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2004年4月30日 (金)

MuBlogの検索についてのメモ

 記事数が100を越え、コメントが300になり、アクセスが一万を超えてくると、最初の意図とは異なり、大所帯になってきた。
 普通のデータ管理なら500や1000件のレコードくらい、何の気無しにスッピン・テキストのままでも扱えるのだが、ネット上のデータは、アクセススピードがおうおうにして遅くなり、反応が数十秒、一分を越えることもある。回線は葛野では100Mbpsだから、遅いわけではない。要するに、中央のサーバー群がメンテナンスや集中アクセスで反応が鈍くなるだけである。
 つまり、せっかくデータを格納整理していっても、いまのままでは、蓄積を有効に使い切れない。唯一の頼みは、カテゴライズされているので、そのカテゴリーが明確なら扱い切れるのだが。そのカテゴリーについても、現在システムの平面的な二次元リストでは、そのうち複雑怪奇なものになってしまう。
 外部検索エンジンも最近は、Googleで記録へ直接アクセス出来るようになり(数週間前までは、MuBlogトップにアクセス出来るだけだったので、掲載日が古くなると固有記録へのアクセスができなくなった)、重宝はする。しかし、これもそれを使い勝手よくするには、限界がある。
 よって。

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日本・歴史・古代:大和は邪馬台国である/高城修三

By NDL-OPAC GB163-G126
大和は邪馬台国である/高城修三著
  大阪:東方出版、1998.9
  237p ; 20cm
  ISBN 4-88591-579-1
  定価 2000円

全国書誌番号 99036776
個人著者標目 高城, 修三 (1947-) ∥タキ,シュウゾウ
団体名・地名件名 邪馬台国 ∥ヤマタイコク
NDLC GB163
NDC(9) 210.273
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000002706927

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2004年4月29日 (木)

長尾真博士のノート

1999年の長尾真博士

1999年の長尾真博士
 思い返せば不思議な縁で、1990年代の10年間、私は長尾先生のそばに居た。そのうち6年間ほどは終始お話を伺っていた。だから、長尾先生は私の人生の中で、重い。
 先生は現在(2004年)公人なので、その業績や活動を私が記す必要はない。10年間、私の目には国際的な情報工学研究者としての印象が一番残っている。

 写真を残したのは、先生の前にあるノートを記録したかったからである。先生は常時カバンの中に、どこにでもあるようなノートを持っておられた。研究会などでは、随時それに書き込んでおられた。中身を見たわけではない。想像するに、枕部でもこのノートを使っておられたように思える。おめが醒めると、記されていたのではなかろうか。
 思い過ごしかも知れないが、私と話されているときにも、まれにノートを出し記されていた。えてして、会話内容とはまったく別のことが書かれていたのかも知れないが。

 先生は、京阪電車、新幹線、そして見たことはないが飛行機の中、すべて手書きで原稿を書いておられた。レジメもノートへ手書きだった。移動中が、当時の先生の原稿執筆時間帯だった。そのノート内容は、秘書さんがワープロで清書し、本になったり、講演予稿になっていった。研究会や、内部での配布物は、手書き草稿が総てだった。
 長尾先生には、ノートパソコンは不要だった。それは先端情報工学の先生の立脚点から見て、最大の、皮肉に思えた。
 助手や院生達に混じって数回講義も受けたが、その時はカードを持っておられた。おそらく、ノート内容が抽象化され、カードに記されていたのだと想像している。

 ともかく、すさまじい集中力だった。大学院生とのディスカッションも短時間だった。眼前で、15分程度で若者の草稿を読みきり、5分程度でそれを口頭要約され、問題点を指摘していった。瞬間瞬間把握され、学生が部屋を出ると、また別のお仕事、あるいは私の馬鹿話に相づちを打っておられた。
 問題、課題、なすべきことが発生したなら、その時点で集中して考え、一定の対応や結論を出す。それが当時の先生の流儀だったと解釈している。

 そういう長尾真博士の、研究と人生の原点が、あのノートにあった。
 私は写真をながめ、思い返して悟った。
 
 移動中、私は読むことも書くこともない。
 ぼんやりしている。
 梅翁は、酒を飲んでいる。
 JOさんは森羅万象膨大な蘊蓄をかたむけている。
 私一人が、電車の中で空白だ。
 それぞれの生き方に、感心した。
 吉野へ行ったときの想い出だ。

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2004年4月28日 (水)

日本・文学・評論:十一面観音巡礼/白洲正子

BY NDL-OPAC KB71-74
十一面観音巡礼/白洲正子著
  東京:新潮社、1975
  276p(図共) ; 21cm
  注記 写真:小川光三ほか
  定価 2500円

全国書誌番号 75046922
個人著者標目 白洲, 正子 (1910-1998) ∥シラス,マサコ
普通件名 観音 ∥カンノン
NDLC KB71
NDC(6) 718.13
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001283012

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日本・歴史・古代:神々と天皇の宮都をたどる/高城修三

By NACSIS Webcat Plus

神々と天皇の宮都をたどる : 高天原から平安京へ/高城修三著
  東京 : 文英堂, 2001.10
  271p ; 21cm
  ISBN 457812987X
  注記: 特別寄稿「古代の天皇と宮室」を語る(水野正好著)

著者標目: 高城, 修三(1947-) 〔タキ, シュウゾウ〕
分類  : NDC8:210.3, NDC9:210.3
件名  : BSH:日本 -- 歴史 -- 古代(L), BSH:都城(L)

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2004年4月27日 (火)

1万件アクセス

 さっき気づいたのだが、MuBlogが1万件のアクセスにやっとたどり着いた。一時はへこたれていたが、コメントを下さるリピータがおられたのと、JOという人が毎日、ほぼ全記事にコメントをくださった。よほどお暇な方なのでしょうか(笑)。それと、検索エンジンにひっかかたおかげであろう。

 開始が2004年3月7日で、森博嗣さんの愛蔵版『四季』について数行書いた。早朝だった。
 今日4月27日の早朝記事は、下鴨神社だった。
 その間、一ヶ月と3週間程度の時間がかかったことになる。

 統計は詳しくは取っていないが、
 現在、13:30時点で、今日のアクセス、247件、累計10216件だった。
 記事数: 90 | コメント数: 264 | ライター数: 1
 さらに先週の検索フレーズは以下だった。

先週:検索フレーズランキング( 3件以上のみ)
対象日: 2004年04月19日(月)~ 2004年04月25日(日)
合計数:328
順位 検索ワード 件数
1 歴史  卑弥呼 9
2 ノアノア  銀閣寺 8
3 佐渡  地図 8
4 平等?  |録 6
5 邪馬台国  卑弥呼 6
6 サンタモニカ  地図 5
7 京都  石舞台古墳 5
8 平等?  ー命 4
9 Hollywood  &  Highland 3
10 hollywood  &  highland 3
11 ラジコン  淡路島 3
12 佐渡金山  歴史 3
13 佐野  桜 3
14 戦艦大和  ラジコン 3
15 歴史  邪馬台国 3
16 邪馬台国  卑弥呼  顔 3
17 邪馬台国  地図 3

 圧倒的に邪馬台国や卑弥呼が多い。アクセスをあげるなら邪馬台国と、JOさんと冗談を言っていたが、まあ、きのむくままに。
 さて、次の2万アクセスはいつ頃だろう。夏休みまえだったら、随分励みになる。やはり、公開する以上は、沢山のアクセスと、コメントをいただけるとうれしい。だが、SFやコンピュータ自作になると、がくんとアクセスが減るのがおもしろい。ともに、マニアはいるが、マイナーなんだと思う。
 ミステリーは森博嗣さんのお名前を出した程度だが、後日ミステリー三昧になったなら、どんな変化があるだろう。SFよりは多いだろうが、ミステリーもマイナーであると、かつて森先生がどこかで語っておられた。私もそう思う。
 知っている若者でも、純文学は好んで読んでも、ミステリーを受け付けない人もいる。

 で、もう一度。
 気随気ままに、書いていこう。

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しもがもじんじゃ:下鴨神社元旦神事芸能

下鴨神社橋殿(京都市左京区下鴨泉川町)マピオンBB地図

下鴨神社の橋殿
 下鴨神社では例年元旦早朝に「謡曲」がみられる。6名前後の裃姿の方々が座し、両手を膝にのせて一斉に謡う。心地よい。お一人がしずしずと扇を右手に差しだし謡いながら、舞台中央で舞う。観た歳は男性ばかりだった。
 由来も演目もわからぬままに、ただ観世流河村社中とだけ知っていた。
 謡曲と能との関係は、そういうことを御存知の方が数名いるので後日伺うにして、能衣装なしで謡い舞うと思っていた。その通りだったが。それよりも、男性の声が一斉に闇に響く、それが耳に残っている。

 元旦早朝は、実に凍えるほどに寒い。
 だから、これは神事だと思った。
 浄闇。冷気。清浄。
 これらが、芸能によって、神様と、人の心を励起させるのだろう。

参考サイト。
  下鴨神社
  下鴨神社橋殿

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2004年4月26日 (月)

だいもんじ:昼の大文字

昼に平安神宮からみた大文字(京都市左京区鹿ケ谷栗木谷町)マピオンBB地図

大文字と塔
 京都五山の送り火が8月16日の夜、どのあたりからなにが見えるかについて、考えたことがない。しかし、この写真では平安神宮から「大」の見えることが確認できた。平安神宮の応天門は夕方から閉じるはずだから、あの、人で一杯の送り火の夜、この地を訪れても無駄とは思うが。
 もう一つの塔だが、これがどちらのお寺の塔かよくわからない。
 しかし見当はついた。こういうことは、いま大阪大学の図書館におられる畏友伊藤某氏に伺えば、たちどころに分かるのだが。氏はこの左京区に20代を過ごした。あちこちの寺を私に教えてくれた、そんなおぼろな記憶がある。
 まあ、見当をつけてしるしておく。真如堂の三重塔と判定した。どうだろう。

参考サイトが面白いものだった。
   時代劇の風景/ロケ地紹介 黒谷・真如堂

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2004年4月25日 (日)

2004年4月25(日)晴:部品の蘊蓄(HD&Memory)

4.3 ハードディスク:HD

 ハードディスクが部品として好きだ。とても廉価でそのうえずっしりと手応えがある。7200回転のだと、熱でアイロンみたいになるが、始動するときのギューン↑と尻上がりの金属音がたまらぬ。この世界もなれてくると感応というか官能世界である。ほら、車のドアの閉まる音で高級車が選ばれるのと大差なくなる。

 ふむ。あのギャーンよりも、ギューン↑がこたえられない。

 大昔、30代末期の頃、わずかに5MBのHDが40数万円もした。今なら、フロッピー4枚程度の容量である。

 現在だと、120GBで一万円程度である。遙かな道のりであった。ここで涙ぐむぞ、私は。

 120GBというと、120000/5MB=>24000倍の容量が、0.025の価格で買えることになる。気が遠くなる。
 さて、規格が少し変わってきた。セリアルATAである。別途流体軸受という回転部分の様式も変化している。

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2004年4月25(日)晴:部品の蘊蓄(MB&CPU)

4.部品の蘊蓄

 ここでリストにした各部品について、考察してみる。なぜならば、基本にしたものがドスパラさんが一式まとめてセット売りしているものだから、このまま購入するなら、本体は10万でケリがつくが、それでは自作の意味がやや減少する。

 ベースにしたのは、Prime Magnate SE -I、といって税込み71190円である。ランクはミドルクラスの最廉価版。これにしたのは、マザーボードがマイクロATXタイプといって、少し小振りだからである。これよりもっと小さい四角い可愛らしいのがあるが、これはハードディスクの増設がしにくく、また、なんとなく壊れた場合、代替部品の数がまだ少ない。

 ハードの2台ペアそろえは、小難しいこと(RAIDとか)をかんがえているのではなくて、単純にバックアップは、同等ハードディスクでするのが楽、という経験則による。

 一応アドレスを記すが、こういう商品構成は変化が早いので、あまり意味はない。

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2004年4月25(日)晴:パソコン自作の準備

 そろそろ木幡研のSONYノートパソコンVaioがくたびれてきた。2000年頃の製品だから、新たにセットしないとハードディスクや、もろもろが危ない。すでにキーボードは1500円の外付けだし(つまり、元々のノートマシン特有のキーボードは8割しか使えない(文字によって出てこない!))、USBは初期仕様なので遅い。なによりもCPUが700Mhzという古典的なものなので、マックよりもまだ遅い。
 十分役立ってくれている。これでしかうまくいかないこともある。たとえば古い古いSCSIタイプの4GBハードディスクを2台も外付けしたり(これは葛野の新マシンでは不都合だった)、そうそう、SONY独自のソフトウェアの使い勝手や便利さは他に代えがたい(よそのマシンになんとかかんとか移植しようとすると、あはは、駄目と画面に出る。例によってケチくさいSONYであるなぁ)。
 また、Vaioにしようかと思ったが、高い。それにこれだけあれこれ外部接続すると移動なんて出来ないから、デスクトップの方が安定し、安価になる。それで、……

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2004年4月24日 (土)

光瀬龍の訃報(1999/7/7)

 いまでも、作家光瀬龍を、ふと思い出す。
 たしか、高校で生物学の先生もしていなすった、そんな記憶がある。1999年の七夕に亡くなられた。享年71だから、天寿全うとも言えるし、現代だと若すぎる、という気持もわく。
 しかし、作家にも旬がある。
 私は、光瀬龍の三十代の作品が一番好きだ。それでよいと思っている。
 訃報を知った翌日に、小説葛野記に記していたのを今朝思いだし、再掲しておく。
 図書の写真は、いずれ、MuBlog「図書の顔」に整理して格納するつもりだ。

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2004年4月23日 (金)

へいじょうきゅうせき:平城宮跡、そして佐紀盾列古墳群

平城宮跡(奈良市佐紀町)マピオンBB地図

平城宮跡と朱雀門
 広く茫洋としている。復原朱雀門が地図位置(宮跡北端)から肉眼で見える。
 奈良市の中央に位置しているが、興福寺や大仏殿のある奈良公園は「外京」と言われていて、宮跡の東側に張り出した地域となる。

参考サイト
  平城宮跡資料館
  パノラマ平城体験
  世界遺産平城京跡

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2004年4月22日 (木)

茜流むらさき太鼓

神振↓舞姫α

舞姫α
 過日所用があって、京都岡崎の平安神宮(マピオンBB地図)を通りかかった折、にぎわいがあり、そこで奉納儀式をいくつか観覧した。最初に、巫女さんの神楽をみたが、そのあとしばらくして、「茜流むらさき太鼓」という別の社中が登場し、和太鼓とシンセサイザーと、女性達の乱舞に目も心も奪われた。
 変わった社中名と思ったが、「むらさき」というのは本来は源氏物語の紫式部をさすようだが、私の印象では物語のヒロイン、若紫、紫上をイメージした。舞姫αさんが簡単な説明をしてくれていた。装束が平安朝のきらびやかなものだったので、なんとなく腑に落ちたが、その後の和太鼓とシンセサイザーは、トランス状態になるほど私の気持を振るわせた。以前から、打楽器のリズムや音に心身が異様なまでに親和性をもつから、当然とも言えるが、女性達の全身を使った連打、乱舞のきらきらしさに、目眩がした。

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2004年4月21日 (水)

ココログ・プロ

 最近、ココログ・プロ(MuBlogを動かしているニフティー社のブロッグ・サービス)が少しずつ、じわじわと機能改善されてきた。私が最も期待しているカテゴリーの扱いが、まだ階層処理(tree形式のフォルダーを想像する)にならないのが不便だが。いずれなるだろう。
 それより、アクセス統計のうち、どんなキーワードの組合せでアクセスしてきたかが、完全ではないが(2週間で消える)、分かるようになった。
 で、私の記事は、どうだろう。

1 歴史  卑弥呼
2 京都  常照皇寺
3 佐野  桜
4 佐野  藤右衛門
5 卑弥呼  が治めた国
6 巨石文明  日本
7 平等?  |録
8 邪馬台国  卑弥呼  顔
中略

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映画の原点:禁断の惑星

 禁断の惑星は小学校の時に観た。次兄と一緒だったように覚えている。当時、次兄は自衛隊員だった。休暇の時に土産を持って帰ってきてくれた。ハム、コンデンスミルク、もろもろ。その時の最高のプレゼントが映画鑑賞だった。
 東映の時代劇しか観たこともなかった私には、カラー映画で、字幕付きというのはまだ珍しかった。

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禁断の惑星

禁断の惑星:Forbidden planet
  MGM、1956

参考サイト
  SF映画選・禁断の惑星
  禁断の惑星 Forbidden Planet
  禁断の惑星 DLT-52321
記録詳細は後年(?)

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2004年4月20日 (火)

しらかわ・たつみばし:白川辰巳橋

白川辰巳橋(京都府京都市東山区清本町)マピオンBB地図

白川辰巳橋のテンテン
 都の街にくりだすことはそれほどないのですが、昼とか夕方にぶらりと歩くとき、この白川あたりに行ってみます。地図で言うと、四条通りの、たしか「茜屋」で北にはいり、「権兵衛」で道の正しさを知り、「やげん堀」をみると、ああたしかにここでした、と安心してきました。つまり「切り通し」といわれている道を四条から少し北に上がるだけでよかったのです。30年以前から、そこらがあいまいもことしていたようです。だから歩くと言っても、せいぜい1年間に2回程度だったんでしょう。
 自分でこの地図を確認しましたら、随分分かりやすくなって、以後毎晩出歩くかも知れません。本当に、人間の行為行動の原因なんて、たわいないものです。
 なお、この地図ポイントのあたり、白川通りの川沿いなどは、夕方以降、京の街の風情としても、最良に位置するところです。

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2004年4月19日 (月)

日本・文学・評論:かくれ里/白洲正子

BY NDL-OPAC GC143-5
かくれ里/白洲正子著、野中昭夫(口絵写真)
  東京:新潮社、1971
  330p(図共) ; 21cm
  定価 2200円

全国書誌番号 73005550
個人著者標目 白洲, 正子 (1910-1998) ∥シラス,マサコ
個人著者標目 野中, 昭夫 (1934-) ∥ノナカ,アキオ
団体名・地名件名 近畿地方 -- 紀行 ∥キンキ チホウ -- キコウ
NDLC GC143
NDC(6) 291.6
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001214521

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へいあんじんぐうのかぐら:平安神宮の神楽

平安神宮の神楽(京都市左京区岡崎西天王町)マピオンBB地図
 京都の岡崎公園に博物館、美術館、図書館とあるなかで、ひときわ目を惹くのが平安神宮である。
 過日、ここでの例祭翌日の、例祭奉祝神振行事をみることができた。例祭とは、祭神桓武天皇の即位後「百官拝賀」をうけられた日をあてている。
神賑行事

包丁式 古式四條流包丁道家元
歌 舞  宮川町お茶屋営業組合・祇園甲部歌舞会・先斗町歌舞会・祇園東お茶屋組合
御神楽 笠井社中
箏 曲  東絃邦楽合奏団
舞    花柳羽鳥社中
舞 踊  奥田舞踊研究所
太 鼓  茜流むらさき太鼓 西村史郎社中
舞 楽  平安神宮雅楽会

 いくつかを春の日のごご、ぼんやりと眺めていたが、カメラに収めたものもあった。

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2004年4月18日 (日)

じょうしょうこうじ:常照皇寺

常照皇寺(京都府北桑田郡京北町)マピオンBB地図

常照皇寺は禅寺
 京都市内からは車で1時間程度かかる。バスも市内ほど気楽ではない。ここは行くまでが、やや難渋する。それほど、地図で見ても離れている。指定地図の縮尺を大きくするとわかりやすくなるが、京都駅から直線で、北へ二十数キロのところになる。
 なぜ、出不精の私がそんなところへ度々出かけることになったのか。二十数キロの山間部でさえ「遠い」「難渋する」と言うくらいの男だから、そこへ出かけるのも不思議である(ただの無精にすぎぬか)。

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2004年4月17日 (土)

MuBlog:本日休講(2004/04/17土曜)

 研究会出張、研究瞑想、その他妄想のために、本日は終日休講いたします。
 コメントなどへのお答えは、明日以降になります。

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2004年4月16日 (金)

たからがいけ:宝ヶ池の比叡山

宝ヶ池(京都府京都市左京区松ケ崎北裏町)マピオンBB地図
 宝ヶ池というと真っ先に思い出すのは、学生時代に、夜中このあたりの友人の下宿へオートバイで日参したことである。場所は、上記地図指定地の北西約800メートルあたりのアパートだった。(乗馬クラブ近辺)
 彼は飛騨高山からきた芸術家だった。私が最初の長編小説を五冊の冊子体で自費出版した際に、その第一冊目に栞を造ってくれた。彼が倉敷の大原美術館横、エルグレコで珈琲を飲みながら考えた文章だった。彼がたむろしていたのは、銀閣寺横のノアノアだった。エルグレコも、ノアノアも古き佳き建物の風情があった。人間はどこに行っても、自分の好きな場所を見つけられるのだろう。
 高山自体がそういう土地に思えてきた。
 卒業して、連絡をとりたくて、高山の実家に手紙を送ったら、宛先不明で帰ってきた。東京で、占い師をしているのをみかけたとか、耳にも入ったが、以後生死不明。一期一会だったのか。
 下宿にいくと、必ずベーコンエッグと珈琲とを出してくれた。
 私よりも数歳年下だったはずだ。
 名は、忘れた。溝上某だったと、おぼろに浮かぶ。

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2004年4月15日 (木)

きょうとえき:京都駅の雑踏

京都駅の雑踏(京都府京都市下京区東塩小路)マピオンBB地図
 京都駅は京都の中でも気に入りの場所だ。雑踏恐怖・忌避症なのによく歩く。ターミナルだから通過点に過ぎなくなるのが普通だが、この建物が気に入っている。
 これが完成するまでは、河原町御池角のホテルとおなじく、景観論争でたいそうもめた。古くは駅前の京都タワーのときもそうだった。
 こういう場合、いつも景観を気にしている割には、大抵建てる方に肩を持っている。考えてみると「建てるまで、景観がどうなるかわからない」→「新しい建物、新しい空間をみてみたい」→「建てたら、よろし」となる。識者のように、計画的都市とか、そういう気持はあまりわかない。
 だから、フランスの首相の「言葉かけ」で、鴨川の三条と四条との間に橋を架ける話が持ち上がったとき、随分期待した。しかし京都の一部の人や、インテリの多くが大反対して潰えた。いまでも残念に思っている。

 (思い出すと、京都をフランスに売るのか、とか。パリに日本風の橋を造るといったらパリジャンはどう思う、とか。いろいろあったようだ。だが、私は前者には「もともと唐風が多い日本だから」、後者には「貴重な日本は、京都にきて観なさい」と、呟いていた)

 自然は好きだ。伝統も好きだ。京の都や、奈良京、大津京、宇治の別荘(古き藤原さんの)も大切だ。しかし、それ以上に新しいものが好きで、見てみたい。
 もちろん極端な新空間には反対するだろう。例えば京都御苑の真横に、高層歓楽ビルを建てるなら、それは昔の足利家と同じく、やりすぎだろう。見たくはない。せっかく古式を保つよい建物があるのに、それを破壊して安物をつくるのも気に入らない。
 しかし人の少ない河原町御池に高層ビルとか、はずれなのに人が使う京都駅を立派にするとか、鴨川で遮られ閑散とした川端と、人の多い先斗町とに橋架けするのは、よいではないか。それが私の「日本の橋」。
 景観論争を突き詰めていくと、人は住めなくなる。ほとんど気に入らない。だから、気に入りの京都駅を記録した。

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2004年4月14日 (水)

うじ・びょうどういん:宇治平等院

宇治平等院(京都府宇治市宇治)マピオンBB地図
 宇治市にはいくつもの歴史的な、そして比較的見応えのある建物や、景観があります。
 源氏物語の町、宇治十帖。平等院鳳凰堂。宇治上神社。宇治橋。ざっと挙げるだけでも、それぞれが面白いです。
 宇治市は観光に力を入れています。京都市や奈良市ほどの、人の訪れはないのですが、遊歩道や手洗いの整備、休憩所などよくできています。
 写真は、2001年1月1日のもの、つまり21世紀の最初の日の写真です。宇治平等院も、源氏物語ミュージアムも、京阪電車宇治線も、1月1日は開いています。

参考サイト:宇治市観光協会公式HP

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2004年4月13日 (火)

きなさむら:鬼無里は昔、海だった

鬼無里村(長野県上水内郡鬼無里村) マピオンBB地図

 鬼無里村は長野から西20キロほどの、山の中にある。40年近くも前、そこでは、8月お盆過ぎには秋風が吹いていたような記憶がある。滞在したのは1967年(昭和42年)前後である。記憶では二週間に満たなかった。
 ある日、友人達と夕食のために公民館あたりまで歩いてくると、やけに大きな講演会ポスターがあった。「鬼無里は昔、海だった」。驚いた。一体何を話すのか、と思った。今でもそう思う。
 科学的事実と日常感覚とはだいぶ異なる。だれも地球が回転しているなどと、感じてはいない。だから、山の中の村が、昔、海だったと聞いても、海岸沿いなら信じられるが、信州の山の中の話だから、笑った。
 20歳前後のことだった。

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2004年4月12日 (月)

ある日の葛野研机上

 今日は終日授業でした。
 そのあとも、やっかいな校務をしておりました。
 ふと見ると、お宝が一杯ならんでいました。
 こういう世界にいま、漂っています。


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2004年4月11日 (日)

2004年4月11(日)晴:記憶の嘘と地図の風景

 3月7日がこのMuBlogの誕生日になる。それから毎日記事を記録してきた。
 友人達が「尋常ではない」と私を噂しているようだった。
 たしかに、記事作成は異常な時間を費やす。

 記憶には嘘があると、養老さんの本で再確認した。しかし嘘か真かは私には分からない。時折友人と、ある情景の思い出話をしていても、双方が全く異なる記憶を持っていたことに、愕然とすることがある。そうなると、お互いにどちらが真実なのか、言い争っても仕方がない。事実として、別々の記憶の中でその後を生きてきただけのことである。と、最近では思えるようになった。養老さんの本がそれを補強した。

 シュワルツネッガーの映画にもあった。火星の話だったはずである。原作は、高い城の男、と同じはず(固有名詞が記憶からそぎ落とされていく日々)。シュワルツネッガーは、もう一人の自分が過去に、将来(現在)の自分に送ったメッセージを見、呆然としていた。

 地図の風景、というカテゴリーがMuBlogでは一番多い。
 MuBlogの副題は、図書・読書よりも、空間感覚に傾いている。そして空間とペアになる時間は、再確認をおこたり、ボカしているが、年齢から考えて、紀年レベルでは確実に分かる。
 すると、嘘であろうが真であろうが、もう一人の私、いや複数の他人である私が、ある時ある場所でなにかをしていたという記憶だけは、記録によって確定できる。その時、嘘は無限小になってくれる。

 MuBlogは、空間と時間とを確定するために、ある。
 私の、つまり時系列にそった複数の私の時空間を確定することの意味は、実に単純である。
 私は、その時、確かにこの世界に生きていた、という証。その把握である。

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Santa Monica Beach : サンタモニカ・ビーチ

サンタモニカ・ビーチ(USA: Santa Monica, California 90401) Yahoo Maps
ロウズ・サンタモニカ・ビーチ・ホテル(Loews Santa Monica Beach Hotel)詳細地図

 2002年12月17日から18にかけて、所用がありロサンゼルスの海岸、サンタモニカ・ビーチに滞在した。太平洋を眼下に見下ろし、サンタモニカ桟橋(Santa Monica Pier)が間近に見える部屋に泊まった。部屋は快適だった。

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2004年4月10日 (土)

みわ・ひばら:三輪山・檜原神社

三輪山と檜原神社(奈良県桜井市三輪) マピオンBB地図

 三輪山や檜原(ひばら)神社は、私にとっては親しい、懐かしい地名であり風景です。三輪山は、お山を拝むから神殿がないという大神神社(おおみわじんじゃ)によって、比較的知られているようですが、檜原神社を御存知の若い人は少ないです。
 京都市と奈良市はお寺。そして奈良市、天理市の南になると、神社が目を惹きます。仏教と神道(しんとう)とが歴史的には諍いが多々あっても、それぞれ特色をもって風景に溶け込んでいるのが、気に入っています。

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2004年4月 9日 (金)

ならほてる:奈良ホテル

奈良ホテル(奈良県奈良市高畑町) マピオンBB地図

 最近虎ノ門のJOさんと話す機会が増えてきた。ある瞬間に梅翁のことが話題になる。そういえば近頃都に参らぬようである。
 そこまで考えたとき、ふと思いついた。
 ときおり自薦、他薦、自筆、他筆の文章を拾ってきて、記録としてまとめておこうと思い立った。私は記憶をイメージか、あるいは文章で覚えているようなのだ。

 梅翁は奈良ホテルを常宿としていた。翁にとっての旅籠(はたご)なのだろう。

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Hollywood & Highland:ハリウッド・ハイランド

ハリウッド・ハイランド コダックシアター(USA:6801 Hollywood Blvd, Los Angeles, CA 90028 ) Yahoo Maps

 2002年12月に、所用でハリウッドを訪れました(笑)。
 何と申しますか、幼少より映画は好きでしたから、敵国ながら、あっぱれ「おもろい、トンデモ」映画を作り続けて来た聖地巡礼というおもむきですね。しかし、すべて見慣れぬ文字で書かれた場所なので、1年を過ぎると記憶が曖昧になって参りました。
 ハリウッド・ハイランドとは、要するに商店街(京都伏見大手筋のちょっと大きいの)ですね。そこにあるKODAKシアターというのは劇場(大手筋にひっそりある映画館よりは、大きいですね)なんですが、Kodak社のオフィスじゃなくて、名前を「名義買い」したらしいと、ネットを眺めていたら書いてありました。今ではその大階段をアカデミー賞関係者が歩くようです。
 例の俳優達の手形は近所のチャイニーズシアター前にあるらしい(?地理関係が曖昧)のですが、私も写真をとりました。よくみたら、ディーン・マーチンという人のだったので、これはこのMuBlog観覧者のうち、だれも知らないだろうと思い、掲載しませんでした。
 圧巻は、そのハイランドの上階にある、バビロンコート(そうですね、バビロン広場)ですね。私はそこのスターバックスで、何度聞いても覚えられない複雑な飲み物(なんちゃら、キャラメル、かんちゃら、マキアート?)を飲みました。ハリウッドにもスタバがあるのですから、ここはシティーじゃなぁ、と感激した次第。
 バビロンコートは古典映画イントレランスの再現です。グッドモーニング・バビロン、です。この映画は全編を見ていないのですが、映画史には必ず出てきますし、部分紹介はTVなんかでよく観ました。今度ネットを眺めていたら、ちゃんとDVDもでています。

 と言うわけで、とてもじゃないですが、ハリウッドのことで語る力量、知識がないので、二つサイトを紹介しておきます。
 ハリウッドに大型新名所が誕生!その名も『ハリウッド&ハイランド』/高橋志保
 Hollywood & Highland

 さて、この後に写真を数葉掲載しておきますが、冴えないものばかりなので、御覧になるほどのこともありません。単に私の、旅の記念記録です。
 

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2004年4月 8日 (木)

San Francisco International Airport:サンフランシスコ国際空港(SFO)

サンフランシスコ国際空港博物館) Yahoo Maps

 2002年の12月にサンフランシスコ空港の博物館をみておりました。発着、いずれも飛行機は時間をとりますね。速いのは当然としても、あの無駄無駄し待合い時間は、西欧の人が見ればエキゾチックな「禅」じゃないかとふと思いました。私なら、無駄は無駄にすぎません。飛行機による旅行は、不完全、未完成なシステムだと思います。われらが新幹線のスマートさに比較すれば天地の差があります。それを航空関係者は知っているから、おまけみたいに、「あなた何キロのったから、割引する」なんてサービスするんでしょうね。
 しかし。

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2004年4月 7日 (水)

天神川の桜

五条天神川の桜
  (京都市右京区・天神川四条~五条天神川)マピオンBB地図

 勤め先の近くに天神川が流れています。この川は上の方では紙屋川と呼ぶのでしょうか。よく調べておりませんが、天神と名がつくのですから、なんとなく北野天満宮と縁ある川なのでしょう。
 その五条と四条との南北、東岸にはあっというほどの桜並木が続きます。柳もあって、桜に柳をこきまぜた都の春とはここを指すと、識者がおっしゃっておられました。
 何十枚も写真を撮ったのですが、よい腕じゃないので、その中から数枚だけを記録しておきます。こうしておけば、来年にはもう少し、この五条天神川桜のみどころを押さえて、花見をしたり、撮影をしたりできると思います。

天神川桜29番 はかなし
 日本風のはかなげな風情に見えました。どんなに群として咲き誇っていても、ひとつひとつは、はらはらと散らんばかりの危うさです。天神川の水はこの季節豊かではありません。もう少し水流があれば、清流の桜とでも、お題をつけられるのですが。

天神川桜34番 遊歩道
 この遊歩道は、桜の咲いていない時期、考え事をして歩くには少し不向きです。つまり、枝がひくくて、私くらいの短躯でもみごとにでこを打ってしまうのです。今の季節はあちこちで花見をしているので、考えながら歩くのはまずむりです。よその重箱を踏んづけるし、撮影者にぶつかります。

天神川桜41番 夢幻
 この情景は初めてみるのです。長くそばにいても、心が見る力をもっていないと、日常の中に花さえも、とらえそこねてしまうものです。大体通りがかるのは、お昼時に、食事をするためせかせかと歩くのですから、見えていても見えなかったのです。

天神川桜49番 塔
 ここは、北山というか衣笠というかを借景にとおもったら、まんまと塔が写りこんでいたのです。このあたりは二つの大学が隣接しているので、学生が比較的おおいのです。そして、この目をひく塔は彼女らの住まうマンションで、また一階のファミリーマートは、両大学の学生さんがアルバイトをするお約束の店なのです。このblogを卒業生達が御覧になれば、きっと懐かしいはずです(事実、そのようでした)。

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2004年4月 6日 (火)

2004/04/06 晴 早朝の月二つ

 いま午前五時を過ぎた頃。
 いつものように、西の窓から右手に桃山御陵をながめた。山際がぼんやりしていた。まだ暗い。

 正面、西空の中空に丸い月があった。
 池面に目を移すと同じ月があった。
 眼下のそれは滲みもなく、完全な月だった。
 水面が静かなのは風がないからだろう。
 月はこの世に二つあった。

 ともに手を伸ばしても、掌にのるものではない。
 だから、中空の月も、眼下の月も、同じ月だとおもった。

 さかしらに、二つは別の月と思うことは止めておこうと決めた。
 
 私の脳内知識樹。
 blog上の知識樹。 
 二つとも、手を伸ばしても掌にはのらない。
 月を二つ持つ、この贅沢を味わえることの確認。

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2004年4月 5日 (月)

UC-Berkeley : Hotel Durant

Hotel Durant (USA: 2600 Durant Ave, Berkeley, CA) Yahoo Maps

 出不精で、その上言語は日本現代古語(?)しか話さぬ、書かぬ、の私が2002年の年末に、サンフランシスコとロサンゼルスへ行ったことを記録しておきます。
 まずサンフランシスコの、カリフォルニア大学バークレー分校ですが。

ホテル・デュラン
 その前に前日泊まったホテルがとても気に入ったのです。ホテル・デュランという所で、バークレーキャンパスの南、道を挟んだすぐ傍でした。
 ホテルの詳細は当時の様子を忘れたので、2004年4月5日に確かめたら以下のようでした。
Hotel Durant
2600 Durant Ave
Berkeley, CA
Phone: 510-845-8981
Price: $118.00 - $195.00
Non-Smoking Rooms, Complementary Coffee, Deposit Box, Telephone, Daily Maid Service

ホテル・デュランのクリスマスツリー
 多分2002年の12月も、一部屋120ドル程度だったのでしょう。ええ、高くはないけど安くもないですね。1万2千円前後でしょうか。
 こう、なんというかシックでした。現代ホテルのケバさもないし、かといって米国モーテルのスラムぽさなんてないです。アメリカの大学町の良さでしょうね。こういうのを経験すると、アメリカも捨てたもんじゃない、と思った次第です。わが葛野や、あるいは百万遍近くにこういう味わい深いホテルはあったかなぁ?
ホテル・デュランの部屋
 そうそう、危な(ヤバ)さは、運がよかったのか、まったくここでは危険を味わいませんでした。ぐっすり熟睡して翌朝は散歩がてらに、隣のバークレー分校を田舎っぽく歩きました(ああ、勿論ガイドの若い先生は、地元にとけ込んでおりましたよ)。

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明治天皇伏見桃山陵

明治天皇伏見桃山陵(京都市伏見区桃山町) マピオンBB地図

明治天皇伏見桃山陵

 表面が石で覆われているように見えること。
 五色塚を思い出した。渡辺豊和は五色塚古墳をみて「玉石垣で整形されたこの五色塚は、外見上は全くの石造建造物であり、どう見てもピラミッドなのである」と記していた。『大和に眠る太陽の都』「4 日本の巨石文化」(日本のピラミッド)
 古式に似た華麗な円墳を明治が造ったことの不思議さは、ネット情報だけでは採取し難かった。ただ、猪瀬直樹オフィシャルページに氏の業績があり、そのうち『ミカドの肖像』と『天皇の影法師』には八瀬童子をふくめ、もしかしたらJR奈良線の昔も詳細に記してあるかも知れない。新潮文庫にあるらしいから捜そう(実は、大昔購入し熟読したのだが、今回どうしても発見出来なかったので、文庫の再購入を考えている)想像では、東京から明治帝の御棺は当時の国鉄でこの地に着き、御陵近くまで引き込み線があったような予感がする。そのために今のJR奈良線があった、とまで私は思いこんでいる。

伏見桃山御陵の大階段

 なぜ東京から、この桃山城あとに帰ってこられたのか。
 JR奈良線との関係。

桃山

 天子は南面する。吉野の後醍醐天皇は北面だった。
 この桃山に桓武天皇と明治天皇の陵墓がある。

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2004年4月 4日 (日)

2004/04/04 雨

 起床午前4時。
 今日の日曜は朝から迷いなく、『蛇神祭祀(はむかみ・さいし)』の書き直しにせいを出した。昨年末に700枚を一気に600枚にしたので、だいぶ手を入れている。主要な人物を一名、もう一人にマージもした。定まった人物2名を併合して一名にする荒業は躊躇したが、まだまだ人物を生き生きと活躍させるだけの描写力が不足している。
 書いている私には個別化が図られていても、実際は無理のようだ。最初からCPUを一ダースも積んだマシンのOSを作るようなものだ。同期させる事、個別化が難しい。

 早めの昼食は焼き飯と漬物だった。
 吟醸酒をシェリーグラスに一杯ついで、漬物をぼりぼりと噛みながら食前酒にした。
 午後もがんばろうとしていたら、いつの間にか目が覚めて3時を過ぎていた。いつ昼食を終え、いつ眠ったのか覚えがない。白昼夢状態かもしれない。

 もうすこし続きをがんばる。
 夕方には、窓から見える雨にけむる桃山をはるかに撮影する。光学20倍とは、昔の35ミリカメラの焦点で、どうなのだろう、1000ミリくらいの超望遠かもしれない。しかし、なんとなく望遠レンズの風情がディジタルビデオではでない。腕がない。
 そのあとで、風呂にはいる。夕風呂だ。
 結局散歩しないことになる。来週こそは、貴船あたりへカメラを持って行ってみよう。

 夜は、NHKで新撰組を見る。ああいうほんわかした青春物語もよいものだ。
 就寝は、10時予定。
 こうして予定をたてても、たいてい早めに眠ってしまう。

 さて、第四章第二節。
 探偵司書小泉佐保が教団図書室で不思議な本にめぐり合う場面だ。

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2004年4月 3日 (土)

くれちんじゅふしれいちょうかんかんしゃ:呉鎮守府司令長官官舎

呉鎮守府司令長官官舎(洋館)
呉鎮守府司令長官官舎 (広島県呉市幸町) マピオンBB地図

 江田島に渡る前に立ち寄った。戦前の海軍が「鎮守府」という言葉を用いていたことに惹きつけられたと、言っておく。このあと、海軍墓地にも立ち寄りまいった。
 この近辺で戦艦大和が造られ、そして現在も真向かいにある江田島では士官が養成されている、不思議な町だった。なによりも、司令長官官舎がすぐにでも住みたくなるような結構だったことだ。実に快適で広々としていた。いまでそうなのだから、当時の人たちにはまぶしかったに相違ない。
 さらに裏にある和室は瀟洒だった。海軍というのは世界的に、男達の挽歌を受けとめる雰囲気をすじとして持っているのかも知れない。

呉鎮守府司令長官官舎(和館)
 そのロマンチシズムは、確実に『戦艦大和ノ最期』に見られた血と肉片の惨禍に裏打ちされている。その本を読んだとき、「海軍は沈んでしまうから、綺麗なものだ」という考えをあっさり打ち砕かれてしまった。この瀟洒な英国風ハーフティンバーの粋、そして和風の粋のうしろには、戦(いくさ)の血生臭が隠されている。それが人類なのだろう。

参考に二つのサイトを挙げておいた。一つは建築物としてのより詳しい情報。もう一つは、この入船山全体の案内である。
  建築マップ 旧呉鎮守府司令長官官舎
  入船山記念館

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2004年4月 2日 (金)

桜の森:佐野藤右衛門邸の桜

桜の森:佐野藤右衛門邸の桜
 佐野家のお庭(京都市右京区山越) マピオンBB地図

 昨日平成16年4月1日の正午過ぎに、桜を見てきました。京都市右京区の山越を西に降りて、広澤池の手前に、佐野氏の庭があるのです。この佐野氏のことは高校の国語の授業で変わった先生がおられて(大体、国語の先生って、変な方が多いですね?)、池某という超名物先生でしたが(何十年たっても、名前や癖まで覚えられているなんて、教師って、因果な仕事ですね)、で、「祇園円山公園のしだれ桜は、ご近所の佐野藤右衛門さんが、ご苦心なさった桜なんですよ」とおっしゃった。

佐野藤右衛門邸
 ご近所というのは、嵯峨野高校といって、ほんとに近くだったので、私はそれ以前小学校くらいから、このあたり(広澤池)は遊び場だったので、「へぇー」と驚いたわけです。造園業のお庭って、結構遊び場にはよろしいわけでして、当時は人の家も庭も全部遊び場でしたからね。

 さて、私はここで佐野家の蘊蓄をかたむけるほど、詳細ではありません。えてして身近な場所は、そういう歴史抜きで、みじかなものでして、かえって人様に蘊蓄をかたむけられてはじめて「おお、そうだったのですか。あはは」と、なるわけです。で、ここでは一つ佳いサイトを見つけましたので、記録しておきます。なんとなく、記録サイトが女子学園らしいので、私の商売敵ですが、まあ、都からは離れたところなので、よいでしょう(笑)。これをよんで、本当に感心した次第です。
 跡見の桜、その由来と意義/岡村比都美
(特に、この中の「キャンパスの桜の由来 佐野家訪問」というところをクリックしてください)

 さらに、もう一つは図書を記録しておきます。谷崎昭男『花のなごり』所載「花のなごり--保田與重郎の桜」は、現代文学における「桜」へのイメージがよくわかるエッセイです。小林秀雄さんの『本居宣長』の桜、水上勉さんの『桜守』のさくら、そうして保田さんの吉野の桜や、佐野さんの桜、終夜亭の桜のことなどが、くっきりと描かれています。こうしてみると私は、随分豊かな地でそだったようです(お国自慢)。

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2004年4月 1日 (木)

日本:文学:谷崎昭男:花のなごり/谷崎昭男

By NDL-OPAC KG634-G81

花のなごり : 先師保田與重郎/谷崎昭男著
  京都:新学社、1997.9
  259p ; 20cm
  ISBN 4-7868-0021-X
  定価 2200円
装幀 友成修

全国書誌番号 99070330
個人著者標目 谷崎, 昭男 (1944-) ‖タニザキ,アキオ
個人名件名 保田, 与重郎 (1910-1981) ‖ヤスダ,ヨジュウロウ
NDLC KG634
NDC(9) 910.268
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000002737522

目次情報


# 一つの肖像画による保田與重郎論
# 「日本の橋」小論
# 人工と自然
# 「みやらぴあはれ」註
# 花のなごり−−保田與重郎の桜
# 文学という思想について−−保田與重郎と戦争


# 身余堂先生のこと
# 追悼謹記
# 故先生歌碑除幕式記録
# 「保田與重郎全集」広告
# 第五回 火玄火忌 誌
# 編集後語
# 全集逸文一篇
# 第七回 火玄火忌 記事


# ふたつの死−−川端康成と三島由紀夫
# 三島由紀夫
# 「退屈」の造型について
# 古木春哉の仕事
# 熊倉功夫「後水屋院」読後
# 畸人伝中の人
# 宗匠歿後十年
# 女性史研究について感想
# ツルのように

# あとがき
# 初出一覧

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春の古墳

春の古墳
 この無名(か、どうかわかりません)の古墳は、地図で見ると大覚寺の大澤池と、広澤池の半ばにあります(京都市右京区北嵯峨)。私が小学校の時、ロウソクとロープを肩にかけて歩いていると、このあたりの年長の少年(中学生?)に見とがめられて「穴に入る気やろ。あかへんで。入ったら、死ぬ」と、脅かされて帰った記憶があるのです。縦穴か横穴かさえ覚えていませんが、実は、あははは、その数日前に入り口は覗いていたのです。で、ロープとロウソクを用意したわけですが、まあ、探検は失敗しました。
 マピオンBB地図でも正確に指示できませんが、このあたりです。写真は今日の午後のものです(2004/04/01)。

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だざいふせいちょうあと:太宰府政庁跡

太宰府政庁跡石碑

太宰府政庁跡(福岡県太宰府市観世音寺) マピオンBB地図

 ここは、1993年頃の2月か3月だった。要するに私が葛野に着任した年であったはず。博多と、太宰府天満宮と、この政庁跡と、さらに小倉に寄った記憶がある。

 「水城跡」とか「大野城跡」とか、とにかくまわりに「跡」が多い。天神さんのイメージでは、菅原道真さんは天満宮に座っている雰囲気だが、実際はこのあたりに住んでおられたのかも知れない。菅公跡も捜せばあるかも知れない。

 広い敷地だった。無人で茫洋としていた。私は海が見える、そんな幻視を持っていた。地図で確認すると、見えるはずはない。白村江の海上戦に破れたからこそ、この内陸に政庁を造ったらしい。

 私が訪れた時は、資料館に気が付かなかった。再訪するときは、そこをたずねて、もう少し正確な情報を得てみたい。

参考サイトを挙げる。
  太宰府市まるごと博物館(まほろば時代を超えて
  太宰府市まるごと博物館(再現! 太宰府政庁
  太宰府政庁リンク案内

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