きょうとえき:京都駅の雑踏
京都駅の雑踏(京都府京都市下京区東塩小路)マピオンBB地図
京都駅は京都の中でも気に入りの場所だ。雑踏恐怖・忌避症なのによく歩く。ターミナルだから通過点に過ぎなくなるのが普通だが、この建物が気に入っている。
これが完成するまでは、河原町御池角のホテルとおなじく、景観論争でたいそうもめた。古くは駅前の京都タワーのときもそうだった。
こういう場合、いつも景観を気にしている割には、大抵建てる方に肩を持っている。考えてみると「建てるまで、景観がどうなるかわからない」→「新しい建物、新しい空間をみてみたい」→「建てたら、よろし」となる。識者のように、計画的都市とか、そういう気持はあまりわかない。
だから、フランスの首相の「言葉かけ」で、鴨川の三条と四条との間に橋を架ける話が持ち上がったとき、随分期待した。しかし京都の一部の人や、インテリの多くが大反対して潰えた。いまでも残念に思っている。
(思い出すと、京都をフランスに売るのか、とか。パリに日本風の橋を造るといったらパリジャンはどう思う、とか。いろいろあったようだ。だが、私は前者には「もともと唐風が多い日本だから」、後者には「貴重な日本は、京都にきて観なさい」と、呟いていた)
自然は好きだ。伝統も好きだ。京の都や、奈良京、大津京、宇治の別荘(古き藤原さんの)も大切だ。しかし、それ以上に新しいものが好きで、見てみたい。
もちろん極端な新空間には反対するだろう。例えば京都御苑の真横に、高層歓楽ビルを建てるなら、それは昔の足利家と同じく、やりすぎだろう。見たくはない。せっかく古式を保つよい建物があるのに、それを破壊して安物をつくるのも気に入らない。
しかし人の少ない河原町御池に高層ビルとか、はずれなのに人が使う京都駅を立派にするとか、鴨川で遮られ閑散とした川端と、人の多い先斗町とに橋架けするのは、よいではないか。それが私の「日本の橋」。
景観論争を突き詰めていくと、人は住めなくなる。ほとんど気に入らない。だから、気に入りの京都駅を記録した。
| 固定リンク
「地図の風景」カテゴリの記事
- 白峯陵の西行(2012.03.13)
- 小説木幡記:瀬戸大橋線・瀬戸内海をまたぐ列車(2012.02.20)
- 小説木幡記:徳島城下・伊予街道の不思議な光景(2012.02.18)
- 伊勢参り(2)伊勢神宮とトポスとしての「おかげ横丁」(2010.02.04)
- 紅鮎(べにあゆ)で湯治ついでに季節の料理(2007.05.08)
「イメージの素」カテゴリの記事
- 大神神社(おおみわじんじゃ)と森正のそうめん(2011.02.07)
- 浄瑠璃寺の立春:浄土式庭園(2011.02.06)
- 若冲の秋:ミホミュージアム200910(2009.11.01)
- 五月の木幡花2008(2008.05.28)
- 四月の木幡花2008(2008.04.09)
「001犬王舞う」カテゴリの記事
- 小説『犬王舞う』の定稿にこと寄せて(2006.04.01)
- 学生能と河村能舞台(2004.05.02)
- しもがもじんじゃ:下鴨神社元旦神事芸能(2004.04.27)
- しらかわ・たつみばし:白川辰巳橋(2004.04.20)
- たからがいけ:宝ヶ池の比叡山(2004.04.16)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
写真のエスカレータで登り、レストランのテラスでビールを飲むのはいいですね。空間を見下ろして、人々の動きをボーと眺め何時かはこの空間でショーをしてみたいと思っています。フリーフライトの飛行機か電動のファンフライ機でラジコンショーをするんです。賽銭箱を置いて、ビール代を稼ぐ! いいですね~~>
投稿: jo | 2004年4月15日 (木) 12時46分
JOさん
よいイメージですな。
ヘリか飛行機からは、はらはらと桜花をちらしたり、冬には人工雪を降らせたり。賽銭箱搭載ならホバリングできるヘリがよいでしょう。金持ちを見つけたら急降下、ピタット頭上に止めて、賽銭箱は手の高さ。
あらたな大道芸で評判が高まる。
売りは、花吹雪、乱れ雪と、急降下、ホバリングでしょうか。
じっくり一緒に考えましょう。JRに届けるだけでよいでしょう。地場の難しい人に面をきるまでもない。
いや、あらゆる興行には影の世界がありそうだから、・・・
投稿: Mu | 2004年4月15日 (木) 13時09分
浅茅ヶ原の旦那は金儲けの話になると、身を乗り出されますね?まるで、葛飾の『両さん』みたいどすね。金儲けの話は任せて下さい、専門ですから。
投稿: jo | 2004年4月15日 (木) 13時22分
JOさん
お金がないと本も買えない、ネットも見られない、ガソリンも買えない。そういうリアルな話を学生さんにしておかないと、彼女らは、お金は口を開けていると空から飛んでくると思ったまま、卒業される。
尊いお布施で糊口をしのぐ教授は、反面教師としてお金儲けの「仮身」をもって、若者の前に顕れるのです。ほら、JOさんの夢枕には、ほほほ、いつも観音様がお姿を顕しませんかえ?
投稿: Mu | 2004年4月15日 (木) 14時58分
実家の母の手伝いに今日は京都へ行きました。私も駅ビルができてから、京都駅にはよく出かけるようになりました。お目当ては「伊勢丹」です。シーズンごとのバーゲンには必ず一度はでかけます。姉の「交通費を使ってでも、良い商品が安く手にはいるわよ!」のすすめで、平日の午前中二人で買い物をして、ランチを食べて帰るという楽しみができました。
今日も帰りに駅ビルを歩いていたら「新撰組展」が開催されていました。新撰組ゆかりの土地を写真パネルで一枚一枚紹介してありました。京都観光PRですね。昼に母と大河の「新撰組」の話になって「土方っていいな~!」と意見が一致したことを思い出しました。新撰組の話を知らないだけに今後のドラマ展開が楽しみです。
芹沢鴨ってもうすぐ死ぬんですか?
投稿: ほかもどり | 2004年4月15日 (木) 20時45分
ほかもどりさま
新撰組でいうなら、司馬遼太郎「燃えよ剣」「新撰組血風録」が定番です。映画でいうと、栗塚旭 (クリヅカアサヒ)の、新撰組副長土方歳三が、お約束です。私は20前後から、当時は白黒TVで観ておりました。そのあたりの俳優は数名完全無欠に定番化されており、どれもこれも現実よりも現実らしく眼裏に浮かびます。
いまでもDVDが売れているようですね。
で、これまでNHKでは2度ほど、土方歳三の兄役で盲目総髪の人が居りましたね。あのかたが栗塚さんです。ネットを観るとまだ、銀閣寺付近哲学の道で、お店を開いておられるようです。
いやはや思い出すと、凄かったです。まさにはまり役でした。土方さんのセリフは時々「近藤さん」ないし「総司」というしかないのですが、実に味がある。五稜郭での最後など涙が出ますよ。
ああ、芹澤鴨さんですね。ええ、残念ながら。内ゲバです。
もっとも新撰組隊士で明治まで生き残るのは、有名どころでは1名でしたか。どなたかはアテモノですね。後日、女子専門学校の先生でしたかね、なるんです。警視庁だったか?
司馬遼太郎さんのは、読み出したら止まりません。
投稿: Mu | 2004年4月15日 (木) 21時09分
京都駅は私にとって関西の玄関です。
去年のGWに実家に帰るために新横浜から京都まで帰ったのですが
久しぶり(…とは言っても1ヶ月も経ってない)の関西に胸が弾みました。
何をするでもなく大階段にたたずむもよし、伊勢丹の中にあるレストランで夜景を眺めてディナーするもよし…
実家からは電車で15分なのでゆっくり楽しめる場所でありました。
今年のGWは…さて帰れるのでしょうか?
投稿: J-NETTER | 2004年4月15日 (木) 22時54分
J-Netterさま
GWも帰省ままならぬとは、大変な日常であると推察いたします。しかし職域をあっさりはなれてしまったら、携帯も届かない(そんなことはないか)、駆けつけようにも行けない、書類もない、なにもないで、あっさりして良いのではないでしょうか。
トンチンカンな話ですが、刑事さんなんか帰省することあるのかな? 帰省中に担当事件がトンデモどんでん返しになったらどうするのだろうか(私は、ちょっと以上に、馬鹿かもしれない)。
で、京都駅と伊勢丹とはどこらまでが一緒なのか別なのか、私は区別が出来ません。見晴らしのよい屋上は伊勢丹のか、JR天領なのか、はてどちらでしょうね。(つまり名称です。ここは伊勢丹の屋上、伊勢丹のレストランと、どこまで言えるのかがわからない)
投稿: Mu | 2004年4月16日 (金) 04時33分
栗塚さんのことはNHKのスタジオパークというトーク番組で知りました。今度は兄役で出演されていましたね。兄役を引き受けられるときも「私でいいんでしょうか?」とおっしゃっていて、謙虚な方だなと番組を見ていて思いました。今の土方役の山本耕史さんも栗塚さんに「そのままでいいんだよ。」と温かく励ましてもらえてうれしかったと話されていたように思います。哲学の道にある「若王子」という喫茶店には学生時代に行ったことがあります。(そこが栗塚さんのお店だということも最近知ったのですが・・・。)落ち着いた雰囲気あるお店だったと記憶しています。
まずは「燃えよ剣」から始めてみます。明治座では同名の舞台があるそうですね。土方歳三は上川隆也!この舞台関西にも来てくれないかなと思います。
いろいろ教えてくださってありがとうございました。
投稿: ほかもどり | 2004年4月16日 (金) 09時00分
ほかもどりさま
若王子は、未踏地です。やはり、そうですね栗塚土方に熱中していたので、現実は避けています。
それにしても、今年の新撰組は毎週楽しみです。芹澤もすごみがあるが、ヤマナミさんのはにかんだ話し方、彼と土方との確執の芽生え、なかなかにあのTV、佳くできています。感心しているのです。
私など、男子の本懐としては、そうですね、やっぱり土方歳三がよいです。近藤さんは、今回気に入ってますが、あの人徳はあの人だけの物。沖田総司もよいが、彼はまさに殺人剣の超天才だったようで、それもかけ離れすぎていて、無理。
投稿: Mu | 2004年4月16日 (金) 09時50分
「燃えよ剣」やっと読み終わりました。
おもしろかったのですが、先週は仕事が入っていて、思うように時間がとれなくて、イライラしてしまいました。500ページほどの文庫本2冊でしたから、読みごたえがありました。
「土方がいいな~!」なんて、ドラマのさわりを見ただけの感想で、学芸会に出てるような若者達の中で、山本耕史の演技はいいな~程度の軽いノリだったんです。
土方歳三のあの壮烈な人生に驚愕した、というのが正直な感想です。「男の美学」ですか・・。土方にとって、新撰組という組織を作り上げ、思いのまま動かす・・。時には「殺戮集団」としても・・。己の死を覚悟したときには、隊士を助けようとする憐憫の情も出てくる・・。これが「男の本懐」ですか・・。
難しいな~。ただ、いつの記事だったか、Muさんが、Blog構築やマシン制作や小説創作が、「生きた証」として行われている、と言うようなことをおしゃってた記憶がありますが(違ってたらごめんなさい。)、自己実現としての、新撰組であり、Blog構築というのなら、なんとなくわかるような気がしました。
そしたら、”カモの本懐”って何になるんだろう?と考えました。う~ん・・、妻でもなく、母でもなく、また女でもなく、自分は自分でありたいっていうような核がほしい・・ってことかな。(あっ、忘れてた!自分が「鳥」だったてこと・・。)
以上、読書感想文でした。
投稿: ほかもどり | 2004年4月26日 (月) 10時29分
私も「燃えよ剣」を学生のときに読みました。写真を見る限りではそんなに怖い人には見えないのに、(むしろかっこいいと思います)隊士達にはどんな責任も命を懸けさせたのですね。もうずいぶん前ですが、何かのテレビ番組で早乙女貢さんが「土方歳三の死には謎がある。」とおっしゃっていました。彼の死には榎本武明が係わっているとかいないとかそうおっしゃっていました。何がわかるというわけではありませんが、いつか五稜郭に行ってみたいと思っています。
投稿: 羊 | 2004年4月26日 (月) 15時06分
ほかもどりさま、ごきげんよう
「妻でもなく、母でもなく、また女でもなく、自分は自分でありたいっていうような核がほしい」
こういうセリフは、私などはニュアンスを変えて言っています。あなたに合わせるならば、
「妻であり、母であり、女であり、自分である。核はすべてを束ねた総体である」と。
言葉の遊びを意図しているのではなく、自分自身の自分に対する幻想を戒めているのです。核というものは、全体をもって核とすべきです。
ただ、言葉遊びを使うなら、組み合わせ核{妻、母、女、自分}と考えて、その中の一つや二つ消えても生きていける、これがリアルな認識、ないし人生の覚悟でしょうか。
おそらくお子さんが成長すれば、母は消える。旦那さんがどうこうすれば、妻が消える。女は、経年変化で消えて中性化する。そのうち、自分は死でもって消える。
場合によっては、別の核要素が増えるかも知れない。起業して社長になったり。選挙にでて代議士になったり。小説がうれて作家になったり。
・・・
さて、土方歳三を「男の美学」とは言いたくない。美学とは、死をともなうから、恐ろしい。けれど、彼を美学として描いた司馬さんの気持ちと、その作品は諸手をあげて喜ぶ。
MuBlogは男の挽歌でも美学でもなく、何事も記録し、この世界に痕跡を残そうとする執念でしょうね。すべての痕跡を消す人が、よろしく思われることが多い。私は、天の邪鬼だからすべて記録す。
つまり、消すときは、一挙に消せますから。
では、またよろしく。
投稿: Mu | 2004年4月26日 (月) 15時53分
羊さん
五稜郭は、たしか、れいの統計のセンセは行ったと聞いたことがある。函館の山にものぼったようです。あの人は、原村だけじゃなくて、全国あらゆるところを、遊び歩いてあるみたいやなぁ。
土方歳三に関して、いま、おもいだした。安部公房という人が、とてもおもしろい小説と戯曲を残しています。
これは、安部公房の作品として、異色です。読み返しては居ませんが、ぜひご一読ください。
題名は『榎本武揚』です。戯曲はむりでも、小説は文庫であるはず。ネット古書でみれば数日でコンビニ払いで送ってきますよ。
私は、かれの著作集を持っているので、いまちょっと覗いてみました。読む価値あり、です。(ご近所の図書館に、安部公房全集があると思う)
土方歳三は、榎本に裏切られた。これが一つのテーマでした。
では
投稿: Mu | 2004年4月26日 (月) 16時08分
是非読んでみたいと思います。本を選ぶときいつも困ってしまいます。たくさんありすぎて、どれが面白いか(自分の好みに合うか)わからないからです。誰かにお勧めの本を教えてもらうのは好きなんです。その方の好みも反映されるから。気に入った場面やセリフが同じだともっとうれしいです。
投稿: 羊 | 2004年4月26日 (月) 16時48分
羊さん
やっと7時前で、けりをつけて帰りますです。
読書ですね。なかなか人にぴったりは勧めるのがむつかしい。
しかし私自身は、この12年いろんな老若男女からお勧め本を紹介されて、あらたな文明文化(紹介者が個々文明文化を持っているから)に接してきました。
特に司書好きの学生卒業生は、ときどき変わった物を言ってくれます。
この2ヶ月ほどは読む気力いとまなくすぎました。時期がくればあれこれ読書紹介もMuBlogで記していくので、気に入った物があればぜひご一読のうえ、コメント下さいませ。
ただ、私はどうしてもSF系とか、冒険ものに傾くので、傾向のバランスはよくありません。
では
投稿: Mu | 2004年4月26日 (月) 18時45分
阿部公房さんの「榎本武揚」読みました。面白かったです。
この小説を読むまでの榎本武揚に対するイメージは「裏切り」という悪いイメージだけでした。
安部公房さんの小説の中で何度か土方と榎本の会話の箇所があるのですが、興味を引いたのは榎本が”ナポレオン”の例えを出してフランス革命を自分たちの現状になぞらえて土方に時代の変化を教えようとしたシーンです。
最後のほうで榎本が「僕はこれまでさんざん時代が変わったことを説いてたじゃないか」と言うようにこの小説の中では「裏切り」よりむしろ土方の目を新しい時代に向けようとする場面がいくつかあったように思います。
土方が武士にこだわることなく、違った視点も持っていれば、彼もまた別の世界を見ることができただろうし、そうして欲しかったです。
まるでこれが実際の史実かのように読んでしまいました。
本当に実際はどうだったんでしょうね?
投稿: 羊 | 2004年9月26日 (日) 21時27分
羊さん
「京都駅」記事がトップにあったので、なにか駅であったのかとおもいました。
さて、ともあれ、なんとかかんとか見つけて読まれたようですが、じつに、うれしいものです。
私のお薦め本は、一般に癖が強くって、なかなか~
しかし、安倍さんの作品の中でも、これは読みやすくって、理解しやすい作品で、そうしておもしろいものだと思っています。
土方が、武士道を棄てるほど器用ではなかったと、司馬遼太郎さんの燃えよ剣なんかでは、描かれていますね。
それと。あれだけ短時間に激しいことの多かった新撰組の副長なんだから、豹変するのは困難だったかもしれません。
榎本が裏切り者でなかったなら、私は土方の死を願っていたのでしょう。土方さんを楽にしてあげたかったんですね。
投稿: Mu | 2004年9月26日 (日) 21時51分
羊はん
何で、土方歳三と榎本武揚が京都駅の阿呆な会話に登場するんでせうか?
ま~宜しいどすけど、私は榎本は明治が必要とした人物だったと解釈しています。
万国航海公法でしたっけ?知っていたのは、彼だけですよね。明治維新を起こした連中は、悪いけど、幕府の早く時代の変化に気ずいて勉強したり、海外で勉強した連中とは違うんです。
しかし、偉いのは維新を起こした連中が、立場を超えて認めたのは偉いです。
投稿: jo | 2004年9月26日 (日) 22時01分
以前この記事のコメントで「榎本武揚」を紹介してもらったのでここに書きました。
沢山の有能な人物が戦いや暗殺で消えていく中、榎本武揚はよほど運が良かったのでしょうか?
例えばわずかな違いで一方は消え、一方は残る。そういう運命的なことにとても興味があります。
消えた方と残る方の違いは一体何だと思われますか。
投稿: 羊 | 2004年9月27日 (月) 20時36分
それは難しい哲学的質問やと思います。
何時も、生き残る人が幸せとは限りませんね、そして、露と消えて行く人が不幸とは限りませんね。
日本人の言葉として、”生き恥を晒す”とか”歴史に耐える人生”とか、数限りなく多面的なことば有りますね。人間、何を大事にするか?何が美しいと考えるか?何を恥と考えるか?評価される時間軸をどのように考えるか? 多種多様であると思います。
私は、それで(多種多様)いいのではないかと、思います。竜馬が池田屋で非業の最期を遂げておらず、その後、岩崎弥太郎のような国際貿易商人として成功しておれば、”竜馬がゆく”の小説は生まれ無かったわけです。
私は文学の世界には程遠い門外漢でありますが、だから、文学があるんと違います?
何で、今の嫁はんと一緒になったのか? たまたま、彼女が私の姉の子供の家庭教師をしていたから、見合いで出会えたのです。
え? 関係無いですか。 やはり、専門のMuせんせ にお任せします。”えらい、難しい質問やけど、MUはん頼みます”。
投稿: jo | 2004年9月27日 (月) 21時00分
JO先生、
この問題は私の頭から離れることがないんです。そのうち私もきっと何かを悟る日が来るでしょう。
ただ、ヒントが欲しかったんです。
MU先生は何て答えて下さるでしょうか。
投稿: 羊 | 2004年9月27日 (月) 21時30分
客人達
難問ですね。
しかし、基本的にはJOさんと同じ考え方です。
多面多次元視点・評価ですね。
判官贔屓という言葉があります。
20代で一世を風靡し、30にして滅びる。
日本人の心性では、滅びた者、喪ったものを愛惜します。
だから、榎本さんのことは、どのように考えても、悪人だろうが善人だろうが、土方歳三が司馬遼太郎に、あのように表現されたかぎり、私の中では、榎本さんが生き残った意義は、あまりないのです。
司馬さんの表現とは。つまり「新撰組副長土方歳三」と名乗って死んだ、その一行ですね。司馬さんは、土方の生涯を、青春の新撰組に殉じた、ととらえたわけです。
このような私の心情は、革命的ロマンティシズム、といわれ分類されるようです。しかし、それは勝手に学者がそういう分類項目をたてただけで、私が司馬さんから受けた土方の死は、そういう分類項目とは、無縁です。
羊&JO、両陣営への答にはなっていないようですね。
ただ、ヒントとしては、単純です。
「まことに、尊(みこと)は、戦いの後の凱旋のごときを軽蔑していた」
これは若くして死んだ倭建命の生涯を詠った、評論の一部です。私の、半生も、またこの一行に殉じたく思っております。
(ちゃんと、長生きはしますけどね(笑))
投稿: Mu | 2004年9月27日 (月) 22時11分