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2004年5月16日 (日)

2004/05/16(日)雨:中間報告

 日曜の朝、3時丁度に目が醒めた。昨夜いつ眠ったのかまったく記憶がない。土曜日までに懸案の大学責務のいくつかに目処をつけ、カナーン96例会を終わり、夕方MuBlogの総アクセスが3月以来2万件になったので、緊張が解けたのかも知れない。

 今朝は目覚めも良いので、いくつか心の整理をしておこう。

1.MuBlogと「テキストと情報学

MuBlogは、
 日々更新とし、独立した記事を作り、相互はトラックバックや参照で、より上位のグループをつくる。パラレルに浮かんでくるイメージを記事として定着化させ、並行してまとめていく。これはKJ法の自然な採用なのだろう。
 書いていて思うのだが、リピータなどのコメント、合いの手によって、思わぬ方向へいくことがある。そして人間の古い記憶がずるずると引きずり出されてくる思いもする。

MuBlogの目的は何なのだろう。
 *そこにblog、ココログがあったから。思いの外使いやすくて安定していた。RDBMS世界を掌中におさめたような快感がある。表間演算というよりも、表内でのフラットな記録同士が双方向リンク結合によって意味を濃厚に定着させることができる。二次元表が二次元にとどまらなくなった。
 *とにかく書く。書くことで生を確認する。表現を止めたとき私は消えてしまう。書くことで自らの客観性を確保したい。自分自身に対する最大の危惧は、個性の無さよりも、客観性の欠如である。書くことで、自らの方向性を確認している節がある。客観性欠如への懼れとは、すなわち自らが想念の海に漂っている時の快があまりに強いからである。どんな場合にも脳内麻薬で忘我となっている。そこでの客観性は「授業にでたか?」「お金残ってるか?」「服やぶれていないか?」「ガソリン入っているか?」「鍵閉めたか?」「宿題したか?」「歯を磨いたか?」「JOさんに返信したか?」「学生TAに謝金わたしたか?」そういう実にリアルな現実規範遵守こそが、私の確認すべき客観性である。
 すなわち私にとっての客観性保持とは、ただしくスムーズに現実生活を営んでいるかどうかの検証作業をさす。
 思い返せば、幼児期から夢の中に住んでいた。

MuBlogはどうなるのだろう。
 継続させる。特にココログが手を抜かない限り、ココログという市販システムの使い心地はよい。
 私にとっては、システムを日々使い切ることが、人生をさすのだから、システムは客観的に外に規範としてあるのじゃなくて、内に血肉として溶け込んでいる。ココログよりも数倍よいシステム、たとえばレロレロとかが出てきても、血肉になったシステムは、はがせはしない。一太郎をすてないのと、Pascal系Delphiを棄てないのと、PMLを棄てないのと同じである。
 システムや人や組織を気安く棄てる男や女をみていると不憫におもう。そういう人達は、生命力が強いのじゃなくて、現実判別能力、対象把握能力がないのだろう。どこまでも繰り返し、なにも残らない。唯一、残らないことに価値をおける者だけが、つぎつぎと右往左往する意味がある。
 つまり、対象把握とは、瞬間的なものである。
 現実対処としては、MuBlog母体のココログが衰退したなら、こればっかりは自ら造る。MuBlog2として考えておく。

HP「テキストと情報学」は、
 葛野のことは葛野で。凍結遺跡として埋め直していく。あれが1996年代の現実なのだ。私のHPはいまだに、マックのページミルで作られている。フレームもないし、その後のHTMLの厚化粧はほとんどまったく使っていない。HTMLを厚化粧して使いまわすことは、当初に放棄していた。
 HTMLの成立を考えれば、あれはリンクと文章階層を定義するもっともシンプルな言語体系だったのだ。
 手を入れるとするなら、リンク切れの補修。誤字脱字の補修。版面色調の統一。

 WebHPスタートが、1996年7月。
 MuBlogスタートが、2004年3月。
 8年間あった。世間の犬年齢で56年間たった。骨太な古代都市として残し、生かす。
 今後一番力を注ぎたいのは、
    論文定稿の保管管理。
    小説葛野記、梅翁日記などの保管管理。
    各寄贈原稿の整理保管。
    検索システムの運用。
 一番の懸案は、動画の運用管理。これは、未熟だった。「テキストと情報学」に基地をおくしかない。

2.MuBlogと今後
 新しい企ては地下深く。
 それがなったなら、手法を分析し、統合し、私自身の研究・教育生活、その余生の柱としたい。
 システムを作り、コンテンツを充当し、コンテンツ間の関係を統合し、表現を完成させる。そして検証。
 このループを、MuBlogに定着させるためには、現行のMuBlog手法だけでは、余生を生かし切れない。

新しい旅。
 新鮮な情報を、活け魚料理のようにさばく訓練を重ねよう。写真も動画も、古物の解釈再確認も必要だが、とれとれの旬のものを調理して、同朋を饗応するのも生きる支え。
 まずは、2004年の夏、隠岐島踏破こそがその出発点。

読書記録。
 これは時期いたりなば、MuBlogの骨になる。風景と歴史。風景が旅ならば、歴史とは読書。

3.大学教育
 痴友達や保証期間中卒業生達や、親衛軍が想像する以上に、私は大学教育を考え込んできた。
 ことに、振り返ってみれば、20代、30代の愚かさは、振り返りたくないほどのものである。
 当時の我が身と、はらからたちの風景を思い返せば、徹底的に欠落していたもの。
 それは才能でも感性でもモラルでもない。
 蓄積と活用との欠如であった。経験がほとんど有効に使われない。なるべくして失敗し、多くの血肉となった宝物ごと捨て去り、次のステージにはいり、また同じ失敗をくりかえしていた。失敗の永劫回帰だった。
 反省する能力の欠如ではなく、蓄積するツールや手法を見いだせず、逃げることしかできなかった。
 しかしなお、逃げる能力あればこそ、現代の我も、人も、今にいたったという皮肉も残る。

 そしてまた、多くの若者達は、同じ愚を繰り返している。

 知識断片一つ、時々の思い一つ、恐怖一つ、他人事として客観視する自らの生の歴史を、使いこなすだけのツール。それをネットワークと秘匿世界の、相互リンク、往還と捉えた。日々生起するものは、前後の脈絡も思いつかない断片、断章、断簡、断端の思いである。
 真に優れた者は、これらをきっちり再活用している。
 脳内KJ法が自然にできているのだろう。無理無体な根性を持ち出さずとも、自らを客観視するベースが備わっている者を真に優れた者と言って良かろう。
 私は学生達に、データベースとは現実世界を切りとる行為において、哲学であると教科書に書いた。
 その思いをMuBlogで提示していくつもりだ。

 おうおうにして若者は、棄てる価値もない貧弱な人生を棄てて、悦に入っている。不毛。
 それが明確に逃亡夜逃げであることを自己認識させ、かつ、価値もない人生も磨けば、選別すれば、他と組み合わせれば宝物になるかもしれない可能性を示唆しよう。

 司書は、棄ててはならない。  しかし選別しなければならない。  そして、蓄積格納した対象を、即座に取り出すアクセス機能を持たねばならない。  図書館なくして、人は伝承も記録ももたない猿に等しい。逃亡の永劫回帰。

 blogは新たなPML。パーソナルで、メディア群をメンタルにあつかう、まさにライブラリー。

さて、朝食をとって、日曜早朝のお勤めをしよう。
 

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コメント

時折、自らを客観的に整理するは大事ですね。歳をとるとどうしても独善に陥りやすくなります。意見を言ってくれる人が少なくなるんですね。しかし、BLOGは反応があるので、知識・思考の生命体として常に世間・環境と接している。企業の多くの社長は社内のイントラで自分の意見を述べる場を持ち、発信している。しかし、社長は従業員だけでなく、株主、世間に対して責任を持つ存在である。従い、社内も社外も同じく分け隔てなく発言しなければならない。新しい時代に突入している、自分の過去、現在、未来について活動している生命体がBLOGであると思う。頑張ってください、Mublog
が数百年後も生きた生命体として成長している予感がする。

投稿: jo | 2004年5月16日 (日) 09時53分

JOさん
 MuBlogが生命体というのはいいですね。
 なんとなく、脳だけの雰囲気になりがちだから、隠岐行って心の窓を開けないとね。

 社長の社内訓辞は反応あるのだろうか。古来権力者の孤独は言い古されてきたけど、避けられないだろうね。
 しかし、公私灰色、ジャンル別、いろいろなblogを手軽に使い分ければ、最低限の意思疎通、状況把握はできるようになるかも知れない。

 ところで、個人の、一見趣味の人にしか見えないblogも、沢山のリピータがついて、すでに4万アクセスを越えたところも知っています。
 私のところのリピータはJOさん、WDさん、羊さんがメインでありがたく思っている。だけど、リピータが少ない限り、言い放し、書き放し、独善に陥る可能性もあるね。もちろんメル連絡もあるから、まあ、ギリギリの水準は保っているけどね。

 社長職へのコメントだって、なかなか社員は出せない可能性があるね。発言するのはコミット(参加)することだから、二の足を踏むかも知れない(ああ、シナンシャルのことは知らないよ)

 いま悩んでいるのは、学生が、そばにうろうろしている学生達が、blogのことになると、こそこそと隠れるンだね。よほど、なにかもの申すのは辛くて、しんどいことかも知れない。

 かくいう私も、教授会では、延々と3時間、無言の行だから、あまり言えないけどね。

 最後に、くどくどしいけど、隠岐松江出雲、島根旅行を楽しみにしています。きっちり、くるんやで。大山でラジコンとばそうか(笑)

投稿: Mu | 2004年5月16日 (日) 11時02分

8月であれば大丈夫です。問題は梅翁やな~。多分最終的には来ると思う。二人だけに楽しい思いをさせとうないやろから。Blogは自分のレベルを量る尺度になるな~。ビジネスの世界で自分のblogを位置ずけると難しい問題が沢山出てきて、もう少し、様子を見てからやな。けど、心を開いたビジネスの相手には自分のblogを教える事にしている。

投稿: jo | 2004年5月16日 (日) 12時37分

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