ならほてる:奈良ホテル
奈良ホテル(奈良県奈良市高畑町) マピオンBB地図
最近虎ノ門のJOさんと話す機会が増えてきた。ある瞬間に梅翁のことが話題になる。そういえば近頃都に参らぬようである。
そこまで考えたとき、ふと思いついた。
ときおり自薦、他薦、自筆、他筆の文章を拾ってきて、記録としてまとめておこうと思い立った。私は記憶をイメージか、あるいは文章で覚えているようなのだ。
梅翁は奈良ホテルを常宿としていた。翁にとっての旅籠(はたご)なのだろう。
2000年4月9日の、ふうてん老人日記:吉野篇に、よい文章があった。
これは私が当時梅翁にエッセイをお願いし、その最初のものだった。
吉野篇と書いてあるにもかかわらず、結局旅籠は奈良ホテルになった。
エッセイは、2004年4月9日現在も、毎週いただいている。
朝食は生ビールとプレーンオムレツとコーヒー。
あれやらこれやら飲み食いした翌日の朝はこういうシンプルなのに限る。
ビールで目を覚まさせプレーンオムレツで胃をなだめコーヒーで心に活を入れる。
9時を過ぎた後の食堂は人影もまばらで窓の外は四季折々の自然にあふれている。
奈良ホテルで一番いいのはこの朝食の時間なのかもしれない。
この時、ホテル側は40分以上、時間をとっていた。すでに9時を過ぎていたから客が多かったのではなく、おそらく変わり者の客のために、丁寧に丁寧にプレーンオムレツを造っていたのだろう。皺ひとつない芸術的なオムレツだった。
ビールで目がさめた。
オムレツが喉を滑らかに降りていった。
コーヒーでしゃっきりした。
梅翁は人生を楽しむ達人と思った。
それにしても、私がその時、パラレルに重ね合わせていた情景は、このレストランを使っていた昔の文人たちのことだった。三島由紀夫であり、立原正秋であり、保田與重郎、川端康成、小林秀雄であり、・・・昭和の文学を彩った人たちのことだった。
これらのことはいずれ独り言を呟くだろう。
そして、梅翁との出合いや、JOさんとのことも、将来ぜひにも書いておきたい。
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コメント
奈良ホテルが遂に出ましたか?日本三大ホテル(日光の金谷ホテル、軽井沢でしたっけ?何とかホテル)日光は泊まりました。このホテルとの出会いは浅茅が原の旦那と梅安(ふうてん)さんと三人で奈良を散策して夕方に疲れ果てて、たどり着いたあの世のような場所でした。コ-ヒ-を飲む。奈良ではこのホテルに限ると決めました。京都ではフジタに泊まりますが、奈良はここです。もう何回木造の伝統ある部屋に宿泊したか?関西に出向く折には,公私に関わらず第一優先がこのホテルに決めている。スタッフの人々の礼儀正しさには何時も感心する。最近、裏の池の工事がありしばらくむさ苦しい時期もありましたが、今は元の静寂に戻っている。朝レストランで梅安さんとビ-ルを飲んでいると、窓の外に鹿とか亀がウロウロしている。一度、マフラ-とセ-タ-を部屋に忘れた事があったが自宅迄郵送して頂いたのには感服した。興福寺の塔を眺め、近くの万玉楼で杯を傾ける、シンプルさが気にいっている。
投稿: jo | 2004年4月 9日 (金) 19時40分
JOさん、
「興福寺の塔を眺め、近くの万玉楼で杯を傾ける、」
これは困った。ネタバレ。書きにくいな、JOさん。
なんか脳を覗かれているみたいです。
まあ、また進路変えて別のをいつか。
ホテル藤田も、佳いですね。
投稿: Mu | 2004年4月 9日 (金) 21時37分
玉井さんの文章は味わい深いものですね。天井の高い広いリビングで、ゆったりと朝の時間を過ごされている情景がよく伝わってきます。志賀直哉の「高畑サロン」に大正・昭和の文士達が会したように、現代の文士達も「奈良ホテル」で会していたことを知りました。やっぱり高畑ってそういう雰囲気を漂わせている町だと思いました。
投稿: ほかもどり | 2004年4月10日 (土) 10時36分
ほかもどりさま
梅翁の文章は確かに含蓄があります。ふうてん老人日記がありますので、ごらん下さい。私のサイトで一番のアクセスです(私の記事よりもずっとです)。国立(くにたち)という所の情景がくっきり浮かんできます。
http://www.koka.ac.jp/taniguti96M/0/40/TamaiM/TamaiM.html">http://www.koka.ac.jp/taniguti96M/0/40/TamaiM/TamaiM.html
志賀旧邸は昨年秋に初めておとずれました。たしかに、雰囲気がありました。
投稿: Mu | 2004年4月10日 (土) 11時01分