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2004年3月 9日 (火)

飛鳥浄御原宮・正殿

 新聞情報では、飛鳥浄御原宮・飛鳥京跡が発掘され、天武天皇の住んでいたところらしいとあった。
(ニュースは2004/03/08にあり、天皇居所というのは9日火曜の産経新聞で見た)
飛鳥浄御原宮がどういうところで、どこにあるかを確かな所でリンクしておく。
   飛鳥資料館による「飛鳥浄御原宮伝承地」写真
   飛鳥資料館による「飛鳥板蓋宮伝承地」写真  
   マピオンによる地図:飛鳥浄御原宮・飛鳥京跡  

(この記事を数時間前に投稿したときは誤認があった。現在飛鳥板蓋宮跡といわれる場所が4層構造であり、下層から「飛鳥岡本宮」→「飛鳥板蓋宮」→「飛鳥浄御原宮」→「後飛鳥岡本宮」となっているらしい。これをまとめて、飛鳥京跡(あすかきょうせき)と呼ぶようだ)

 新聞ニュースはリンク先が消えるのと、著作権問題があるので、直接掲載はさける。

 読売新聞では、発表元が奈良県立橿原考古学研究所となっているので、今後はこのサイトが確かな情報源になっていくのだろう。
   橿原考古学研究所   

 検索エンジンでは「飛鳥京跡」&「浄御原」&「天武天皇」程度で今後もいけると思う。

 以上の他、まとまった記事はしばらくすればネットメディアに現れるはずである。
 私がこれに興味があるのは、天武天皇の名目上の母親は斉明天皇であり、斉明天皇は酒船石に関係が直結する。そして、天武天皇の兄は天智天皇となっているが、このあたりになってくるとトンデモ領域をかすってくる。
 トンデモ近接領域話としては「隠された帝(みかど)/井沢元彦.祥伝社 ISBN4-396-20488-4」
さらに、小林恵子氏の作品がある。
 これらの詳細は後日まとめてみたい。井沢氏の論では、天智天皇の墓は宇治、木幡にあるとのことであり、この作品はとてもおもしろかった。いつも井沢氏の歴史小説を読むと、遠くを見つめてしまう。ところで木幡とは、私の住まいする地である。
 小林恵子氏については聖徳太子が突厥のタルドゥ以来、天武天皇がどうだったかも読んでみた。まだ気持ちが落ち着かないので後日にまとめてみる。
 で、ここで壬申の乱に話を持っていきたいのではなくて、その天智天皇とは血縁が曖昧な天武天皇が住まいしていたかもしれない宮殿が発掘されたのだから、気になって記録を残した。

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飛鳥」カテゴリの記事

コメント

飛鳥浄御原宮の記事はやっぱり衝撃的でしたね。亀型の石物など3年ほど前に家族で飛鳥巡りをしてきました。近くに万葉美術館という落ち着いた美術館もできて、そこもとてもよかったです。「石の都」は本当に実在したんでしょうか?これからの調査がますます楽しみですね。

投稿: ほかもどり | 2004年3月10日 (水) 08時22分

奈良県の方ですね。現地をご覧になられることがあれば、この記事にコメント下さい。私は、飛鳥京跡というところが、とてもわかりにくいのです。

投稿: Mu | 2004年3月10日 (水) 08時29分

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受信: 2004年3月11日 (木) 18時40分

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 昨夜NHK総合TVで「壬申の乱」が放映された。松平さんの司会と、講師は遠山さんという学習院大学の先生だった。遠山先生の著書は以前『天皇誕生:日本書記が描いた王朝交替』(中公新書1568)を読んでいる。これまで感想文として記録しなかったのは、Muの感性とは異なるところが多かったからである。学問に感性とか好き嫌いはないでしょうと、おっしゃるかたもおるやもしれないが、それは違うと思う。どんなに正確な事実検証があったとしても、そのことへの視点がどうであるかで、その学問全体への、私の評価も変わる。  たとえ... [続きを読む]

受信: 2006年2月 9日 (木) 09時10分

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