くれちんじゅふしれいちょうかんかんしゃ:呉鎮守府司令長官官舎
江田島に渡る前に立ち寄った。戦前の海軍が「鎮守府」という言葉を用いていたことに惹きつけられたと、言っておく。このあと、海軍墓地にも立ち寄りまいった。
この近辺で戦艦大和が造られ、そして現在も真向かいにある江田島では士官が養成されている、不思議な町だった。なによりも、司令長官官舎がすぐにでも住みたくなるような結構だったことだ。実に快適で広々としていた。いまでそうなのだから、当時の人たちにはまぶしかったに相違ない。
さらに裏にある和室は瀟洒だった。海軍というのは世界的に、男達の挽歌を受けとめる雰囲気をすじとして持っているのかも知れない。
参考に二つのサイトを挙げておいた。一つは建築物としてのより詳しい情報。もう一つは、この入船山全体の案内である。
建築マップ 旧呉鎮守府司令長官官舎
入船山記念館
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コメント
海軍は英国流儀、陸軍はプロイセンですか。司馬さんは海軍流がお好きでしたね。合理的で精神論だけでは戦わない!カレ-も海軍が発祥で最近レトルト食品として販売されましたよね。英国、日本ともに海に囲まれた島国ですね、坂の上の雲を思い起こさせます。しかし浅茅が原の旦那は何時こないな観光を出来るんでせうか?
投稿: jo | 2004年4月 3日 (土) 16時21分
JOさん、観光じゃない。泊まりがけなど年に一回だぜ。多くは近場。奈良なんて、三輪山まで1時間だからね(道路が完備してきた)。
私の記録は長い年月の落ち穂拾いです。
ところで、陸軍は地にはうような作戦が多いから体質が遺伝するんでしょうね。海軍は、なんとなく、幹部レベルでは博打に見える。だからイキとかかっこ付けが上手。海兵レベルでは、ひたすら艦艇を掃除している感じがする。まあ、兵役経験がないから、外からの印象ですね、お互いに。
投稿: Mu | 2004年4月 3日 (土) 17時06分