日本・歴史・古代:神々と天皇の宮都をたどる/高城修三
神々と天皇の宮都をたどる : 高天原から平安京へ/高城修三著
東京 : 文英堂, 2001.10
271p ; 21cm
ISBN 457812987X
注記: 特別寄稿「古代の天皇と宮室」を語る(水野正好著)
著者標目: 高城, 修三(1947-) 〔タキ, シュウゾウ〕
分類 : NDC8:210.3, NDC9:210.3
件名 : BSH:日本 -- 歴史 -- 古代(L), BSH:都城(L)
帯情報
知られざる神々と天皇の宮のタブーに挑む
全宮都の探訪図を掲載
いま、明かされる64宮都の謎
●高天原/高千穂宮/橿原宮の神話時代
●卑弥呼の神浅茅原(かむあさじはら)/ハツクニシラス天皇の瑞籬宮(みずがきのみや)
●倭の五王の宮、高津宮/丹比柴籬宮(たじひしばがきのみや)/泊瀬朝倉宮(はつせあさくらのみや)
●古代天皇制国家を形づくった飛鳥諸宮・藤原京
●奈良・近江・京都に華ひらいた平城京・紫香楽京・平安京
目次情報:本編→後日
目次情報:「古代の天皇と宮室」を語る/水野正好
〔以下マピオン地図指定の宮都地は、本編高城と追補水野とでは異なる所がある。それは水野が巻末で記すように、各人の王宮観として参照されたし〕
一 倭国女王卑弥呼と大和の宮室
〔水野推定地:マピオンBB:天理市新泉町〕
倭国と邪馬台国の所在地
卑弥呼の宮室を考える
中国の明堂と倭国女王の宮室
二 崇神天皇と大和磯城瑞籬宮と
〔水野推定地:マピオンBB:桜井市芝〕
大神神社と大和神社を整備する
強大な出雲氏の権勢
磯城瑞籬宮の位置と構造
崇神・垂仁・景行天皇の陵墓
三 仁徳天皇と難波高津宮の世界
〔水野推定地:マピオンBB:大阪市中央区高津1丁目〕
〔Mu注記:水野の「天王寺区高津町」は、地図では天王寺区東高津町をさし、東高津宮がある。高津宮(中央区)と東高津宮(天王寺区)があるので、さて?〕
仁徳天皇の修築・造営工事
応神天皇の難波大隅宮
〔水野推定地:マピオンBB:大阪市天王寺区大道〕
大阪湾岸港津の整備
姿現わす仁徳天皇の陵墓
陶邑の掌握と新しい饗宴
四 継体天皇と河内樟葉宮の世界
〔水野推定地:マピオンBB:枚方市楠葉丘〕
継体天皇の即位事情は
「樟葉」--継体天皇と行基菩薩の視点
筒城宮と弟国宮--山城宮都構想の完成
〔筒城宮/水野推定地:マピオンBB:京田辺市多々羅都谷〕
〔弟国宮/高城推定地:マピオンBB:長岡京市今里〕
上ツ道と横大路の起点--磐余玉穂
〔水野推定地:マピオンBB:桜井市池之内〕
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コメント
浅茅ヶ原の旦那の紹介される古代史に関する、人物、書物に共通の物がある事に気がついた。それは、学者では無い事だな、皆さん芸術家である言う事実です。今回の高城はんも芥川賞の作家で学生時代はゲバ棒握って京大で活躍したおっさんです。感受性の強い作家、芸術家の目を信用したはるんやろな? 適当に本を紹介したはる訳ではないんやな。(恐るべしやな、気つけんとあかんな) 私は高城先生の卓見は見事と思う、考古学の発掘でほぼ巻向が邪馬台国に最近は決まりました(年輪年代法での遺跡の木の検証結果)が彼は歴史書の分析でその結論をかなり昔にだしていた。卑弥呼は孝霊天皇の娘のヤマトトトヒモモソヒメで、壱与は孝元天皇の娘ヤマトトヒメと明言したはります。三輪山山麓 巻向、磯城(しきしま)
浅茅ヶ原が邪馬台国やな! そろそろ、核心にせまりつつあるなこのBlogは!
投稿: jo | 2004年4月28日 (水) 11時10分
joさん
学者の著書は選定が難しい。著述をまともにすると一本十年かかる。それがぼんぼんだされるということは、ジャーナリズムの波に乗った物がおおい。しかも、アーティストほど芸がなく、水でうすまっているものも散見する。例外は常にあるがね。
辺境にいるものの方が、経験的には情念がこもっている。マイナス情念は見たくないが、プラスの情念で時間をかけた物は、至宝と思う。
今は注意深く選定し記録にしている。
網羅性をひつようとするときは、また、異なるな。
邪馬台国は、マキムク、ですな(笑)
投稿: Mu | 2004年4月28日 (水) 15時50分
辺境に居る者、・・・プラスの情念、時間をかけたもの、なる程な~~発掘したはる訳やな。作家とは発掘する人の事言うんやろか? 岩石の中から宝石を発掘するんやな~~時間がかかりそうやな~~。ビジネスマンには出来ん芸当やな。
投稿: jo | 2004年4月28日 (水) 16時43分
JOさん
ちょっとちがう。
むこうさんから、手招きしてくるんやなぁ。それにのるだけです。
発掘とかいう言葉は、使いたくない。はじめから、そこにあって、単に私がみえなかっただけや。
投稿: Mu | 2004年4月28日 (水) 17時29分
このあたりになると、梅安さんが必要になるな!何時も解説してくれはる。浅茅が原の旦那と梅安さん、行商のjoさん何時も、誰かが巫女はんの役目しゃはるんや。なんせ、皆さん難しい人やさかい解説が必要になるんやな。発掘というのは偶然に御宝に出会う事を言うんやな?芸術家というのは、動物的な感で例えば、梅安さんが下北沢の小汚い路地裏で白粉の匂いがして、綺麗なベッピンサンを見つけるようなもんですか?これ内緒やけど、最近とある花街での話でんね。匂いがするんやろな。すみません、高尚な話やのに花街を例にしました、反省します。
投稿: jo | 2004年4月28日 (水) 20時57分
JOさん、夕食後眠って、起きたら小難しいコメントでんな。
図書を選び出すって、その選別システムを分析するのはむつかしいな。
しかし、別嬪さんを見つけるのは、そういうお気持ちが底流にあるんでしょう?(オジキの心はよう分からぬ)。
私の場合、あ、そや。無意識に写真撮ったら美姫に映ってた。あのノリでんな。
書店前や書架を歩いていたら、本が、私を書店や書架に引っ張り込んでくる。そういう感じやね。
投稿: Mu | 2004年4月29日 (木) 00時42分
JOさん、お知らせ
同書の巻末にある、水野正好先生の小論を、地図で指定してみました。試して下さい。
水野先生によれば、卑弥呼の宮は大和神社付近に比定されている。著者の高城さんは、64カ所の宮都推定地の中で、神浅茅原(かむあさぢはら)現代の茅原付近を、ヤマトトトビモモソヒメの都、すなわち卑弥呼の宮廷としておられるよ。
目次を一読しただけでは分からない。九代開化天皇と十代崇神天皇の宮の間に記してある。
と、こうなると愛読書『大和は邪馬台国である/高城修三』を披瀝せねばならぬが、まあ、また今度にしておきましょうや。
このコメントは、要するに目次に地図を指定したという小さな工夫を知らせただけ。予定では、白洲正子さんの二著もおいおい工夫してみます。
(ものすご、てまひまかかるね。しかし自分でやらないと、特に水野先生のなんか、考察が重層化しているから、結論だけ出しゃよいってもんでもないからね)
(それにしても、パソコン、blogさまさまです。いままで地図なしで読書していたから、早い話が、携帯×、継体天皇さんの今城塚古墳が枚方や樟葉に近いなんて気付かなかった)
投稿: Mu | 2004年4月29日 (木) 19時20分
ほんま便利やな~~!感激ですよ、Blog制作者が簡単にMu先生のように出来たら世の中変わりそうやな。大和神社の北すぐに箸墓古墳ですね、神浅茅原でも近所ですがな。その時代の地形図も欲しいな~。川がどうなっていたか?天然の要害に守られていた可能性はないやろか?(川の中州に宮を築く)飛鳥川の鉄砲水は大丈夫やったんやろか?以前のNHKの番組では今でも地下水が凄いそうやな~、瑞垣の宮とはまさにそういう中洲(私が飛行機飛ばしてる新横と同じ?)と違うか? 古代の川がどうか?地形はどうか?そういう地図は簡単に手に入らんやろな?大和は邪馬台国である!期待してます。
投稿: jo | 2004年4月29日 (木) 22時06分
JOさん、ちゃいまんがな!
大和神社(おおやまとじんじゃ:俗称オヤマトらしいです)の北じゃなくて、南に箸墓があります。こんなん間違うと大変や。
で、JOさん、そうなんや。歴史を散歩するには時系列単位の地図がいるね。西暦250年前後の三輪山巻向とかな。たしかJOさん、TOWNSに星座は載せた経験あるんやろ?
ほたら、いまどき、歴史地図を自由に使えるサイトもあるかもしれん。
投稿: Mu | 2004年4月30日 (金) 02時26分
すまんどす、昔から方向音痴でして、下界ではよう間違うんです。山では間違わんけどな、五万分の一の等高線の入ったやつですがな。そうそう、歴史地図欲しいな~~、特に海岸線と川の流れと川幅が大事やな。多くは、砂が堆積して今とはまるで違うし、弥生の稲作で川を相当変えてしまったさかいな~~。
飛鳥、京都の古代を語るときはこれが大事やと思うな。
投稿: jo | 2004年4月30日 (金) 09時18分
JOさん
巨掠池があるかどうかで、伏見桃山からの景観も変わるな。
想像するに昔はいまより河川を行き来する船は多かったでしょうね。
投稿: Mu | 2004年4月30日 (金) 15時42分