わが物として生きることはできないのであろう。」
 で、「わが物として生きる」これが、読書に見いだせない限り、不毛と思っています。そのための努力、工夫は、異能だけでは無理です。読書もスポーツと同じ、訓練が必要です。

 私は、いま、某大作をどうするか、ずっと悩んでいます。GWにかたを付けます。

投稿: Mu | 2004年5月 1日 (土) 21時00分

先生、私は読書を出会いだと思っています。人に出会うような感覚です。(もちろん本が友達というわけではないです。)自分に無かった感情を知ったり、共感したり、友達から話を聞くように読んでいます。作者は作者で一人の個人で、私は私だから、誰かの作品の世界を「わが物として生きる」ことは考えていません。読書の仕方も、読書の意味も千差万別ですね。

投稿: 羊 | 2004年5月 1日 (土) 21時30分

いやはや、羊さん、食前酒にふらつく筆でしるしたのが悪かった。
 おっしゃるとおりです。
 私は特殊なのです。
 私には、文学というものが、生きる命綱なんです。
 理解しがたいでしょう?
 ああ、宗教、信仰と思って下さい。

 だ・か・ら、本質的な読書指導はできないのです。
 ある本のおもしろさを表現することは時にできます。
 その分で、学生さんなんかに、「あれ、おもろいよ」程度はしています。

 まあ。酒で酔うと本音がでるのです。
 スティーブン・ディーダラスがダブリンの街を彷徨う、ユリシーズのように。それに一体化してしまうのです。
 まあ、一種の病質と思っています。

こんどは、もっと穏やかな読書話をしますです。あははは。

投稿: Mu | 2004年5月 1日 (土) 21時44分

6、7年前ですが、先生が「人生には髪の毛を振り乱してがむしゃらにならなあかん時があるんや。今からその心構えをしとかなあかん。」と熱く熱く(もしかしたら怒っておられたのかもしれません。)おっしゃていたのをよく思い出します。というよりも忘れられません。「読書はスポーツであり、努力するもの」という言葉から、以前の先生の言葉を連想しました。実行できる、できないは別として、教えていただいたこと、そこから私なりに学んだことは、私の頭に残っているみたいです。

投稿: 羊 | 2004年5月 1日 (土) 23時04分

羊さん、3時間眠ってしまって、ちょっと目覚めましたです。
 そうですね「髪ふりみだし」ですかぁ。
 そういう熱狂をセリフに出すのは、教員として冷静さにかけますなぁ。

 私は波があって、ミステリ中毒、コンピュータ自作中毒、純文学読書中毒、作家中毒、授業中毒、ドライブ中毒、研究中毒、ぼけぼけ中毒、……。一つあたり3ヶ月ほど続きまして、3ヶ月の二月目くらいが「髪ふりみだし」ですね。

 ぼけぼけ中毒は年間数回あって、その他名称中毒は、年に二つほど。計算すると、年間{A中毒、ぼけぼけ、B中毒、ぼけぼけ}。
 こんなんですね。
 そこから、年間2ヶ月は髪振り乱して鬼になっていることになります。しかし、残り4ヶ月は平凡、さらに4ヶ月はぼんやり、最後の2ヶ月はボケの極みで給料ただ鳥。けけけ。

 以上、冗談じみていますが、事実です。
 だから、どんなことでも、鬼になってやったことだけが、次の鬼になったときの基盤になっています。

 そうすると、年間10ヶ月は、ただ平凡にぼんやりと生きているだけです。羊さんは、私の2ヶ月を覚えているのですか。のこり10ヶ月も、私ですね。

 鬼のあとは疲れます。ぼんやり時期が、おっとりしてよいです。

投稿: Mu | 2004年5月 2日 (日) 01時16分

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