« 茜流むらさき太鼓 | トップページ | 光瀬龍の訃報(1999/7/7) »

2004年4月23日 (金)

へいじょうきゅうせき:平城宮跡、そして佐紀盾列古墳群

平城宮跡(奈良市佐紀町)マピオンBB地図

平城宮跡と朱雀門
 広く茫洋としている。復原朱雀門が地図位置(宮跡北端)から肉眼で見える。
 奈良市の中央に位置しているが、興福寺や大仏殿のある奈良公園は「外京」と言われていて、宮跡の東側に張り出した地域となる。

参考サイト
  平城宮跡資料館
  パノラマ平城体験
  世界遺産平城京跡

 実は、今日の現在、私は平城宮にそれほど執心していない。よく分からないし、ここを訪れてぶらぶらしたのも、三度程度である。なによりも気がかりなのは、太極殿北にあるおびただしい古墳群である。地図で見る限りいずれも原形を保っている。(地図
 この縮尺地図上だけでも東から数えると、宇和奈辺(ウワナベ)陵墓、小奈辺(コナベ)陵墓、磐之媛(イワノヒメ)命陵(16・仁徳天皇皇后)、日葉酢媛(ヒバスヒメ)命陵(11・垂仁天皇皇后)、13・成務天皇陵、神功皇后陵(14・仲哀天皇皇后)があり、いずれも、後円部を北、前方部を南に位置し、陵域は南北250m、東西200m規模である。これらは佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群と呼ばれている。
 さらに地図を示すと、宇和奈辺陵墓と小奈辺陵墓の間には現代の航空自衛隊幹部候補生学校がある。これは、以前MuBlogにコメントもいただいた( ほかもどり (4月 8, 2004 03:11 午後)。
 巨大な、女性の古墳群であると思った。宇和奈辺陵墓と小奈辺陵墓も、それぞれ後妻(ウワナリ)、前妻(コナミ)のなまりらしいとすると、女性となる。
 平城宮の北、佐紀の地は謎が多い。推定をいれると、五人の大型皇后陵のように思えてきた。現代風に考えると、よほど皇后さまの出身母体、実家が勢力をもっていたのであろうか。明治天皇陵のように、天皇と皇后とが並んで祭られてはいないようである。磐之媛命の旦那さんは、仁徳天皇陵として遠く山を越えた西である。日葉酢媛命の旦那さんは、垂仁天皇陵として近鉄西大寺を越えて南約2kmに眠っておられる。
 古代、女性の勢力は大きかった。比定陵墓の大きさは、圧倒的にそれを現代に伝える。

 好奇心がむくむくとわき上がってきた、四月の朝に記す。
(あ、箸墓の巨大さ! あそこは、ヤマトトトビモモソヒメ、女性)

|

« 茜流むらさき太鼓 | トップページ | 光瀬龍の訃報(1999/7/7) »

地図の風景」カテゴリの記事

コメント

平城京(なら京)の北に盾を並べたように連なる古墳群、しかも女性陣の古墳。崇神王権(三輪王権)から河内王権に激動した河内王権の皇后さま達のお墓やね。歴史の激動期には必ず、女性(巫女)が出現して歴史を変えてきました。戦前の人であれば神功皇后といえば誰でもご存知で、三韓成敗とか妊娠中におなかに応神天皇を孕みながら大戦争を行い、石を抱いて戦う勇ましいジャンヌダルクみたいな人や。卑弥呼がモデルやと言われているし、卑弥呼伝説は彼女やとも言われているな。卑弥呼のあと台与(トヨ)が邪馬台国を継ぐが神功皇后には台与のイメ-ジが強い。自分の旦那(仲哀天皇)の勢力とか異なる勢力が背後にはありますね。特に、豊(トヨ)の国の勢力、海軍力が大きな背景でしょうし、蘇我氏の元祖、武内スクネが参謀についている。百済系の渡来勢力が神功さまにはついていたんでしょうね。蘇我氏が未だ河内に勢力基盤があり、飛鳥に進出する前の話ですね。当時の国際情勢は新羅派と百済派に分かれており日本の鉄の基盤であるカラの地域(南朝鮮)を新羅は攻めていた。しかし仲哀天皇さまの業界団体は新羅派だったんでしょうね。奥様の反乱?三輪山を捨て、河内に王朝を樹立。女性は怖いね~~。仁徳さまも奥様の磐之媛のやきもちにはえろうてこずりましたな~~。国際情勢の激変=国内騒然=男の政治崩壊=巫女さん登場=王朝交代・・・こんな風に最後は女性に戻るんや!箸墓に眠る巫女はんの元祖は盾並に連なる偉大な巫女はんを引き連れて今も大和の国の鎮護を見守ってはるんや。おとこはん?大丈夫か?あかんようになったら又いつでも助けたるで?こんな声が聞こえてきそうや!

投稿: jo | 2004年4月23日 (金) 08時53分

JOさん
 やっと今から早朝の(もう9時やから、私の時間では昼)最重要の、神事みたいな、仕事をしようとし始めたのに、こういうコメントを読むと、いてもたってもいられなくなるな。

 そうか、三輪王朝から河内王朝の転換期ですか。たしかに、磐之媛さんなんか、仁徳(徳がおありかどうかは別にして)さんにハラ立てて、捨て去ったようなもんですね。あえて神功さんのことは書かなかったが(そりゃそうですよ。わが友、ヤマトタケルの息子(仲哀天皇さん)を、はるばる九州まで一緒に行って、謀殺したようなもんです)、なぜあそこに眠られるかは、不思議です。
 うわなべ、こなべ、の被葬者はどちらさんなんでしょう。航空自衛隊があそこに基地をつくったのは、何故。
 結構ね、軍というのはね、古来、後ろの見えないところで、呪術に頼っておるから、なにかあるのでしょう。当然、表向きは「土地があったから」でしょうがね。
 いや、なにもなくとも、あるとするのが、トンデモ遺伝子かな。

 ともかく、いまから精進潔斎して、おしごとしますので、ちょっとマシンを消しますね。JOさんや。

投稿: Mu | 2004年4月23日 (金) 09時07分

はよ 仕事しなはれ!遊んどったらあかんで。ウワナベ、コナベには正直詳しゅうない、これからの課題やな。航空自衛隊(空軍?)は歴史が浅いな、陸軍と海軍が古来大事や。どちらかと言えば、海軍がベ-スやな。海軍といえば水軍やね、神功皇后のお名前は”おきながたらしひめ”やな。息長氏やね、これ琵琶湖から越の国そして朝鮮半島へそして、宇佐神宮の豊(トヨ)の水軍やな。新羅本記でも四世紀末から五世紀にかけて倭の水軍がしつこく攻めてくるんで往生しとったな。結論は航空自衛隊のル-ツは水軍である、水軍と言えば
息長氏や神功皇后さんや、盾列になりまんがな。海軍に取られる前に場所を確保せんとな。宇佐神宮の祭神は比売はん、神功はん、応神はんの三人やな。河内王権は九州勢力が仲哀三輪王朝を九州で破り事態の収拾を巫女のおきながたらしひめが収束させ新しい日本を河内につくらはっつたんとちゃう?これが神武東征の物語の断面とちゃうか?三輪王権の勢力範囲はせいぜい、関西、越、尾張、吉備
そこらへん迄で河内王権になり九州も王権版図に組み入れたと考えてえ~~んとちゃう?トンデモ遺伝子はこわいな~~。明日は違う意見かもしれんで。眉唾やさかい。学生諸氏は信じたらあかんで。

投稿: jo | 2004年4月23日 (金) 10時19分

あ~忘れとったけど、平城京を造営する時に仰山の古墳を破壊したそうやで。せやけど、巫女はんの古墳は壊すわけにゆかん!あとが怖いからな!ぎりぎり太極殿を神功皇后の傍に設定したんや。巨大な藤原京を捨てて北のはずれの平城(なら)になんで遷都せんといかんのか謎やな。新興勢力の藤原不比等が事前に春日山から、古墳が沢山ある安い土地を買占め遷都して大儲けしたんやろな。古来商売人世にはびこるやな。

投稿: jo | 2004年4月23日 (金) 10時42分

 現地からレポしますね。
 今私は一条高校の西、ウワナベ池から下ってきたところに住んでいます。ウワナベ池の手前100mぐらいまでは風致地区に指定されていて、建坪率30%という厳しいものです。そこを越えても40%でマンションなどは建てられません。池のまわりは住宅が点在していて後は田んぼです。ここに住む人々は池を大切にしていています。池がため池の役割を果たしているからです。5月田植えの時期になると、池から田んぼに通じる水路に水が流されます。引っ越してきた当初はその水路でホタルが見られましたが、今は宅地化が進み見られなくなりました。
 ウワナベ稜・コナベ稜が女性の墓であることは初めて知りました。ここにはすぐ近くに法華寺というお寺があります。そう聖武天皇の奥様の光明皇后が建てた総国分尼寺です。今も尼さんがお寺を守っています。光明皇后もこの地にこのお寺を建てたのはそういう関係からでしょうか。
 コナベ池の護岸工事で池の水が抜かれたことがありました。それをいいことに主人と子どもは「埴輪を探してくる!」といってコナベ稜まで歩いていきました。稜の周りには割れた土器が散らばっていたそうです。それを二人はこっそり家に持ち帰りました。素焼きの何の変わりばえもしない土器のかけらでした。その後、娘は塾の考古学に詳しい先生にその土器を見せに行きました。見せたら、まちがいなく5世紀ごろのものであろうと、「宮内庁に見つかったら大変だぞ!大切にしまって家の宝としなさい。」とおっしゃいました。

投稿: ほかもどり | 2004年4月23日 (金) 15時49分

現地レポート 管理人に成り代わり御礼申し上げます。
素晴らしい所にお住まい、羨ましいですね。エジプトではナイルの氾濫時期の公共事業として、ピラミッドの建造をして民に仕事を与えたとこの前テレビでやっていましたね。周濠のある古墳の建造は一石二丁ですね、稲作の為のため池ができるんですからね。素晴らしい政治ですね。前方後円墳のような家に住みたいと管理人はのたまっていますが・・・。海に浮かぶ蓬莱山のイメージ、神仙思想もあるかも知れませんね。大事な陶器
家宝として大事にして下さい。多分祭祀で使われたものでしょうね。

投稿: jo | 2004年4月23日 (金) 16時52分

JOさん(1)
「ウワナベ、コナベには正直詳しゅうない」
 この件は、ネットにいくつか結論があっただけで、典拠不明です。上代文学か言語学者に聞くのが早いかな。もし、伝承が後妻、前妻なら、ウワナベ、コナベは女性の古墳と推測。

 で、次にJO弛緩じゃなかった、史観では、新羅倭国共同組合の三輪仲哀さんと、百済新開地のオキナガ息女神功さんとが、なにかで結婚なさったが、結局神功さんはオキナガ実家の後押しもあって、三輪仲哀さんに、クーデターを九州でおこさはった。
 はれて、河内王朝の幕開け。
 そして、オキナガはんは水軍系やから、現代の空軍につながり(ここらが、どうにも、トンデモ)、河内女ばっかりが佐紀にお休みになったので、その衛士、親衛墓所警護隊として、航空自衛隊は密かなミッション付きで、あのウワナベ、コナベの陵墓を、おまもりになってらっしゃる。
 そいうスジですね。

 いや、ものすご、わかりやすいわぁ。

投稿: Mu | 2004年4月23日 (金) 18時11分

JOさん、その(2)
「平城京を造営する時に仰山の古墳を破壊したそうやで。せやけど、巫女はんの古墳は壊すわけにゆかん!あとが怖いからな!ぎりぎり太極殿を神功皇后の傍に設定したんや。」
 そうか。巫女はんは、たたりそうやね。女子怒らせたら、万物枯れるもなぁ。そうぞうするだけで、失神しそうになるくらい怖いなぁ。
 JOさん、私なあ、毎日葛野で命がけなんや。ようわかる、うんうん、よーわかるで。
 昔も今も、かわらんなぁ。

「春日山から、古墳が沢山ある安い土地を買占め遷都して大儲けしたんやろな。古来商売人世にはびこるやな。」
 そうか。藤原さんは、春日大社やね。あそこもはずれや。そんな昔から土地投機があったんやね。これもようわかる。
 しかし、談山神社みたいな、山の中までかいしめたんなら、もう、藤原・影王朝ってのは、骨の髄まで、カンサイジーンと、ちゃうやろか。

投稿: Mu | 2004年4月23日 (金) 18時18分

ほかもどりさん、ごきげんよう。
 ウワナベ、コナベが女性陵かどうかは不明にしときましょう。奈良の行き帰り、24号線から、ウワナベはよう見えますね。とてものこと、小さい可愛い古墳じゃなくて、どでかい前方後円墳です。もし、女性の古墳なら、我が国の女性史はかわりそうですね。
 それにしても、そういう風致地区みたいなところにお住みなんですか。航空自衛隊と以前コメントいただいて、どっか、生駒の辺と思ってましたが、地図で愕然としました。もし、ここなら、このあたりにお住まいなら、ほかもどりさん、まるで古代史のど真ん中で起居してるようなものです。
 よろしいですなぁ。

 しかし、被葬者が不明の古墳というのは、ロマンがあり、好奇心がますますふくれます。夏ころまでに現地を撮影して、掲載しますよ。

投稿: Mu | 2004年4月23日 (金) 18時27分

JOさん、その(3)
「海に浮かぶ蓬莱山のイメージ、神仙思想もあるかも知れませんね。」

 そうやね、前方後円墳は、そういう見方も出来るね。いやはや。JOさんって、天才的な社長です。そやけど、どうも、私が、翻訳しないと、論旨が飛躍して、ほんま、・・・
 二人三脚。
(なあ、これで梅翁が古代史フェッチじゃなくて、よかったなぁ。あの御人は、自説をゆずらないとおもいますぜぇ。)

投稿: Mu | 2004年4月23日 (金) 18時30分

 現地レポ②
 ウワナベ・コナベの自然

 ウワナベ稜は大きい古墳ですが、そこは野鳥の天国です。10月頃になるとたくさんのカモが池に飛来してきます。秋まではカルガモの天下ですが、10月を過ぎると頭が緑のマガモ、頭が茶色のホシハジロなどetc・・・が池を住みかにします。そのほかいつも池に立つ一本の杭にカワウが留まっています。Muさんが宇治川で見たカイツブリもいます。(たぶんあれはカイツブリではないと思いますが・・・。)カイツブリはカモよずっと小さく、潜ります。数えたら30秒、長いのでは1分近くも潜って進みます。ウワナベのカイツブリは群れをなしません。いつもあっちに一羽、こっちに一羽という感じです。
 コナベ稜にはアオサギがいます。サギの仲間でも一番大きい鳥ではないでしょうか。アオサギといっても青い鳥ではありません。白馬の節会で知られるようにこの「アオ」はグレーの意味です。運がよければカワセミも見られます。初めて見たとき、なんてきれいな鳥なんだろうと思いました。

投稿: ほかもどり | 2004年4月23日 (金) 19時02分

ウワナベ・コナベの自然
「Muさんが宇治川で見たカイツブリもいます」
 その記事は、http://asajihara.air-nifty.com/mu/2004/04/post_9.html
 その写真は、http://asajihara.air-nifty.com/photos/hibi2/ujitoridori.html

 あれが、カイツブリでしたか。実に細かい鳥ですね。
 カワセミなんて、物語の中でしかみていないな。

 ともかく、古墳の周濠はいまだに自然というか、水鳥の天国とよくわかりました。
 それと、なんか、こう、ほかもどりさんは、名のとおり鳥類博士ですね。ありがとう御座いました。
 後日、写真をとって鳥が写っていたら、ぜひコメントで名前を教えて下さい。

投稿: Mu | 2004年4月23日 (金) 20時34分

 現地レポ③
 平城宮跡

 2010年、平城京遷都1300年を迎えます。それに合わせて今大極殿復元工事が進んでいます。かなり大きな建造物になりそうです。朱雀門完成時には足場を外す前の見学会に参加することができました。今度はどうでしょうか。
 平城宮跡はいいところです。鹿にお弁当を食べられることもありませんし、鹿のフンを踏んづけることもありません。

 航空自衛隊幹部候補生学校

 夏に夏祭りと基地祭を兼ねて一般の人にも開放されます。それとは別に子どもの夏休みの自由研究と称して、二人だけ基地内を案内してもらったことがあります。門を入ったところの受付まで制服を着た一等官?(もっと上の方でしょうか?)のお出迎えを受け、帰るときも門までお見送りしていただきました。お話を聞いた後ブルーインパルスのビデオを見せていただき、基地内を案内してもらいました。隊員の部屋も食堂も50mの室内プールも・・・。隊員の部屋を見せてもらったときロッカーが少し開いていて、あの隊員は後でさぞお叱りを受けたかと思うと胸が痛くなりました。
 基地内には戦闘機が3機ほど展示してありました。広いグラウンドがありそこでサッカーを練習するそうです。組織プレーを学ぶためにはサッカーが一番いいとおっしゃっていました。

投稿: ほかもどり | 2004年4月23日 (金) 20時37分

あの~~今、宴会(仕事)が終わり帰宅して風呂に入り、Blog
みたら、知らんまにえろ~~盛り上がっていますね。私はっきりいいましょう、自分のBlogよりここで無駄話してる方が、多いです。今日は寒い北の風が舞い降りているので、多分明日の早朝も風が強いので飛行機飛ばすの無理やろうから、しばし、馬鹿話記して寝ます。私も、前方後円墳のお家に住みたくなりました。毎日小鳥も来るし魚釣りも出来るし、水上機も飛ばせるし、海水浴も出来るし、借金取りも周濠で阻まれこられへんし、極楽浄土や!管理人が前方後円墳もどきに住みたい本当の気持ちようわかった。けど、ほかもどりはんは鳥に詳しいな~~。焼き鳥しか興味ない人間とは世界が違うな~~。尊敬しますです。

投稿: jo | 2004年4月24日 (土) 01時56分

ほかもどりさん、お早う御座います
 昨夜はお客様をほったらかしたまま9時頃に白河夜船、ぐーぐー。
「2010年、平城京遷都1300年」これは嬉しい情報です。大昔シルクロード博を見損なって(出不精なんです)、無念でした。今回はこういうイベントをちゃんと見に行きます。
 自衛隊基地見学は、なかなかに興味深いですね。自衛隊も親子連れの社会見学には、佐官が付き添うようで、意外でした。

 飛行場らしきものがなくて、航空自衛隊の幹部養成学校がある。これが一番の謎でした。

投稿: Mu | 2004年4月24日 (土) 05時19分

JOさん(宴会話)
 宴会がお仕事というのは、わたしみたいな者には最高最大の苦役ですね。それをちゃんとこなせるのがまともな大人と思っています。
 大伴家持時代を読んでいたら、ある宴に参加したかどうかで、死罪とか左遷。逆に、昇進、栄誉栄華。そうなると、宴会出席も命がけ、また振る舞い言動も、死活問題。
 すごいことです。

 周濠で水上機、これは素晴らしい。それともう一つ。以前記したが、ノーチラス号。あの艦橋の丸い目玉が光ってる。つまり、1メートル程度の潜水艦模型(海底2万マイルタイプ)を造りたいですね。たしか艦首がギザギザで、他の船の船底を破り沈没させる離れ業。
 水中では無線が駄目だろうから、コントロールは完全な人工知能タイプ。あるいは、ソナータイプのコントロールかな。

投稿: Mu | 2004年4月24日 (土) 05時27分

 現地レポ④
 幹部候補生学校佐官のお話

 当時小学校2年生だった娘は2つ3つのお尋ねをするのが精一杯で、あと話が続きません。当然私が質問する羽目になりました。そこで私は昔主人がパイロットになりたがっていたこと、自衛隊から出る道路があれほどまっすぐな直線道路なのは、緊急時滑走路になるんだろうかと尋ねました。(飛行機を実際に飛ばされるJoさんなら、どれぐらいの機体の飛行機ならどれぐらいの滑走距離が必要なのかおわかりになられると思いますが・・)佐官はハハとお笑いになって「そんなことはありません。滑走距離が全然足りません。ここからは飛行機は離着陸できないんです。ヘリコプターは飛ばせますが。・・・実は僕もパイロットになりたかったんです。でも、なれなくて管制官になりました。パイロットというのは一見華やかな職のように見えますが、危険なんです。」とおっしゃって一年間の殉職者の数を示してくださいました。そこには「こんなに・・・」という数が記されていました。その後も基地内の施設を案内しながらいろんなお話をしてくださいました。ここは実地訓練をする場所ではなく、将来幹部として隊員の命を守りながら組織をどう動かしていくかを学ぶ場であるようなことをおっしゃっていました。数枚の写真を撮ってくださり、またこちらも娘との写真を撮らせていただきました。お忙しかったでしょうに、2時間ぐらい案内していただいたと思います。後日お礼の手紙と写真を送らせていただきました。
 その後も夏祭りの時にご案内をいただいたり(その祭りの日には基地内に竹灯籠が飾られます。隊員一人一人が竹を切ってきて作るそうです。その横には制作者の名前が記されます。佐官のお名前もありました。)、数年年賀状のやりとりもしておりました。最後の年賀状には「本年度をもって退職致します。・・」と次の再就職先の大手損害保険会社の名前が記されていました。
 この見学を通して自衛隊に対する考え方が変わりました。新聞でも訓練中に航空機事故で死亡という自衛官のニュースが気になり出しました。確かに多いんです・・。まさしく命をかけての仕事なのです・・・。

投稿: ほかもどり | 2004年4月24日 (土) 10時09分

2010年 平城京遷都1300年! 生きてるかな~~。6年も先の話ですからね。頑張ります。今日は二日酔いの気配がします、風邪もひいた様子、昨晩は寒かったな。屋外は予想通り風があるので、飛行機を飛ばすのは無理そうです。それに寒いし。一応、何時でも飛行機もって飛ばせるように、プラグヒ-タとか、受信機の電池の充電はしておく。 ”ノ-チラス号”の模型ね?多分誰か作った人いるやろな。潜水艦の模型でどやって遊ぶんやろ?潜ったら地上から見えへんのとちゃう?そうか、潜水艦にccdカメラ搭載してサ-チライトもつけるんやな?だけど40MHzとか27MHzの電波は届かんな!本物の潜水艦は数キロのアンテナ線を引っ張って航行するんやで。超長波の電波を使い無線交信するんです。けど、無線を発信すると居場所がバレルので滅多にやらん、作戦行動中はやらんそうや。受信はするんやな。米国の原子力潜水艦は朝鮮半島の近くに何時も数隻潜ってるで。いざと言う時、トマホ-クとかなんちゃらミサイルを発射するんやそうな。物騒な話やな。昔、対潜哨戒機のシステムに絡んだ事が有りましたので、(田中角栄さんの時代)言えんけど詳しいで。潜水艦の見つけ方はハイテク使いイロイロやるんやな。やめとこ、危ないから。

投稿: jo | 2004年4月24日 (土) 10時14分

ほかもどり&JOさんへ
 朝からどうも。
 
 航空自衛隊の様子がよく分かりました。殉職者が多いとは意外でした。やはり、人が空を飛ぶのですからね。それと、奈良の基地がよく文章で分かりました。
 一方、JOさん、危ないな。軍機に触れると、ほほほ、憲兵が来ますよ、虎ノ門に。だがJOさん話で、上記の平和的、日常的な軍の姿も、ひとたび世界に手を付けると、この日本海も太平洋もまるで、機雷が浮かんだ海に思えてきました。

 まとめ。
 結局潜水艦模型に私は落ち着きます。
 カメラを搭載して、潜るのを地上からモニターするのがよろしな。
 超長波ですか。わからぬ。
 模型だから、普通の、モールスみたいな、トツツで右、トトツで左。トトトで、魚雷発射(なんやねー)。トで自爆。こんなんどうでしょうね。
 ほら、水中で石たたくと、よう聞こえるでしょう。ああいう原始的ナン。

投稿: Mu | 2004年4月24日 (土) 10時40分

昼飯食いに娘と孫が来るので、特製”肉うどん”制作してました。わし忙しいのやな、シェフが休日の担当やから。昆布とだしジャコを入れて先ず汁作りやな。沸騰したら鰹を入れて、日本酒入れて、砂糖少々、醤油いれて最後に塩やな。この塩加減が難しいのやな。肉は小さく切り、生姜を千切りにして炒める。砂糖と日本酒少々、醤油で完成やな。葱は輪切りで細かく、揚げも小さく切り汁に入れる。卵は一旦器に割っていれ、そっと汁に落とし込む。何で私はこないな美味なる”肉うどん”完成させる事ができるんやろ!ついでにシシャモも焼いたな。嗚呼なんと美味なる昼飯じゃ。ところで、潜水艦の話やな!結論から述べるが、”わし、作らん”。トンデモ先生に任す。1~2週間前かな東京12チャンネルの日曜夕方番組、”日高レポ-ト”で米国攻撃型原子力潜水艦の内部に始めてTVカメラが入りあれこれレポ-トしてたな。面白かったのはソナ-探知で音を聴く専門家の場面やったな。ザ-ザ-・・・コロコロ・・。これは海老の音です!ザ-ザ-ちょろちょろ・・。これは鯨の音です!面白いな~~何でも音でそれが誰か判るんやな。鯨と言えば面白い話があるな。トンデモ親爺も雑学の大家やさかい知ってるかもしれんが、鯨は数千キロ離れて会話するそうやな!海の中には比重の異なる水が層をなしているそうで、その境目に音波を出すとズ~~と境目の間を伝送されて行くそうな。北極海で沈み込んだ深層海流もアメリカの西海岸を南下してるんやし、色んな海では異なる比重の海水が層をなしているそうな。空中では電離層がE層、D層、F層と三つあるのはご存知やな?D-E-Fと高度が違う、周波数によりこの電離層で反射するから電波は数千キロ飛んでゆくんやね。同じような原理?で音波が海の中を飛んでゆくんや。え~~話やな~~!

投稿: jo | 2004年4月24日 (土) 12時53分

joさん、ええはなしやなぁ。
 それにしても、仕事しょうとすると、学生がノックして、ああたらこうたら「センセ、授業やめたい」(勝手にせい)、「センセ、わからへん」(わからんで当たり前)、「センセ、朝の授業辛い」(太古不変の早朝授業、変更するわけない)、「センセ、別れた」(勝手にひっついて、かってにわかれろ、・・・)
 以上、ぜんぶ、21歳くらいのお嬢様なんよね。

 ようやく机上にむかったら、とろけそうな肉うどん話。
 ええい。きがついたら1時すぎてた。
 ほな、これから近所の弁慶うどん、行って来ます。
 そこ、屋台でならした(昔、五条川端、タクシのお約束屋台うどん)本家。
 鰹だしが、すばらしいのや。
さいなら

投稿: Mu | 2004年4月24日 (土) 13時03分

 それにしても、Muさんは、うら若き乙女達のそんな悩みを、どんなお顔をして聞いていらっしゃるんでしょうね。部下なら「お前、給料もろてんにゃろ!」と一喝されそうなところですが・・・。

 あっ、もうそろそろ夕食の支度をはじめなきゃ。今晩は「つみれ鍋」。(季節はずれですって!いいんです。簡単だから・・・。)
ちゃんこ風にしようっと!

投稿: ほかもどり | 2004年4月24日 (土) 16時48分

ほんま 羨ましいな~ うら若い御姫様相手に爺が手習いを教えるんやもんな。まあ、それはそれで大変やろな~~。香水の匂いなどが研究室に漂ってるやろな~。昔、一度か二度研究室訪問した記憶が有るな?傘張り浪人も一緒というか、私がついて行ったんやけどね。香水というより黴の匂いがしてたような記憶やな。コ-ヒ-入れるもんがあったな。一服頂いた様な記憶があるな。昼寝を4~5
時間してしまったな。起きたら、誰もおらん、テ-ブルに書置きがあったな、”お父さん、晩飯宜しく”。今日は”つみれ鍋”と違うな!
先ず、茄子の料理やな。茄子を5ミリ間隔で縦に切るな、3個必要やな。又、半分に切る。事前に出汁を多量に作成しておく、これ日本料理の基本やな、昆布と鰹で作成しておく。茄子を胡麻油とサラダオイルの混合で炒める、焦げ目が適当につくまで炒める、それから出汁汁をフライパンに入れる。砂糖、日本酒、醤油で味付けしてその侭しばし煮るな。オ-ブンでは鮭を焼く。豚肉の野菜炒めも必要やな。キャベツと玉葱を用意して豚肉が炒まると投入するな。味噌汁は合わせ物やな、二種類の味噌を合わせる。そうこうしてると、孫と娘が帰ってきたな、トウモロコシ食いたい!一本手にもっとるな、よしよし、茹でるか。最後は、サラダの制作やな、胡瓜とレタスと貰い物の日野(新撰組故郷)のトマトやな。あ~~疲れた!

投稿: jo | 2004年4月24日 (土) 18時32分

Mu先生は悩み相談も受け付けていらっしゃっったんですね。私ももっとお話しに行けばよかったです。

投稿: 羊 | 2004年4月25日 (日) 17時37分

ほかもどりさま
 うら若き乙女の悩みについてですが。
 最近は、意外にも授業料ですね。
 考えてみれば、娘2人を都会に遊学させると、山を売る時代。
 売る山があるなら、まだまし。
 大抵母親が外で働くようです。
 そういう事実を認識している学生は多いです。
 その場合、全額はしらないが、
 学費をバイトで稼ぐ学生もおります。
 結論
   経済問題が多い。よって、私は黙り込む。
   「その分、勉強してください」ですね。
 

投稿: Mu | 2004年4月25日 (日) 17時55分

羊さん
 大学教員は灯台説が一つ持論です。
 ともかく意味づけなしで、私はあの研究室に燈台みたいにちかちか点滅しております。変転極まりない中で、悪く言えば往生際悪く、よくいえば永劫不変定点に鎮座する。
 これが一つの、「相談」解答の根本です。「この世には、変わるものも変わらぬものも両方ある。人の心も経済状態も有為転変、万物流転す。しかし、なお変わらぬものもある」これが、あらゆる「相談」に対する解の一つです。

 卒業生永代供養料じゃなかった、永代相談サービスもありますから、ぜひご利用下さい。
 お布施は一般に、珈琲が多いです。クッキー類は苦手で、液体が染みこんだケーキ類は好きですね。底に金属の詰まった越後屋風重い菓子折などは、処理に困りますので、辞退いたします。あしからず。

投稿: Mu | 2004年4月25日 (日) 18時07分

JOさん
「ほんま 羨ましいな~ うら若い御姫様相手に爺が手習いを教えるんやもんな。まあ、それはそれで大変やろな~~。香水の匂いなどが研究室に漂ってるやろな~。」
 聞くと見るとは大違い。一般に、余の関係者は早朝8:50始まりが連続するから、髪なんか爆発しております。
 香水の概念は、覚えがない。
 Mu研究室の客筋は世間大学とは異なっているね。
 それから、手習い概念は非常にすくない。
 「ご自分でやりなさい」ですね。
 ただ、こういうセリフはここ10年はいております。
「右しても、左しても、それぞれの道がある。花咲き、ミルク流れる川もあるし、落とし穴もある。どちらを選んでも、それぞれに生き方はあるもんですなぁ」とね。

投稿: Mu | 2004年4月25日 (日) 18時16分

  現地レポ⑤

  磐之媛命稜 「君をば待たむ」・・・カキツバタ 今満開

 「朝日」5.12付けの朝刊に、佐紀町にある磐之媛命稜の、自生のカキツバタが今満開であるとの記事が、カラー写真で紹介されていました。
 昨日は、お天気もよく、暑いぐらいで、仕事も一段落ついたし、夕食の買い物もあるので、西大寺にあるJUSCOに行くついでに寄ってみました。
 この磐之媛命稜の前の道は、「西の京・斑鳩」に通じるサイクリングロードになっていて、チャリンコで走るととても気持ちがいいのです。いつもは、ウワナベ・コナベ・水上池の前の道を走ってJUSCOに行くのですが、昨日はウワナベ池を通り、自衛隊を通り過ぎたところで曲がって、自衛隊とコナベ池の間の道を通り、磐之媛命稜に着きました。家からここまでは、5分ぐらいです。
 磐之媛命稜は、「方」の方に、ちゃんとした礼拝所みたいなところが設けてあって、ウワナベ・コナベ稜とは格の違いを感じさせます。濠も「方」の方だけ2重になっていて、手前の濠には、写真通り、カキツバタがずう~っと濠に沿って咲き乱れていました。紫の花だけでなく、黄色のカキツバタも咲いていました。これが、自生だと思うだけで、見に来た価値があるなと思いました。

 「ありつつも 君をば待たむ 
     うちなびく わが黒髪に 霜の置くまでに」
  
    *  磐之媛皇后の、天皇を思ひて作りませる御歌
            (万葉集 巻第二 87)

  ずうっ~と、あなたを待っています。この長い黒髪が、白髪に なるまででも・・・。
                 (*、訳 wd )
<壮絶なイメージの中に古代女性の激しさがある。by 中西 進>

 昔の皇后は、激しい愛の人だったんですね。この歌のイメージとは、ほど遠く、さわやかな風吹く五月、鮮やかな紫で花は咲いていました。

(HKBとは、解すると「ホんま、カってな、バあさんや~!」と受け取られかねないので、”wild duck = カモ” の意で、略して、wd に名前、変更いたします。)

投稿: wd | 2004年5月13日 (木) 12時35分

WDさん
 うわなべ、こなべはお休みしたままです。一体だれなのか、気にはなっています。
 このコメントを読んで、さっき書紀と古事記を眺めてみました。日本書紀は相当にくわしく磐の媛と仁徳天皇の係争をえがいております。古事記もそうですが、性質上分量は少ないです。
 当時、こういう問題は個人のことにとどまらず、正史に残るのがおもしろいです。背景には、JOさんがいうところの出身氏族とのからみにまでなってしまうのじゃないかと思います。
 午前の講義で消耗し、まだ頭が動きませんが、皇后さんが旅行中に、仁徳さん、若い女性を宮にいれたのですから、なかなかなスキャンダルだったのか、あるいは別氏族との協力関係を深めたのか、いまから考えるとよくわからないですね。
 それにしても「立后」という言葉の意味を味わいました。つまり、絶対的権力を持っていたであろう仁徳さんも、皇后の立場は、磐の媛が亡くなるまで、犯すことはなかったようです。
 ふと思い出したのですが、英国史にも、皇后問題はいろいろあるようです。

 だから、最後の落ちは、私としては、「激しい愛」だけでは、すとんと落ちるところがないということでしょうか。
 ロマン派ならざる答えとなりましたが、むやみに権力論に落ち着かせたいのではなく、もうすこし当時の様子を知りたいという想いからのことです。

投稿: Mu | 2004年5月13日 (木) 15時00分

 難しいお話になってしまいましたね。新聞に、この歌が引用されていて、手元にある万葉集で調べたら・・ってことです。
 激しい愛、云々を言いたかったのではなく、「カキツバタ、きれいでしたよ~!」ということだけだったのですが・・。

 JUSCOでは、新鮮なアサリを発見し、夕食は「アサリの酒蒸し・エンドウの卵とじ・オニオンスライスサラダ・・・、デザートはイチゴ」でした。アサリ以外は、家の近くで借りている畑でとれたものばかりで、「今年のエンドウのできはいいなあ~。去年よりずっと甘い。」「イチゴもこの自然の甘さがいいね。」とにぎやかな食卓でした。

 講義でお疲れのところ、小難しい話になって、ごめんなさい。

投稿: wd | 2004年5月13日 (木) 15時27分

WDさん
 なんというか、イチゴには練乳がよろしいな。
 カキツバタ、というと、すぐに、からころも きつつなれにし つましあれば はるばる来ぬる たびをしぞおもふ、となるのは古典で苦労したかいとおもいます。

投稿: Mu | 2004年5月13日 (木) 20時53分

 MuDB2004検索システムのおかげで、過去の記事検索がとても楽になりました。

 現地レポ⑥
 「平城遷都1300年祭 計画発表」
     ・・・ 2004/6/10「朝日新聞(奈良版)」

 2010年に開かれる「平城遷都1300年祭」について
 1.平城宮跡の大極殿を舞台にした野外劇の催し
 2.世界歴史文化フォーラムの開催
 3.朱雀大路を歩道で復活させる基盤整備

 3.は今後30年かけて、朱雀門から大和郡山市にある
羅城門跡までの「朱雀大路」を復活させて、遊歩道をつくる
という壮大な計画らしいです。

 Muさんも、Joさんも「生きてるかな~!」なんて、気弱な
ことおっしゃらずに、30年後の「古道」を歩いてやるぞ!
ぐらいの気持ちで、元気で長生きしてください(笑)。

投稿: wd | 2004年6月11日 (金) 08時50分

WDさん
 3.が楽しみです。
 羅城門が郡山にあったわけですか。
 そういえば平安京も、御所からみると羅城門跡は随分南です。
 30年経つと、もう信じられない社会と、自身の加齢です。
 今年3月卒業生が50代半ばですから、想像しにくいですなぁ。

 ただ、2020年あたりで、遺伝子工学その他の発展によって、100歳まで元気に、普通に生きる時代がくるかもしれない。
 もちろん私などは、もしいたら、サイボーグMuになっておるでしょう。

投稿: Mu | 2004年6月11日 (金) 10時02分

現地レポ⑦
 「平城宮跡 大極殿正殿復元整備 特別公開」

 7月17日~19日にかけて、今復元工事中の大極殿の見学会がありました。
 地域住民には午前中、申し込みなしで公開されました。

 大極殿は、間口が朱雀門の1.8倍、高さ朱雀門の1.3倍にもなる、巨大建築で、今の8階建てのビルに相当します。
 朱雀門と同様の、二層建築で(平安神宮に大極殿を模して造営されている外拝殿は、一層ですね。)、44本の檜(ひのき)の柱は、直径70cmもあります。
 すべて国内産で、紀伊半島周辺から切り出されてきました。

 1階部分の大極殿の中心、当時なら元明天皇や聖武天皇の高御座(たかみくら)のあった場所に立って南面すると、見事に朱雀門の中心が見えます。
 当時の天皇はここで、中国からの使者に謁見したそうです。
 2階部分からなら、大内裏の入り口の朱雀門だけでなく、都の入り口にあたる羅生門まで見渡せたのではないだろうか、と思いました。

 宮大工さんが、昔のヤリガンナやノミを用い、柱を加工しておられるところも見学できました。

 大極殿の軒や天井には、ハスの文様彩色が施され、今はその文様ひとつひとつを手作業で描き上げているところでした。その数、約7000枚。ハスの原画は、日本画家上村淳之氏によるものでした。

 実際に見学してみて初めて、大極殿の復元という壮大なプロジェクトに、感動しました。

 

投稿: wd | 2004年7月22日 (木) 13時35分

WDさん
 いまやっかいな採点を、休憩して、一息。
 現地レポートは値打ちがありますね。

 それと、4月の記事に、自然にコメントを付けられるのも、blogのよさだと思いました。普通の掲示板だと、流れてしまって、過去遡及ができない。

 さて、書架に『平城京』草思社、1986年、がありました。幾分子供向けの建築再現シリーズです。結構長年、このシリーズを重宝しております。

 で、平安京は羅城門の左右に東寺と西寺があったのに、平城京は太極殿の西寄りに西大寺、東に離れて東大寺があるんですね。この違いはいつか、調べてみたいです。

 それと、殿上から朱雀門が中央にあったとは、よい経験ですね。私も、車で一時間だから、いつか行ってみたいですよ。

 あと、羅城門が、いろいろ考え込まされます。現郡山付近ですよね。南北約5キロだから、そんなものでしょうか。

 そうそう、JOの旦那が帰ってきたら、こういう古代史コメントは、ははは、また鎖になるだろうかね。

投稿: Mu | 2004年7月22日 (木) 15時10分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/22035/480899

この記事へのトラックバック一覧です: へいじょうきゅうせき:平城宮跡、そして佐紀盾列古墳群:

» 不思議なBlog [筒井 城二]
不思議なBlogがあるもんですね、私の知り合いの浅茅が原先生のBlogなんですが [続きを読む]

受信: 2004年4月24日 (土) 13時58分

« 茜流むらさき太鼓 | トップページ | 光瀬龍の訃報(1999/7/7) »