2004年4月11(日)晴:記憶の嘘と地図の風景
3月7日がこのMuBlogの誕生日になる。それから毎日記事を記録してきた。
友人達が「尋常ではない」と私を噂しているようだった。
たしかに、記事作成は異常な時間を費やす。
記憶には嘘があると、養老さんの本で再確認した。しかし嘘か真かは私には分からない。時折友人と、ある情景の思い出話をしていても、双方が全く異なる記憶を持っていたことに、愕然とすることがある。そうなると、お互いにどちらが真実なのか、言い争っても仕方がない。事実として、別々の記憶の中でその後を生きてきただけのことである。と、最近では思えるようになった。養老さんの本がそれを補強した。
シュワルツネッガーの映画にもあった。火星の話だったはずである。原作は、高い城の男、と同じはず(固有名詞が記憶からそぎ落とされていく日々)。シュワルツネッガーは、もう一人の自分が過去に、将来(現在)の自分に送ったメッセージを見、呆然としていた。
地図の風景、というカテゴリーがMuBlogでは一番多い。
MuBlogの副題は、図書・読書よりも、空間感覚に傾いている。そして空間とペアになる時間は、再確認をおこたり、ボカしているが、年齢から考えて、紀年レベルでは確実に分かる。
すると、嘘であろうが真であろうが、もう一人の私、いや複数の他人である私が、ある時ある場所でなにかをしていたという記憶だけは、記録によって確定できる。その時、嘘は無限小になってくれる。
MuBlogは、空間と時間とを確定するために、ある。
私の、つまり時系列にそった複数の私の時空間を確定することの意味は、実に単純である。
私は、その時、確かにこの世界に生きていた、という証。その把握である。
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