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2004年4月18日 (日)

じょうしょうこうじ:常照皇寺

常照皇寺(京都府北桑田郡京北町)マピオンBB地図

常照皇寺は禅寺
 京都市内からは車で1時間程度かかる。バスも市内ほど気楽ではない。ここは行くまでが、やや難渋する。それほど、地図で見ても離れている。指定地図の縮尺を大きくするとわかりやすくなるが、京都駅から直線で、北へ二十数キロのところになる。
 なぜ、出不精の私がそんなところへ度々出かけることになったのか。二十数キロの山間部でさえ「遠い」「難渋する」と言うくらいの男だから、そこへ出かけるのも不思議である(ただの無精にすぎぬか)。

 実は20代の頃に、マニュアル本に出合ったのである。
 のっけから「マニュアル本」と記すと、隠れたファンも多く、言葉が足りぬと言われるかも知れない。ただ、このカタカナをここでは非常に上等な意味で使っている。つまり、心の、美的精神世界の手引き書である。
 マニュアルというのは、原則的には、そのとおり咀嚼していけば、やがて高度な技能を身につけ、その世界を一通り自立的に歩き回れるようになる。出来不出来もあるが、コンピュータ言語を習得するときは、定評あるマニュアル本を舐めるように数度精読し、さらにその後も辞書代わりにして、ついにはぼろぼろになるものだった。(今は、オンラインヘルプなので味気ない)
 なかなか核心に行かない。
 図書名は『かくれ里』白洲正子.新潮社、昭和46(1971)。美術解説書でもあるので、当時2200円と高額である。1991年に講談社文庫も再刊し、現在はネット古書で手頃に入手できる。
 本来なら、ここで保田與重郎『日本の美術史』、『日本の文学史』、あるいは和辻哲郎『古寺巡礼』も出したかったが、常照皇寺へ、日暮れまでにたどり着けなくなるので、それは後日とする。保田は南朝贔屓、和辻は古都奈良専門なので京都の「山国」は白洲正子に頼るのがよい。そのうえ白洲の同書には二十四ものかくれ里がある。

 白洲の図書は、20代から30代にかけての私にとって、近隣を旅する際の大きなガイドだった。いろいろな見方もあろうが、私は氏の高額図書を車に積んで、記されたあちこちを走った。いま、保田は南朝贔屓と書いたが、常照皇寺は北朝第一代の光厳天皇(こうごんてんのう)が晩年を過ごした所である。と、ここで白洲も記す南北朝争乱の中での光厳天皇の有為転変、出家のことなど、典拠をたどりケミしていけば、夜も白々とあけてしまう。

 山門を入った所が本堂で、ここに有名な「車返し」の名木がある。ひと重と八重の入り交った品種で、御水尾天皇が、あまりの美しさに車を戻してごらんになった所から「車返し」または「み車返し」とも呼ばれる。…略…庭前の、しだれ桜は満開であった。その隣にもう一本、昔京都の御所から移されたという「左近の桜」があり、…略…この三本の桜で、常照皇寺の庭は成り立っているのである。(『かくれ里』「桜の寺」/白洲正子より)

 
 この時期、1999年春、私は畏友の梅翁とここに訪れた。
 このあと、鞍馬寺へ参った。

参考サイト
  京都の自然(常照皇寺):京都府の作成です。あのあたりは「常照皇寺保全地域」に指定されています。
  京都府・京北町:町の公式HPです。全体のあらまし、アクセスが詳しい。
  京都庭園の四季/常照皇寺の御車返し桜:個人タクシーグループの作成です。タクシーで都を廻るのも一興でしょう。トップページには京の見どころがリストアップしてあり、ビデオをみることが出来ます。

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地図の風景」カテゴリの記事

コメント

知りませんでした。遥か都を離れ、丹波の山里ですね~ホンマ隠れ里ですね。ビデイオもいいですね~。参道を自分で歩いているようです。梅翁も同行されたんですか?途中でヘタバリませんでした?丹波の山にはワンゲル時代によく出掛けました、栗、黒豆、桜肉、食材も豊富で楽しい所ですね。光厳天皇はんは何故こんな鄙びた、都から離れた場所で御住まいでしたのでせうか?其れほど、南北朝の戦乱は激しいものでしたかね?そのうち、連れて行って下さい。

投稿: jo | 2004年4月18日 (日) 15時16分

済みません、余り食べないので間違いました。牡丹肉?でしたね。馬さんと猪さんを間違えましたです。地図でみると、丹波の山と比良の山は近くて連なっているんですね?比良山には中学時代のワンゲルでよく登りました。

投稿: jo | 2004年4月18日 (日) 15時23分

JOさんや
 たしかに、あのあたり京北町とか美山町とかは、冬はボタン鍋ですな。ガイドブックなんかにも、そういう専門店が載っております。
 光厳さんは、白洲さんに言わせると、とてつもない忍従を味わったらしいね。要するに、北朝初代天皇なのに途中で足利尊氏に、南朝への取引として、売られたみたいだ。吉野か河内で、ある日突然剃髪したらしい。その後は、まじめきわまる僧として、行脚したらしい。だから、それぞれの南北朝だと思いましたよ。
 あそこは、私が運ばないと、バスだと少し不便ですな。任せなさい。
 白洲さんの「かくれ里」はまれに悪口言う人もいるけど(ネットにありました)私は良質な本、宝物としています。つまり、ああいう本を若い頃によんだから、それとなく、都大路だけでなく、ひなびた里にも何かある、という感性を身につけたことになるな。
 そういう目でみると、滋賀県なんか、宝物がごろごろしている。
 また、行きましょう。あるけるうちに(笑)

投稿: Mu | 2004年4月18日 (日) 15時56分

そうですね、光厳天皇さまは尊氏に取引されましたね、少し記憶が戻りつつあります。なんせ、南北朝は入り組んでいて難しい。司馬さん曰く、南北朝時代は面白くない。これ、小説家にとり描くのが難しいらしいな~~。白洲さんの本は知りませんでしたが、けど、有りがたいと歳をとっても思う人ガいると言うことは、それが、立派ナ評価やろな~~。大体、芸術家は100年くらい経過しないと評価されんそうやからなあ~~!滋賀探索行元気なうちに行きませう。

投稿: jo | 2004年4月18日 (日) 17時36分

JOさん、南北朝は北方謙三さんの作品で数年泣いておりましたぞえ。
 破軍の星 集英社文庫
 武王の門(上下)新潮文庫
 陽炎の旗 新潮文庫(内容は、なんとなく後日談かな?)
 道誉なり(上下)文春文庫 ハードC
 楠木正成(上下)文春文庫 ハードC

 三国志全13巻(南北朝とは無縁ですな)ハルキ文庫 ハードC

@破軍の星は、北畠親房の長男、北畠顕家
@武王の門は、後醍醐天皇の皇子、征西将軍 懐良親王。
(かねよし:護良をモリナガと読んでいたころもあるから、なんとなくカネナガといってしまう。いまは、モリヨシ、カネヨシでしょうか)

 まず、この2著は畢生の作品と思った。とにかくページをめくるたびに涙がとまらなくなる。男泣きとは、こういうものであり、北方謙三さんは、ようするに、男を泣かせる。逆にこれ読んで泣かぬ男は、男やないね。孔明の出師の表を読んで泣かぬ男とおなじで、アホやね。つまり、男やない(男世界を踏ん張れば踏ん張るほど、某女子大教授は、日々泣いておるのです)

 北畠顕家の後醍醐天皇への、死の直前にわたした諫死状に等しい手紙は、昔の岩波の日本文学大系でしたかね「北畠親房」神皇正統記に、写真があった。破軍の星を読んだなら、南北朝がおもろないなんて、まあ、司馬さんはカンサイジンやから。ここでは異論を残しておく。
 懐良(かねよし)さんのことは、菊池武光との友情を、北方さん、ほんまに上手に書いたはります。これ、上下でしたが、あっという間に読み終わりますね。

 それから楠木さんも、泣くよ。
 道誉は、わらける。ほんとに、おもろい人、芸術家、婆娑羅やったんやと思う。

 以上、南北朝がおもしろない、というのは司馬さんのちょっとした弱みと思う。いま正確に言えないが、うん、時代の雰囲気が違うからな。要するに、男を描かせたら、北方の方が上やね。多分。
 それと、三国志でも思った。呂布(ろふ?)さんなんって、初めて、ああいう描き方があるのかと、心底感心しました。

 ああ、馬か。21歳で死んだ顕家は、関東東北の馬をかって、親衛隊3千騎で、京都に目指すんだな。わけのわからない後醍醐さんのために。哀しいね、男は。

投稿: Mu | 2004年4月18日 (日) 18時47分

先輩は男の挽歌がお好きなようどすな?どうりで、新撰組の番組だけは観られる。私の些細な南北朝の知識は太平記と僅かな楠木悪党(悪い意味ではありません)、佐々木道誉に関する書籍、程度でしょうね。護良親王は有名ですが懐良親王はあまり興味というか、知識が有りませんでした。大宰府制圧迄に菊池氏の応援を受けたとは何か、磐井の反乱を想い起こします。顕家さんはやはり高師直との戦いで21歳の若さで討ち死にした悲劇ですね。道誉はNHKの大河ドラマの印象が大きいです、大きな花瓶に花を投げ入れていましたね!男の悲劇が詰まった時代だったんですね。テ-マが多すぎて小説に難しい、と司馬さんはお考えでしたのでしょうね。

投稿: jo | 2004年4月18日 (日) 21時34分

京北町は母の実家があるとこなのでよく行くよ。常照皇寺は桜がきれいやね。この春もいきました。歴史については全然しらんかったけどここを読んでちょっと興味をもちました。
木幡の翁がそんなとこまでいってるとは知らんなんだ。
周山にある登喜和ってお肉屋さん兼食堂知ってるか??
前はとても汚い食堂やったんやけど儲かっていたのか,最近
ちょっと綺麗になりました。地元の農家のおっさん達が長靴はいたままくるような食堂やけどそこのステーキがうまい!!
ま,私はハンバーグ定食で充分満足してるけど。
量がとても多くて私はハンバーグ定食食べきれたことがないけど。
ま,店の外見の割にはうまいと思うので行ったことなかったら
ちょっと寄ってみてくださいな。
ちなみにいつだったか,父が海外出張でJALにのったら
翼の王国って雑誌にその店が紹介されててこれにもびっくりした。

みんな文学的なコメントをいれてるのに食べ物のコメントでごめんよ。

投稿: palpal | 2004年5月 8日 (土) 11時42分

palpalさん
 こんにちわ。
「周山にある登喜和ってお肉屋さん兼食堂」これって、今年の十大ニュースにいれたい、宝玉情報やね。
 以前から耳元をかすって、気になっていたんやけど、実体化されなかった。やっと、palpalさんの名文でイメージが確立しましたよ。

 ステーキにハンバーグって、大好物です。
 私の悪友たちも、おどろき、なき、随喜の涙をながすことでしょう。

 グルメ情報は少なく思うでしょうが、頭の中ではご馳走ばかりちらついています。店頭写真をとったことがないのと、参考サイトが全部グルナビになりそうなんで、躊躇しとるんです。
 一工夫ついたら、ええ店、がんがん載せますね。

投稿: Mu | 2004年5月 8日 (土) 12時06分

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承前[MuBlog:常照皇寺] 常照皇寺(京都市右京区京北井戸町)地図  以前の記事で「常照皇寺」の地名は北桑田郡・京北町でしたが、今度みましたら、京都市右京区京北井戸町になっておりました。  昨年全国的に大幅な市町村合併があって、地名がそこら中で変わっています。数日前の新聞では高速道路の標識が古いままで、怒りの声がありましたが、しかし、Muなど高速道路を走るときはセンサーが車の操作に向かっていますから、視界にはいる標識文字が見慣れぬものだと、かえって混乱をきたしそうです。たとえば滋賀県の八日市市が... [続きを読む]

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