だざいふせいちょうあと:太宰府政庁跡
太宰府政庁跡(福岡県太宰府市観世音寺) マピオンBB地図
ここは、1993年頃の2月か3月だった。要するに私が葛野に着任した年であったはず。博多と、太宰府天満宮と、この政庁跡と、さらに小倉に寄った記憶がある。
「水城跡」とか「大野城跡」とか、とにかくまわりに「跡」が多い。天神さんのイメージでは、菅原道真さんは天満宮に座っている雰囲気だが、実際はこのあたりに住んでおられたのかも知れない。菅公跡も捜せばあるかも知れない。
広い敷地だった。無人で茫洋としていた。私は海が見える、そんな幻視を持っていた。地図で確認すると、見えるはずはない。白村江の海上戦に破れたからこそ、この内陸に政庁を造ったらしい。
私が訪れた時は、資料館に気が付かなかった。再訪するときは、そこをたずねて、もう少し正確な情報を得てみたい。
参考サイトを挙げる。
太宰府市まるごと博物館(まほろば時代を超えて)
太宰府市まるごと博物館(再現! 太宰府政庁)
太宰府政庁リンク案内
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コメント
太宰府は未だ訪問した事がありません。浅茅ヶ原の旦那は色々と取材されておられますね?これも、作品制作の為に必要なんでしょうね? 私は、最近博多への出張もちょくちょくありますが中州のネオンの誘惑に負けて、白粉の匂いの世界です。たまには次回の出張時に時間を作り訪問したいものです。私は、博多から壱岐、対馬、釜山への旅に引かれます。フェリーが出ていますのでそのうち必ず実現させます。東風吹かば 思い起こせよ
お姉様 夷おのこの ふところぐあい え? よう判らん句でんな~
投稿: jo | 2004年4月 1日 (木) 12時57分
JOさんや。ここは不思議な、シーンとした所でした。葛野に来る直前だったけど、とぼとぼ歩いてたどりついた。たぶん、10年以上前には展示館とかは無かったはずだ。
この石碑のどれがレプリカなんでしょうね。手前の古色蒼然としたのが、写真だと、うそうそしく思えるね。
中州って、なんでんね? 中州産業大学教授、タモリという人がいたけどね。変なレコードがあるんだ。たしか、えと「一夜にして、」云々を連発するの。
こうなると、お互いに暗号じみてくるね。ははは。
投稿: Mu | 2004年4月 1日 (木) 17時16分
昨日新聞を読んでいたら(2004年7月5日)、菅原道真が住んでいたところは、政庁の南にある、一千坪ほどあったコウロ館だったとの記事があった。
遣唐使をみずから停止されて、賓客をもてなすコウロ館が寂れ、そこに道真さんが住んでいた。
歴史の皮肉であると、たしか西南大学名誉教授の方の引用がありました。
そのそば天満宮横に九州国立博物館が建ったわけですから、歴史と風景は、味わいがありますね。
投稿: Mu | 2004年7月 6日 (火) 08時34分