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2004年4月 4日 (日)

2004/04/04 雨

 起床午前4時。
 今日の日曜は朝から迷いなく、『蛇神祭祀(はむかみ・さいし)』の書き直しにせいを出した。昨年末に700枚を一気に600枚にしたので、だいぶ手を入れている。主要な人物を一名、もう一人にマージもした。定まった人物2名を併合して一名にする荒業は躊躇したが、まだまだ人物を生き生きと活躍させるだけの描写力が不足している。
 書いている私には個別化が図られていても、実際は無理のようだ。最初からCPUを一ダースも積んだマシンのOSを作るようなものだ。同期させる事、個別化が難しい。

 早めの昼食は焼き飯と漬物だった。
 吟醸酒をシェリーグラスに一杯ついで、漬物をぼりぼりと噛みながら食前酒にした。
 午後もがんばろうとしていたら、いつの間にか目が覚めて3時を過ぎていた。いつ昼食を終え、いつ眠ったのか覚えがない。白昼夢状態かもしれない。

 もうすこし続きをがんばる。
 夕方には、窓から見える雨にけむる桃山をはるかに撮影する。光学20倍とは、昔の35ミリカメラの焦点で、どうなのだろう、1000ミリくらいの超望遠かもしれない。しかし、なんとなく望遠レンズの風情がディジタルビデオではでない。腕がない。
 そのあとで、風呂にはいる。夕風呂だ。
 結局散歩しないことになる。来週こそは、貴船あたりへカメラを持って行ってみよう。

 夜は、NHKで新撰組を見る。ああいうほんわかした青春物語もよいものだ。
 就寝は、10時予定。
 こうして予定をたてても、たいてい早めに眠ってしまう。

 さて、第四章第二節。
 探偵司書小泉佐保が教団図書室で不思議な本にめぐり合う場面だ。

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小説木幡記」カテゴリの記事

コメント

浅茅が原の旦那、制作途上の小説の題名をblogに公開されて大丈夫でせうか?私が予想したように箸墓、三輪山、マキムク辺りが舞台ですね?卑弥呼が中心なのでしょうね?大変楽しみにしていますが膨大な原稿を既に書かれているんですね。今は削ぎ落とし作業なんですか?創作とは身を削る作業なり!玉井の旦那もそんな事を述べておられましたね。焼き飯と漬物ポリポリで大丈夫でせうか?先輩、桃山が三輪山に見えるんとちゃいます?発狂しないようにお願いします。ところで蛇ですか?私は、大物主が土着の人々を制圧するにはその神になる事であったと思います。それは蛇でしたね。これも釈迦に説法でしたか。蛇、再生神話、生殖力、稲作、注連縄
・・・何処の神社でも蛇がSEXしてる注連縄がありまんな?これも華南地方のお墓から(マオタイ王墓?)から出土した棺桶を飾る
布に描かれていましたね、これも中国の古代の神話ですね。左保ちゃん(私の二番目の御姉ちゃんの子供が佐保と言います、女医さんです)はどんな本を見つけたんでせうか?次回のBLOGに続くんですか?楽しみやな~~~!

投稿: jo | 2004年4月 4日 (日) 16時49分

第四章第二節・・・教団の不思議な本? これがこのミステリ-の核心ですな?其れまで色んな不思議な事件が起こるんでせうね?ここを話すと、アキマヘンよ!読者としては色々と考え、推理します。昔の伝説(伝説は古いか?)になぞらえ色々な事件が起こるのは楽しい話ですからね。著者は今だ、三輪と出雲の関係について迷われておられるようですね。私は、出雲神話はミマキイリヒコ(崇神天皇)の時代の話ではないか?だから先生の描かれる時代背景の神話の世界は三輪と出雲は同じ世界ではないか?と思います。

投稿: jo | 2004年4月 4日 (日) 19時17分

JOさん(4月 4, 2004 04:49 午後)
 顔写真載せたり(他人のだったりしてな)、作品名を載せたりするのは、理屈はあるんです。私は神ではなく人であるという、責任性でしょうか。顔のないジャーナリストは無責任だからな。

 しかし、理屈よりも「覚悟性」でしょうね。年齢的にも、世間に対して随分図太くなりました。世間とはたかだか、職場と隣近所と朋友たちにすぎませぬ。私の場合、全部数えても百にみたない。JOさんみたいに、公人だと別の覚悟性があるのでしょう。

 百の世間に対して私のスタンスは定まりましたよ。年齢的には、人生時間(3で÷)で、もう夕方7時。そろそろ肩書きを自分でつくる時期です。すべて剥奪されても残る物を大切にします。多分それはディジタルネットワーク世界なのです。いつか、百の読者のためにこういうblogとかああいうHPをおもしろおかしい、物語に変えていくつもりです。

 文士浅茅原竹毘古はその、作者なんです。それが私の後半生の肩書きですね。

投稿: Mu | 2004年4月 4日 (日) 21時12分

JOさん、第二弾への回答。
 ところで、JOさん、蛇となると即セックスとは、あはは、今風の若い人たちより激しいなぁ。
 で、作品の内容は仄めかす程度しかJOさんにも言えませぬ。あとのお楽しみですよ。まあ、夏頃にはおくります。
 それにしても、JOさんや、ミマキイリヒコと流ちょうに書かれるところが驚きです。ならば、ずばり『崇神天皇/肥後和男』秋田書店、昭和49(1974ですな)を、いつか夏あけにまとめて紹介します。で、実はね、崇神、景行と御陵が山辺道にあるでしょう。あれ、いつも崇神さんだけ挨拶しています。景行さんはちょっと行きにくいし、古墳としては崇神さんの方が綺麗ですからね。
 余談として、古市の日本武尊白鳥陵とね、景行天皇陵とが、横一直線上にあるんです。驚き。これは、ちょっと以上に人為的です。ね。
景行天皇陵
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=135/51/09.119&scl=25000&size=954,768&uc=1&grp=MapionBB&nl=34/32/51.374
白鳥陵
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=135/36/26.319&scl=25000&size=954,768&uc=1&grp=MapionBB&nl=34/32/51.870


投稿: Mu | 2004年4月 4日 (日) 21時31分

ヤマトタケルは夷方面でも有名ですよ、木更津に住む人がいて大層なファンです。彼の人気は尋常では有りませんね、彼は確か遠征の帰りに伊吹山か何処かで身罷りますよね?いろんな説話を残し、無念のうちに大和には帰れず。魂が故郷に飛翔したと思いますが、陵は景行天皇さんと同一東西線の位置ですか?知らんかったな。しかし不思議なのはあれだけ関東を制圧して、軍団も相当に膨れ上がりその力を使えば大和などは簡単に制圧出来た筈ですよね? 天武さんも美濃方面に逃げて関東の武力を背景に関が原を越えましたが、何故、ヤマトタケルはそれっをしなかったんでしょう。疑問が残りますね。


投稿: jo | 2004年4月 5日 (月) 08時54分

 JOさんや。ロマン的解釈をするならば、倭建氏はロマン派だったのです。そうして神と人との狭間におられた。政治経済は天皇さんの仕事であって、建氏はそういう現世のことは興味がなかったのじゃないですか。
 大体からに、氏は戴冠詩人、ようは高貴な詩人であらせられた。勿論、風土記などでは倭建天皇という記事もあるようですが、身は一介の派遣宮将軍であった。古来、将軍とは浮世離れした人たちだったと思います。まともな現実感覚を持っていたら、戦場なんか行けませんよ。死ぬのですよ、戦場は。軍人は浮世離れした詩人ぽいところがあるから、身を國とか神に捧げ、死ぬことができるのです。
 天皇さんの自殺めいた振る舞いは、病理上の事例しかないと思います。
 我が国はそういう歴史をもっていたのでしょう。
 そうそう、倭建氏は、ともかく女性にもてた。しかも深情けといってよいでしょう。オトタチバナ姫さまなんて、建氏のために入水するのですからね。ミヤズ姫さまは、尾張一国を建氏にささげたようなものです。息吹の神が怒るのも無理はない。
 陵墓だけでも関東を含めて、関西近畿にいくつもある。異様ですね、JOさん。倭の姫達は足が葦に切られるのもかまわず白鳥を幻視しておいかけていくのですから。
 こんなもてた男が、あははは、政治政略経済に興味を持つはずがない。ちがうかな、JOさん。(笑)

投稿: Mu | 2004年4月 5日 (月) 09時32分

判りました、浅茅ヶ原タケヒコの旦那、名前そのものがヤマトタケルですね、私が好きな司馬遼太郎の旦那が自分の名前をつけた経由について語られた事を思いだしました。司馬遷のような歴史家になりたい、そしてユーラシア大陸の地平線に光る遼火に対峙して馬から眺める、壮大な叙事詩の中に身を置きたい・・・・気持ちが判るな~~。名前はその人そのものなんですね。それに引き換え、私はネオンの海に身を置き、毎日商いに東奔西走する・・・、週末位は大空に飛行機を飛ばしたい、それ位は許されるでしょう。

投稿: jo | 2004年4月 5日 (月) 11時40分

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